新人

ちょっと昔話で。
大昔、僕がまだしがない編集者だった頃のこと。行きがかり上(笑)断れなくて、とある雑誌をお手伝いすることになったことがある。
その折、ほぼまっさらで実務経験ゼロの新人を何人か預かって、編集者に仕立て上げる、という経験を得た。


自分がわかってて自分にできることを、自分以外のわかってないできない人に教えるというのは、とんでもなく難しい。
「こうすればできる」「こうすればこうなる」というノウハウのようなものというのは、失敗や繰り返しの中から生まれるものだ。加えて、編集のスタイルは、出版社によって違うし編集部単位でも違うし、編集者個人ですら違う。ある程度の共通項はあっても、「これの通りにやればできる」という教科書はないわけだ。書式が違う、手順が違うというのは、出版以外の一般企業でも同じことだと思う。
そうなってくると、ノウハウというのは現場で培われるものだったりするし、そういった現場で培われた「その場所でしか通用しないノウハウ」というものは、ノウハウを培った担当者の脳内にしか存在しなかったりもする。
そうしたノウハウを持つことが、持たないライバル社や同僚に対するアドバンテージにもなるわけで、自分の業績や社内での地位(というか、権限)を考えれば、ノウハウは自分一人で専有したほうが当然おいしい。
だから、ノウハウというのは秘密だったりするわけで、なかなか普遍化はしない。担当者の退職・転職と同時に、ノウハウや人脈がまるごと移転してしまうというのも、この業界に限らずよくある話であるわけで。
かといって、ノウハウを教えてしまうと、「ノウハウさえわかれば、担当者はそいつでなくてもいい」ということになってしまう。自分の存在意義を奪われたくないから、やっぱりノウハウは教えたがらない。
このへん、ジレンマなのだと思う。
同様のことは、もちろん企業単位の話に限らず、もっと規模の小さい――例えば個人として書いている作家にも言えるかもしれない。自分のスタイルや流儀やノウハウをまるごと真似られて、かつ自分よりもうまく書く新人が現れたら、自分という書き手の価値は減衰してしまう。


話を編集者時代の経験に戻すと。
そういうわけで、ノウハウを持っていても教えてくれない人が多い世界……だったりはしても、雑誌というのは「人海戦術」で当たらなければできない仕事でもあるわけで、「自分と同じ能力を持ったクローンは、何人いても困らない」というものでもある。しかも、緊急事態ともなれば「一刻も早くノウハウを身に着けて一人前になってもらわなければ!」ということにもなる。
で、雑誌編集作業に関わる業種にどんなものがあるか、作業フローを書いてどういう手順で行われるか、何を確認しなければならないか、進行状況を図形的に把握するには、もし作業から脱落した場合(病欠・怪我・逃亡など)に備えた引き継ぎのための資料を日常的に作る習慣、報告と確認の手順……などなどなどを、一通り文書&図面化して徹底してみた。*1
とにかく「自分のクローンが必要」という必死さも手伝って作られた。そこにある通りにやれば、たぶん僕の仕事と同程度くらいはできるはず、と思う。実際やらせてみたら、なんとか緊急事態を乗り切り、以後の仕事も回して行けたようなので、一応よしとした。

このとき、実は一番得るものが大きかったのは僕自身だったと思う。見方としては確かに自分のノウハウを無償で分け与え、後にライバル(笑)となる編集者*2を鍛えていたわけだから、損をしていると見ることもできるかもしれない。
が、「人に教える」という手順を踏むことで、「自分の中にあるノウハウを形にする」であったり、または「自分の方法論を自分が確認する」ことができた。
方法論を確認することができると、改めてその方法論を人に伝えることができるようにもなる。
それまで「人にものを教える」という経験がなかった、また教えるのは難しいと思っていたのは、教えるための方法論の整理が自分の中でできていなかったからなのだ、ということもわかった。この点は大きかったとも思う。


そんなわけで、「教える」「育てる」というのはほんとに難しい。
よいプレイヤーがよい指導者になるとは限らないというのは、とりあえずジーコを見れば(げふんげふん)、原辰徳を見れば(げふんげふん)
逆にプレイヤーとしてはパッとしなかった人が、指導者として能力を発揮するというケースもある。というより、スポーツの世界では「名プレイヤーが名指導者になる」ことのほうが稀だ。名プレイヤーが天才であったとして、天才の方法論ほど凡人が真似るのが難しいものはない。子供時代のアインシュタインは、「いきなり答えがわかる。が、途中経過はうまく説明できない」という子供だったらしいというエピソードをたまに聞くが、ノウハウというのはやっぱり説明できないと伝達できないわけで。


僕の持つノウハウを理解獲得することができて、そのノウハウ通りにやったとしても、それはたぶん「僕と同じ程度」しかできないんじゃないかという気もする。方法論を伝達するというのはそういうことだからだ。
が、そこから「借りてきた方法論を拡張展開できる」人は伸びる。自分の中にあるものを形にする方法の「きっかけ」を得ただけで大化けを繰り返すようになる人も珍しくない。
結果として、ノウハウを伝えた僕をノウハウを受け継いだ側が乗り越えていくことになる。
「青は藍より出でて藍より青し」という奴だ。ノウハウを教えるっていうことは、結果的にそうやって自分の後継者、自分のライバル、自分を時代遅れにするものを自ら作り出すということなのだなあ、とも思う。


でもそうすることによって、「超」怖い話がずっと続くなら喜んで贄になりますよ、というのが僕の覚悟であったりもする。
「ガルマよ! おまえは俺をも使いこなす男になるはずだ!」
ということで、新人さんには早く編著者になって僕を裏方に戻して(笑)、僕に指図するほどに成長して頂きたいなー、と真剣に願っている次第です。そのためには、僕のノウハウでよかったら全部教えるよー、ということを、「彼ら」に伝えておきました。


それにしても、今後は「平山夢明「超」怖い話に比べると」とか「樋口明雄の「超」怖い話に比べて」とか、ずーっと言われ続けることになるわけで、そのプレッシャーたるや……orz うわあ、胃が融けそう。ビールで中和しないとダメだ。

*1:後に、他の編集部から「うちにもコピーをくれ」と頼まれたので、きっと出来は良かったのだと思う(笑) 必死だったし(^^;)

*2:彼らのうちの何人かは、他の編集部に散っていって、いろいろいい仕事をしたようだ。消えてしまった人もいるけど(^^;)