葬儀と寺と先祖語り
母方(齋藤)の叔父が亡くなり、葬儀。
父方の伯母の葬儀は臨済宗(禅宗)だったが、母方は日蓮宗*1だった。
臨済宗の坊主は読経後の法話で「日々を楽しめ」の例として「自分もときどきパチンコやったりなんかして」と俗世の話を法話に取り込む。僕が子供の頃に臨済宗、曹洞宗の寺で座禅会とかに参加してた記憶があるんだけど、そういえばなんか俗世っぽい話をする人間くさい僧侶が多かったなあ、という記憶がある(^^;)
日蓮宗は「とにかく厳粛」悪く言えば「形式にうるさく頑迷」wとなる。
最近の葬儀では、本葬儀当日に繰り上げて初七日までやってしまうものらしい。一民間人の葬儀は自宅や寺ではなくてセレモニーホールのような場所でやるのが当たり前にになって、初七日も本葬後にセレモニーホールでやってしまうところが増えたのだが、この日の日蓮宗の寺では「初七日は寺で」と厳粛。
その勢いでというか、墓所への納骨まで本葬のうちにやってしまったのだが、これは厳粛とかなんとかそういうのはいいのか(^^;)
葬儀の折、この齋藤の家の先祖の一人で徳川昭武の後添えになった齋藤八重の話を少し聞く。
齋藤家の本家の墓所というのは沼津ではなく静岡市にある。僕も大昔に連れて行かれた記憶がなんとなくあるのだが、場所や寺院名に関する記憶はあやふや。
その辺りを聞いてみると、やはりというか、これまでの調査の裏付け通りというか、静岡市北街道の蓮永寺であるようだ。
「本山 蓮永寺」は旧幕関係者の墓所が多いことでも知られ、1200年代に庵原郡(今の静岡県富士川町)に日蓮宗の寺として創設された後、家康の母であるおまんの方の発願で現在の場所に移され再興された。勝安房(勝海舟)累代の墓*2、佐久間象山累代の墓*3などがあるらしいのだが、ここに齋藤八重が建立した墓があるという。
「徳川さんに嫁入りしたらもう齋藤の家には戻れないから、齋藤の家に自分が生まれた証しを残したかったらしい」
という理由で、昭武の元に行く前の八重が残した。
今の齋藤の墓所がある沼津の寺もその流れで日蓮宗になっている、ということらしい。
齋藤家は当初、直参旗本系士族として静岡市青葉区にあったようなのだが、僕の曾祖父に当たる齋藤謙次の代かその子(僕の祖父)の齋藤久吉の頃には沼津に移ってきていた様子。
あの寺の過去帳を調べれば、さらにもう少し詳しく分かりそうな気がする。