オサマ・ビン=ラディン

オサマ・ビン=ラディン死亡の報。


国内のニュースなどでは「ビン=ラディン殺害」「暗殺」という言葉を使うことで、「アメリカが殺した」を殊更に強調している。これもあって、「大国アメリカがよってたかったたった一人の人間を殺した。アメリカは酷い奴」という論調に持っていきたがる人も多い様子。
「でも911で数千人を殺させた」という反論には「アメリカは原爆投下で十数万人を殺している」という反論がされるのだが、ビン=ラディンは広島のためにアメリカを攻撃したわけではない。広島を引き合いに出すのは敵の敵への片思いでしかない。


無差別テロは天災でも事故でもない。ましてや人為的なミスによって起きる人災でもなく、明確な意志をもって実行される行為であるわけで、資機材・資金とそれを実行する意志、後ろめたさを上回る根拠を背負うことができれば、誰にでも実行できる。
アメリカにとって、911で殺害された多数の民間人のための敵討ちは正義であるだろうし、アメリカ市民の支持は大きいだろう。
ただ、これは911に対する単なる意趣返しの成功というだけではなく、ビン=ラディンというマスターピースを消滅させることで、アル・カイダの精神的、或いは資金提供を断った、ということの意義が大きい。


今後、ビン=ラディンを真似るようなことをする者が出ても、アメリカは絶対に復讐を辞めない。譲歩もしない。曖昧にして決着せずに赦すこともしない。
それは、ある一定数の「気軽な模倣者」を押しとどめる効果が期待できる。
また、弾丸一発、テロリストの飯代ひとつ取っても、人が生きるのには金が掛かる。テロリストが目標を達成するための重大な資金源を断絶することで、今後の模倣者の行動を制限する、という意義もまた大きい。


アフガン戦争=テロとの戦争の遂行はオバマの公約だったが、ビン=ラディンの死は「拘束による米兵の損害(生け捕りは味方の損害を大きくする)を最小化する」「裁判による事態収束の長期化を最小化する」「フセインを生かして逮捕したらぺらぺら反論し続け、それが却って反対派のモチベーションを上げてしまったことへの反省」などの判断、経験から最良の選択とされたのではないか。
また、ビン=ラディンの死はアフガン戦争継続の口実を減らすことになるわけで、今後アメリカは順次アフガンから撤退し、出口の見えない軍事支出を縮小できることになる。
軍事=安全保障コストは、それからは何かを生まないので(そもそも軍事というのは消費主体で実態成果が見えにくい)、アメリカ経済の足枷(袋の底の穴)が塞がれることになる。
リーマンショックに引き続く311の影響下にあって、世界経済の下支えになるアメリカ経済にとって、ビン=ラディンの死=アフガンの負担軽減は、プラス材料――。


と、このように「桶屋が死んだら世界がホクホク」的な繋がりで、ビン=ラディンの死と我々の財布は繋がっているらしい。
安全保障のための行動って成果が見えにくいことが多いので、どうしても卑近な感想に引き寄せて考えてしまいがちだけど、単純な悪即懲罰的な視点ではないところで見ないといかんのかもしれない。