なんと一年間に15人も!

町会の総会の報告と役員改選のお知らせが回覧されてきた。
見てみると、去年一年間でこの僕が住んでいる町内だけで15人も亡くなっているのだそう。
一昨年もそのくらい死んでた気がする。だいたい、1ヶ月に1〜2回くらいのペースで「5丁目○番地の○○○さんがご逝去されました」という物故回覧が回ってくる。
大部分は70歳を超えた高齢の方ばかり。「奥様」「ご本人」「お母様」などの文字は入るが、まあそろそろお迎えが来ても無理からぬお年頃の方が多い。ときどき「45歳」「52歳」などまだ早い方も紛れている。
隣のクリーニング屋に回しにいく都度、「あらやだ。また誰か亡くなった?」と聞かれるくらい、よく人が死ぬ町内なのである。


まあでも、全般に高齢者が多い街でもある。そのへん、仕方ないかなあとも思う。
僕が今住んでいる家も、元々は90ウン歳のひとり暮らしのおばあさんが亡くなって、その跡地に建てられたものだったと聞いている。なんか、敷地内に井戸もあったらしい。
「埋めるとき、ちゃんとしてましたか」
と、仲良くなった近所の人に聞いてみたが「してたみたいよ」という話なんで、一応安心している。
僕は猥雑な商店街が好きだったりするのだが、二階と店の奥が住居になっていて一階の三和土、土間が店舗になってるような、昔ながらの長屋風店舗もこの辺りには多い。ただ、店にいるのは概して老人で、店を使うのもお年寄りが多い。50も後半に近い八百屋の店主を捕まえて「お兄さん」と呼ぶおばあさんもいる。
開いている店も少しずつ減り、植木と自転車だけが置かれるようになり、ある日ふと気づくとシャッターが降りたままになる。

この辺りは古い建築法の時代に建てられた、隣家に張り付いて作られている家が多い。
隣を残して一軒だけ潰すと「家の痕跡」が隣の家に残る。まるで幽霊みたい。
シャッターの降りた家が何軒が揃ったなあと思うと、まとめて更地になる。
その後にマンションが建って、そうやって少しずつ住人が入れ替わっていく。


近所に江戸時代からあるらしいお稲荷さんがある。去年の大晦日にも書いたけど、普段は宮司もいなければ人が常駐してるわけでもないんだけど、むき身の油揚げやジュースや缶コーヒーやつまみ(もちろん未開封)なんかが供えられていて「地域信仰」がきちんと生きている。
ここだけでなく、この周辺には小さな分社のお稲荷さんがあちこちにある。
昭和の初め頃には牧場で、それより前にさかのぼると田園、江戸の外縁部の野原だったというから、狐信仰は残ってるのかもしれない。

そういえば、油揚げを供えている若い女性、その子供、なんかを見た。おばあちゃんの習慣を引き継いでいるものらしい。年寄りはいなくなっていくけれども、そうやって街は行き続けていくんだなあ、とも思った。


「一年間同じ町内に15人も死人が!」という怪談的おどろおどろしい話題(笑)から始まって、「街はうつろいでいくけど生きているんだね」というオチへ強引に引っ張ったところで、しばし怪談脳はお休みです。