最低下限本数とネタ温存

最低下限本数が3本なのはなんで?

さて、まずは最低下限本数の話。
超-1では最低でも3本、2本以下だったら失格、という条件を設けているのだが、実はこの3本という数字は大負けに負けた数字である。当初案というか僕の希望としては、5本や10本は書けないと、というのがあったのだ。
でも、そんな数字目標を設けたら、「気楽に参加」する人が減って、応募者がごく少数になっちゃうかも!? という懸念もあって、大分譲歩して3本になった。
例えば5本10本だと、手持ちのネタを使い切ってしまって、実戦投入するときにはネタがなくなってるのでは、という心配も確かにないではない。が、例えば夢明さんもそして僕も、「超」怖い話執筆陣は年二回の「実戦」のために年間を通じてネタのストックを増やしている。直前に慌てて取材をしているわけではないのである。もちろん、直前に大ネタが転がり込んできて慌てて差し替える、ぎりぎりまで取材する、ということはあるんだけど(^^;)*1


超-1の結果発表は7月末売りの「超」怖い話Θになるが、その後の実戦投入はさらにその次の「超」怖い話Ι(イオタ)になる。それまで、猶予期間はおよそ半年。(実際には4ヶ月程度)
その間にまた新たなネタを取材し、ストックを増やしていかないと実戦に間に合わない。
実話怪談というのは、このように書いている時間よりもネタを漁っている時間のほうが圧倒的に長く、重要でもある。なので、「自分の体験談を小出しにする人」よりも、「他人の体験談を聞きまくれる人」のほうが実話怪談には向いていると思う。自分の体験談は、出し切ったらそこで終わってしまう。同じ話を何度も書くわけにももちろんいかない。そうなると、取材力のある人が最後に生き残ることになる。


超-1が「最低3本。可能ならいくらでも。本数を多く投稿すること(上限)を設けず、またそれがそれなりに有利に働く(もちろん出来次第では逆方向にも働く)」ような規定を設けているのはこのあたりが大きな理由になっている。


また、当初から発表しているように、「今の時点での傑作」ではなく、「長期的に怪談を書き続けられる人材」の探索獲得が主眼でもあるわけだが、複数投稿可にした上で公募期間中に将来的に金を出して買ってくれる読者による講評の公開を促すようになっているのも、期間終了の時点で応募者のレベルが実戦に耐えうるところにまで上がっているなら、超-1としてはそれは喜ばしいことだから、でもある。


読者アンケートを読む機会というのは年に数回程度(もしかしたらそれ以下)で、読者がどう受け取っているのかを知る機会というのは、現実には職業作家でもそう多くはない。だから皆、自分の書いた内容についてレビューが乗っているAmaazonの評価を気にしたり、ファンのblogを巡回したり、そうでなければ書評の専門家が書いた内容などを気にするわけである。プロも小心なのだ(笑)


そうした講評を糧にして、超-1応募者の方々には急速成長を遂げていただく必要がある。
年齢に関係なく、経験に関係なく、成長意欲のある方だけが生き残れるのではないか、と思うのである。3本送ってこれで安心、後はネタ温存、というのは避けた方がいいんじゃないかな、と思う。

ネタ温存しちゃダメなの?


別にダメってことはない。
でも、「これはいつか書こう」と思って大切にしておいたネタをしまいこんでいるうちに、類似のネタを誰が先に書いてしまったりしたら。
「それと同じ話を俺は知っていて、俺のほうがずっと怖い、うまく書ける」
と言い張ってみてもそれは後の祭り、後出しジャンケンとしか言われない。
「○○○のパクリ」「真似」「後追い」と言われてしまう。
それが自分が体験したものであろうと、しっかりした取材に基づいたオリジナルであろうとも、だ。
そうならないためにはどうするかといったら、ネタ温存をせずにどんどん出してしまうしかないのである。
それが大ネタであるほど温存してはいけない。とっとと出すべきだろう。
例えば、能力的に自分には扱えないネタかもと思ったのなら、いつか自分自身が書き直す機会を持つことを前提に、とにかく現時点での全力で「自分のネタ」として書いてみるべきだと思う。


また、小ネタであっても発表の機会があるならお蔵入りはなるべく考えず、全放出のつもりでいたほうがいい。自分の感性でおもしろくないと決め込んでしまっておいたものが、他人に猛烈に受けてしまうという例は珍しくない。*2
その程度に、「自分の感性」というのはアテにならないのである。
逆に自分ではおもしろい、怖いと思ったものが、出してみたら読者には全然受けないということもある。それは料理の仕方であったり、怖いと思ったネタが実はそうでもなかったりと原因はいろいろだが、それとて出してみないとわからないことでもある。
その意味でも、自分の判断基準を盲信しないほうがいいと思う。
それを続けていたら、せっかくの大切なネタを無駄に消費してしまう、と心配する人もいるかもしれない。
簡単な解決方法がある。


もっとたくさん取材すればいいのである。


読み物は、読まれてナンボ。
何が求められているか、どういう書き方をすると受けるか、自分の何が受けたかを知るためには、実際に数を撃っていくしかない。
長く続けていこうと思うなら、ネタ温存をしているゆとりなどないのである。

*1:僕もよく置き竿に大物が掛かってたりするし

*2:Flashアニメ「くわがたツマミ」は作者のラレコ氏が「作ったけどつまらんのでしまいこんでいたのを、試しに出してみたら大受け」というものであるらしい。