公式サイト

いろいろ滞っている理由は、2月3月の〆切が怒濤のように重なっているから……ということでもあるわけなのだが、「超」怖い話公式ホームページの新ドメインでの公開が滞っているのは、レイアウト面での見直しが一向に進まないため、でもある。
さほど特別なことをやろうとは思っていないので、大部分は今までのデータの流用・移植になるのだが「せめて見出し周りだけでもちゃんとしよう」と思って手を付け始めたら思いの外膨大で……_| ̄|○ il||li
大掃除の最中に出てきた本を読み始めちゃったとか、これから外出で時間がほとんどないのに風呂に入り始めちゃったとか、まあそういう状態。


旧公式サイトは元々勁文社版時代に、最終巻あたりの発売告知とシリーズの終了を知らせるために設置された、わりと暫定的な性格のものだった。
これに、既刊に関するデータや繰り返し質問されるFAQ的質疑応答を書き加えていくうちに竹書房版でのシリーズ再開となり、さらには編著者・共著者ともども関連書の新刊も増えていき、旧公式サイトはそうした関連書・関連映像の宣伝にも流用されるようになった。
その都度、増築増築また増築の繰り返しで、当初の「とりあえず1頁だけでも作って窮状についての伝言を……」という頃は1頁にすべて詰め込むレイアウトでもよかったのだが、シリーズが再開して新刊情報が増え、大きく性格も変わっていったのに、放ったらかしになっていたら古びてしまった……というのが現状とも言える。


加えて、旧公式ホームページは、レイアウトのコンセプトも古いのである。
現在でこそディスプレイの大型化、ブラウザの高性能化も相まって、「画面を複数に分割してhtmlを配置するフレーム表示」というのは一般的になっている。が、97〜8年当時(彼岸都市が97年発売。今から8年近く前)というのは、タブブラウザもなく、下手するとHTML2.0に対応していない(つまりフレーム表示ができない)というブラウザも決して少なくはなかった。(今でもフレームHTMLを開くと「このwebページはフレームページです。対応ブラウザをお使い下さい」と記述されているwのだが、HTML2.0以降に対応した現在のブラウザではその記述を見ることはほぼ不可能*1


つまり、1枚に全てを表示するというのは、まだフレーム表示が一般的でなかった頃の一般的なレイアウトなのである。
加えて、97年当時のネットインフラやハードの性能(有り体に言えば、回線の太さとCPUの処理速度とメモリの容量)は、現在のそれと比べてしまうと非常に貧弱だった。当時から見出し部分を凝ったもの(つまり、各クライアントが持っているだろう基本的なフォント「MS明朝/MSゴシック」などに依存しないで、見映えのいい別のフォントを使って作った画像を見出しに使う、ということ)はないことはなかったのだが、そうしたページは大概表示が遅かった。画像を何枚も表示しなければならないため、回線が細かったりマシンが貧弱だったりすると、表示に時間が掛かる非常にストレスの溜まるページになってしまっていたわけである。
初期の公式ページ(だけでなく、僕が作った多くのページも)が「無駄に重いものは置かない」というコンセプトだったのは、自分のマシンが「CPUは200MHz、メモリは256MB」なんていう環境で、しかもそれすら発売直後の最新鋭マシン……というようなそう言う時代であったが故である。もっとも、途中から自分でもそれを気にしなくなりはじめて(自分のPCがだんだん高性能になっていったから)、新刊画像なんかは普通に入るようになった。
「昔は〜」という話をし始めると「おじいちゃん、ごはんはさっき食べたでしょ」と言われてしまうのがオチなのだが(^^;)、インターネットも日本に導入され始めてから10年を過ぎたわけで、10年一昔ってことなのかなぁ、とも思ったりする。


まあ、ともあれ。「超」怖い話公式ホームページは、そういったインターネットの進化の歴史の生き証人のような古いページだった、ということだ。まさに化石級の古さ。とほほ。


ドメイン取得は、超-1開催のためというのとhttp://www.ekoda.jp/への間借り状態を解消するためでもある。http://www.ekoda.jp/は僕の個人サイトであるとともに江古田関連のポータルサイトでもあるのだが、こちらのほうも長年使ってきてサーバのキャパがいっぱいいっぱいになってきた観がある。超-1開催や多くの書影画像収納などを考えると、そろそろ「超」怖い話関連は別サーバに置かないとマズイかも……という物理的な事情が、実はドメイン取得の最大の理由なのだった。

ともあれ、もうじきインターネット草創期に作られた現在の旧公式ホームページはなくなるが、長期間かけて蓄積してきた膨大なデータの大部分は、ほぼそのまま引き継がれることにはなると思う。
ネットの最大の功績は「整理された(または未整理の)データソースにアクセスして、それを自由に利用できる(個人の目的において、だけど)」ということが、広く一般化されたということにあると思う。
調べ物に図書館で一日というのが昔の執筆者のスタイルだったことを考えれば、今の環境はそうした作業を大幅に軽減しているとともに、著者にとって最大の苦難だった調べ物という特殊技術がなくても誰でも「書き物」ができるようになった、ということでもある。
blogの趨勢やネットから登場する書籍の多さを見ても、今ほど「職業的書き屋」と「アマチュア作家」の垣根が低くなった時代はない。
そうした世相を反映して、埋もれた才能がどんどん出てくるのではないかと思うと、うかうかはしていられないのだが、なんとなくうきうきしてくるのは、やはり編集者の血が僕の中に未だにたぎっているから、なのかもしれない。

*1:世の中には親切な人がいる(笑)。http://www.chokowa.com のタイトルに「このページにはフレームがあります」というのが出ている、とご指摘があった。そうなのだ。今使っているHTMLエディターは、index.htmlの一行目に書かれている内容が自動的にTitleになるという機能があるため、Titleにその警告文がそのまま表示されている(^^;)。いまどきフレーム表示のできないブラウザはあまりないと思われるが、その機能がないブラウザのためにそういう表示を入れるという習慣は、人目に付かないところにひっそりと残っているのである。