怪コレ3

ほぼ台割が決まった。


僕は本当は怪談は苦手だが(怖いから)、よい怪談というのはやはり「人に読ませたくなる」「人に話して聞かせたくなる」という衝動に駆られるものではないかと思う。
「人に読ませたくなる怪談」と「人に話して聞かせたくなる怪談」のどちらのほうがよいのかと言えば、商業的(笑)には「人に読ませたくなる怪談」と答えるべきなのだろう。「詳しくはこの本読め! 僕ではうまく説明できない!」と言って、本を買ってくれる人が増えるなら、そんなありがたいことはない。
一方で、怪談が「人から人へ口づてに伝わっていくもの」という性格を元々帯びているものであることを考えると、「聞いたらうずうずして人に話したくなってしまう怪談」のほうが、「うまく説明できなくて、原典を読むことを薦める怪談」よりも、より優れているように思う。
実話怪談は「体験者の体験を、他の人に伝える」ということに、全ての労力を注ぎ込む。その意味で、読んだ人が他の誰かに思わず話したくなる、という衝動に駆られる怪談は、その本来目的をよく果たしていると言える。
また、「読んだ人間が他人に話したくなる」ということは、読んだ人間が元の体験の骨子(ストーリー、起きた出来事など)を、よく把握でき、よく反芻でき、よく消化でき、その上で二次的三次的な伝道者になっている、ということでもある。
怪談が「人から人へ口づてに伝わる」という性質であるには、元の話は読み物としてよくできているというだけでなく、「人に伝えたくなるインパクト」を備えていること、加えて「他人に説明するのに必要な諸要素を提示し、読者によく理解させ、リレーすることができる」ということが実現していなければならない。
実話怪談本は「他人と怪談関連の雑談をするときのネタ本」として役立てばいい、とも思う。ネタ本であるためには、「思わず引き合いに出したくなる」「自分の言葉に置き換えても、話の骨子を損なうことなく伝えることができる」が満たされている必要がある。


怪コレ1・怪コレ2に納められた怪談の多くが特に優れていたと思うのは、読んだ話を「こういう話があってさー」と自分の言葉に置き換えて未読の他者に披露できる、という点である。そして、思わず話したくなるインパクトも備えていた。

怪コレ3は新作が大挙投入されることになるわけなのだが、「これは誰かに話さずにはおられない!」というものがひしめいている。特に物凄いのが幾つかある。
で、立場的に僕はその衝動を発売後まで抑え込んでおかなければならないわけなのだが、今は一刻も早くその怪談について読後の皆様の声を聞き、心ゆくまで語り合いたい、と思っている。怪談を前にして僕がこう思うのは、実に希有なことだ*1

楽しみにしていていただきたい。
僕のこの「早く誰かに言いたーい!」というストレスの大きさを、一日も早く共有していただけるよう頑張ります。
追い込み追い込み。

*1:……だって怖いんだもん(´・ω・`)