よっぴきで企画書を書くなど

このところ、ずーっと「午前に寝て昼過ぎか夕方に起きて」が続いており、昼間の生活に戻れないorz
戻れないついでに、久々に企画書を猛烈に書くwなど。
怪談じゃない本の企画書とか書くの久々すぎて泣ける。
因縁も恩讐も執念も関係ないような、頭が空っぽになり心がスッとして愉快で楽しいものなど。日常的に、鬱々とした仕事ばかりしているので、たまには心が明るく軽く楽しくなるような本も作りたい。


というか、怪談に根を詰めすぎるのは、いろいろな意味で怖い。

かつて僕はゲームの攻略本を皮切りにこの商売に入り、攻略本や漫画・アニメ関連記事の仕事を中心にやってる会社でいろいろ勉強させてもらってたんだけど、ある日、「それしかわからなくなっている自分」「それが世界の中心であるのが当たり前になっている自分」ってのに突然気付いてしまって、怖くなってしまった。
もし怖くならないでそのままいたら、多分今もゲーム、漫画、アニメの業界にいたかもしれないけど、「それが全て」という自分が怖くなって辞めたというか、逃げたというか。


今は怪談が生業になっていて、有り難いことに「怪談本をやってくれ」というお仕事が絶えずに続いている。
だけど、これはこれで「怪談に全てを預けてしまう」「怪談が日常になってしまう」というのは怖いことだ。怪談に限らないけど価値観がおかしくなってしまうんじゃないか、という不安に駆られるのだ。
執心がいつ執念に、そして妄念にならないと言えようか。
図らずも、「怪談は非日常であり、これを日常にしちゃいけないんだ」というようなお話をファンキー中村さんから伺ったばかり。
それが日常になってしまうと、違和感が分からなくなる。
怪談がない日常があるが故に、怪談という非日常が際立ってくるわけで、怪談を日常にしてしまったら、怪談の持つ違和感が見えなくなるのではないか。そう思えてくる。


世界同時不況、出版不況、紙の本が売れない、おまけに僕は賞作家でもなければ大ヒットがあるわけでもない。ところが、こんなご時世なのに「加藤で」とお仕事を頂戴できている。「ただし怪談を」と指定が付いていることについて不満はないけどw、怪談に慣れてしまわないよう、怪談のない日常になるべく身を置くようにしたい。
怪談じゃない本も作りたい、ってのは恐らくその延長線上にある希求で、怪談という非日常が非日常であること、違和感を感じるべきものであることを忘れないために、怪談のない日常を言祝ぐ本【も】作りたいなあ、という気持ちが強くなってきている。


そんなわけで、怪談じゃない本の企画書を書いている。
通るといいな。
通りますように。