またまた靖国の話

怪談的視点(笑)から靖国神社A級戦犯合祀の話など。


日本では「大乱を起こした者」や「不遇の死を迎えた者」は、例え時の中央政府の敵であったり、仇なす存在であったとしても、「祀って鎮魂しないと【祟られる】」という考え方がある。
仏教神道という「宗教」の次元の話ではなくて、もっと原初的な信仰の時点で、
「生者よりも死者のほうが恐ろしい」
「死者はそれ以上は殺しても死なない。であるが故に生者は死者に敵わない」
と考える。
これは、日本風の怪談と洋物ホラーとの違いにも現れる。
洋物ホラーでは「モンスターを生者が倒す」という、何らかの方法で「敵(死者)を圧倒する」という概念のものが多い。ゾンビは銃でぶち倒すし、ドラキュラには杭を打つし、キョンシーは御札でどうにかするし。
が、Jホラーで示すまでもなく日本の怪談というのは、こちらが力で対抗しようとしても無駄で、彼らの無念や怒りに対して、謝ったり鎮めたりもしくはひたすら逃げたりする以外に方法がない。
さんざんぱら酷い目に遭い、どうにかこうにか許してもらった主人公が、後に原因になった幽霊のゆかりの地に線香を立てて祈るワンシーンが挿入されるような演出も珍しくない。
しかもなお、そういう幽霊は「何度でも復活」したりするし。


「死者、特に不遇の死を被ったものは、【供養】し、【鎮魂】しなければ祟る」
この概念は怪談ファンのみならず、広く日本人の「共通認識」と捉えてよいものだと思う。
平将門中央政府に抗い大乱を起こし処刑ではないけど殺された。首級も持ってかれた。
が、なぜその将門が祀られているのかと言えば、「祟るから」である。
今は学問の神様ということになっている菅原道真崇徳天皇も同様だ。崇徳天皇なんか「祟る」という字が(ry


祀り、鎮魂するというのは「どうか安らかに眠っていてください、目を覚まして怒りで暴れないでください」というお願いである。そういえば、日本列島は太平洋諸島にある原始的な信仰(アニミスムというアレ)と通じる概念を仏教輸入以前から持っていた。八百万の神々という概念も神道の専売特許でもなく、「どんなものにでも神様が宿る=八百万*1の神がいる」という原初の信仰の根が神道の形を取り、そうであったからこそ輸入された仏教(複数の仏様がいる上に、死んだら仏になる)や、キリスト教をひっくるめた「盆と正月とクリスマスの共存」が可能であるのだとも思う。


ここから考えた場合、神社に祀られている神(元は人)というのは、「偉い」または「力にすがりたい」から祀られているというだけではなく、「目を覚まして欲しくない」「祟られたくない」から寝かしつけるために祀っている、という側面も持っている。


靖国神社(及び護国神社)は、明冶維新での戦死者及びそれ以後に戦争で死んだ兵士軍人を祀っている。*2
戦争で死ぬということは、それそのものが非業の死でもあるわけで、「靖国の英霊」というのは基本的に怨みや怒り(誰に向けられているかという判断はともかく)を持った祟り神の集合体であると言っていい。
A級戦犯とされて刑死した人々は「戦争という直接原因による死」ではないが、やはり間接的には戦争と関連しての死であり、やはり「不遇の死」「怒りを持った死」であろうと思われる。


では、そういう不遇の死者を蔑ろにしたら。
これは、どう見ても絶対に間違いなく「祟る」んじゃないかなあ、という気がする。
どうか祟らないでください、安らかに眠っていてください、起きないでください、という鎮魂のためには、そういう大祟り神になりかねない死者に喧嘩をふっかけるようなことするのは、怪談的にどうかなあ、と。
*3


ただ、こうした「祟るから祀って静かにしていてもらうのだ」という考え方は、確かに日本的であり日本人なら納得されやすい説明かとも思う。が、ではそれが「宗教に根ざす考え方」かというと、そうでもない。*4
宗教(信仰)に根ざす考え方だと説明してしまうと、「政教分離」云々との絡みで話がややこしくなる。
加えて、「信仰上の理由を政治より優先するのか」云々という、無宗教な社会の公器の方々からもややこしいツッコミが入りかねない。
その点、小泉総理が「日本人の【心の問題】だ」とした説明方法は、ギリギリのところでうまい言い方をしてるなあ、とも思った。


実際のところ、「祟るから祀るのだ」的な信仰(思想)を、そうした「不遇死した死者」の鎮め方(死者が仇なす、という畏れ)は、「勝者は敗者(死者)を粉砕、墳墓も一族郎党も粉砕」という大陸的王朝交替が根底にある方々には、判って貰えにくいんだろなとは思う。
日本人はモンゴロイド種であり、中国・朝鮮半島を経由した文化の輸入を長年続けてきたといわれる反面、その底流に流れる信仰観というのは大陸的なものよりも環太平洋の海洋民族のそれのほうに遙かに近い。*5

近いようでも大陸人と海洋人の信仰のスタイルの溝というのは、一朝一夕には埋まらないものなのかも、と……いろいろ想像が広まりまくったところで、筆を置きたい。


結論。
不遇死した人が祀られてる靖国神社に手を付けると、祟られるかもしんない。

*1:たくさん、の意

*2:靖国神社銅像のある大村益次郎後藤新平などの明冶の立役者も多く祀られている。戊辰戦争などの内戦の死者を祀るのが最初だったそうで、これは官軍側も幕軍側も隔てることなく祀られてる。この後の、日清、日露戦争の死者も祀られている。元々が戦死者の鎮魂施設であったわけで、そこから軍の管理する軍事神社のような様相を帯びていったのは無理からぬこと。護国神社じゃないけど、戦いに赴くときに勝利祈願をする真の意味でのWar Shrineというのは靖国/護国神社とは別にあって、太平洋戦争の出征なんかでもずいぶん勝利祈願がなされてるはずなんだけど、そっちは全然問題になりません

*3:先の富田メモで言われているところの「A級戦犯」のうち、昭和帝が嫌っていたのは「国際連盟を脱退して、三国同盟を決めてきちゃった松岡洋右」なのだそうで、広田弘毅A級戦犯の代表格として嫌われている東條英機は、「まじめな男」として昭和帝の信頼厚かったのだそう。さらに言えば、昭和帝が親拝を止めたのはA級戦犯が合祀されたから、というのは誤解だそうで、A級戦犯が合祀される3年前の親拝が最後。どちらかというと三木元首相の私的参拝云々で政治問題化してしまったから、行くに行けなくなった、というのが本当のところの様子

*4:僕は「宗教」と「信仰」は分けて考えるべきだと思っているが、この話はまた別の機会に

*5:若衆宿制度なんかもそうだけど、信仰、人、もの、いろいろなものが海流と一緒に行ったり来たりしてたんでしょうかね