ペンネームの話

モノ書く商売を始めて、今年でまる20周年(21年目)になる。
その間、記名の仕事よりはそうでない仕事のほうが圧倒的に多かった*1のだが、コラムと怪談の仕事が増えてきてからは記名の仕事が増えた。


読者投稿ページをやっていた頃は、僕の名前はどこにも出なかったのだが*2、ハガキに書かれた読者のペンネームを山ほど見る機会には恵まれた。
だいたいニックネームがペンネームになっている人や、ペンネームが後々ニックネームになってしまう人が多かった、と記憶している。そして、勢いで付けた捨てハンのようなペンネームほど何故か定着し、後々までそれで呼ばれてしまうことになったりする。
「超」怖い話勁文社版に「氷原公魚(ひはらわかさぎ)」というペンネームで書いていた彼は、アマチュア時代は投稿者でペンネームは「Manhool―X」だった。で、このペンネームで普段から呼び慣わされていたため、喫茶店で待ち合わせをしたときに店内放送で「お客様のまんほーるえっくすさまー、お電話が入っております」と呼び出されて大変恥ずかしい思いをしたそうだ。で、そのときに呼び出した奴も奴で「おともだちの【まどのゆき】さまからー」とやられていたとか。
また、現在は某ゲームメーカーで「江ノ島店長」として親しまれている某ゲームプロデューサーも、アマチュア時代のペンネーム(というか尊称)が「王様」で、街中で待ち合わせをしている時に大声で「おおさまぁー!」と呼ばれて、やっぱり恥ずかしかった、という話を聞いた。*3

夢明さんの勁文社時代のペンネーム「デルモンテ平山」というのは、プレイボーイか何かで執筆を始めたときに使っていたペンネームなのだそう。適当に付けた名前で、他にもいくつかの名前を使おうとしたら「ひとつにしろ」と言われたとかなんとかで、「デルモンテ」になった、とそういう話を以前聞いたことがある。現在の「夢明」という名前は実にかっこいい名前なのだが、あれは本名なのだそう。ウラヤマシス。


僕の場合、怪談以外の仕事のときには「加藤AZ(かとうあず)」で通していて、怪談のときは勁文社時代からずっとそうだったからというだけの理由で、ずっと本名になっている*4
本名が嫌いなわけではないが、この本名はデザイナー泣かせでもある。文庫のカバーに著者名を織り込むとき、漢字で「一」というのは目立ちにくい上に、「加藤」という苗字と比してバランスが悪い。どうしてもトップヘビーになってしまう。明朝体なんか使った日には、「一」は見えなくなってしまう。「平山夢明」とか「樋口明雄」という名前だと、全ての文字が全角の中にまんべんなく収まる。大変ウラヤマシス *5


と、それはともかく、ペンネームというのは基本的に一生モノである。
軽い気持ちで付けたペンネームがずっと付いてくることになるわけで、呼ばれて恥ずかしいペンネームは100%後悔する。
自己陶酔したペンネームも多分後悔する。「これは素晴らしい!」と思って付けた華麗な名前(笑)ほど、半年もしないうちに陳腐化する。陳腐化しても、もうそのときには名前のやり直しは効かないのである。
本来、名前というのは親がくれたり親方がくれたりするもの(相撲の場合)で、自分で自分に付ける機会は少ない。
だからといって、張り切りすぎるのもナニなわけで、いろいろ悩ましい。

*1:雑誌ライターなんてそんなものである(笑)

*2:企画内の一登場人物としての名前はあった。

*3:僕もそう呼んでました。王様、と。今でもそう呼びます。本人が電話してくるときも、未だに「もしもし王様ですが」というし。

*4:一度だけ例外がある。角川書店MOOK「仄暗い水の底から 都市伝説研究読本」に書いたとき、加藤FAUSTという名前だった。命名者は夢明さんだが、この一回しか使われなかった。

*5:平山夢明=▼▲●■、樋口明雄=■■■■、加藤一=■■− なわけで、文字の並びとしてのバランスの悪さは一目瞭然(´・ω・`)