印象報道

新聞が小説になってしまったのは、いったいいつからなのか。
新聞記者出身で小説家として大成した先人は、尊敬する司馬遼太郎を始め数多くいるのだが、そうした先輩を夢見すぎて新聞社在職中から「新聞記事を文芸的に脚色」するのはいかがなものか、と思う。
わざとやっているのか、既に無自覚にそうなっているのかわからないのだが、前者なら確信犯だし後者なら救いがたい阿呆だし。事実報道を心掛けなければならない新聞などで、「耳に心地いい表現」や「感情を励起する表現」があったら注意しなければいけないかも。
また、新聞は事実列挙の後の最後のパラグラフで「記者の主張、期待、希望」が伸べられていることがある。
「○○○は避けられない」とか
「○○○の疑惑がある」とか
「○○○が予想される」とか
「○○○の声もある」といった表現がそれで、そういうのは
「このあと○○○になってほしい」
という記者の願望を書いた蛇足的作文でしかない。そうするとつい、
「そうか、真実は○○○なのだな」とか
「今後○○○になるのは確定路線なのだな」と思いこんでしまう。
文章に対して注意深い人や、読み取ろうという意識の強い人ほどそうした記事「表現」に踊らされてしまう。
こういう煽動口調の文章って昔どこかで見たな。資料として。と思ってたら、戦前の「打ちてし止まん」系の文章にやたら共通点があった。かつて「大本営発表」や「鬼畜米英」や「進軍喇叭で突き進め」系の文章は軍国主義がそうさせていた、強制によってさせられていた文章だと教わったような記憶があるのだが、現在の新聞・報道に「手法」として今も見られるこうした扇情的傾向は、それでは誰の強制によってさせられているのか、とも疑いたくなる。
一次情報、事実を知りたいのであって、記者の願望は邪魔なのである。


かつて、「一次情報に直接接して、その声を代弁する」というのは新聞・報道の独占的事業だった。
それが正鵠を極めているなら、その役割を今後も既存の新聞・報道が独占するのもあるいはやむなしと思わないこともない。
が、一次情報発信者が新聞・報道を介さずに直接発信できるようになってきた昨今に加えて、せっかくの一次情報に接している新聞・報道が間違った解釈や要約をばらまいたり、記者の願望という余計なものを貼り付けて一次情報をわかりにくくしたりということが続くとなると、一次情報に直接接してその声を代弁するという事業を独占させておいて本当にいいものかどうかと悩ましく思えてくる。
僕は読者ページの仕事に長く関わり、また今日超-1など一次情報の所有者を直接世に出す機会を作ることにも関わってきた。新聞・報道ではないけれど、一次情報を開拓紹介する、類似した仕事に従事しているが故に、余計に心配でもある。
もちろん、情報を解析整理するスペシャリストの需要は今後もなくなることはないだろうこともわかる。
しかし、その情報分析・情報解析すらも、新聞記者(もしくはデスク?)には荷が勝ちすぎているのではないかと思うときがある。象徴的だったのはいつぞやの「森元総理の干からびたチーズ事件」や、「BDA問題を巡るチェックメイト」など。
チーズ事件のときは、一次ソースが映像として流れた数時間以内に「あれは偽装。小泉(前)総理と森元総理による芝居」という解析がネットの情報解析系スレッドやニュース系blogでは支配的になっていたのに、新聞・報道がそれについて「してやられた」と自覚したのは、郵政解散選挙が歴史的な与党大勝を納めた2ヵ月後の、森元総理の裏話開陳によってであった。
BDA問題を巡るチェックメイトについては「国際金融にアクセスできないことの意味」*1が、これもまた経済・金融系スレッドと市場ウォッチ系blogなどではかなり早い段階で解説されていたものの、その間、国内の新聞・報道はそうしたチェックメイト状態については長く解説できなかった。
現実的な状況把握が収益と進退に繋がるエコノミスト系の把握の早さは自己防衛意識からだと思うのだが、同じ情報を扱っている新聞・報道がなぜそこまで情報解析が遅れたのかは、謎を通り越して不思議でもあった。


そういうわけで新聞にはもはや情報分析者としての資質すら期待していないので、せめて準一次情報発掘者としてのソース提示*2くらいは踏まえ、それ以上の色気を出さないでいただきたいなあ、と思ったりする。

信頼できないアジテーションチェック*3

  1. 闘争*4 
  2. 戦い 
  3. 子供達を戦場に送るな(←代わりに自分が行かされるかも、という想像力の欠如が問題) 
  4. 自分達は戦いたくないけど、自衛隊が戦うのも反対だから無防備都市宣言 (←同上)
  5. 公務員の市民団体での活動を制限するな*5 
  6. コスタリカコスタリカ*6 
  7. スイス!スイス!*7 
  8. 改悪 
  9. 数の暴力*8 
  10. 〜と唇をかみ締めた*9 
  11. 〜と悔しさをにじませる*10 
  12. とはいえ〜との声も強い*11 
  13. いずれにせよ〜避けては通れないはずだ*12 
  14. 北の楽園*13
  15. 民主的
  16. 自由
  17. 語気を荒げた(強めた)
  18. ポルポト*14はやさしいおじさん
  19. アジア諸国西アジア中央アジアは無視)*15
  20. 東京と比べ、地方では〜

3つ以上あったら、眉に唾をつけて読んだらいいかも。

そういえば、天声人語ジェネレータというのもあった(笑)
まだあるかなー、と思ったら残ってたので久々ながら紹介。

便利な!天声人語風メーカー ver.2.2
http://taisa.tm.land.to/tensei.html

*1:北朝鮮側が講じられる手段が完全に詰みになること

*2:最近では、共同通信など通信社による外電ソースの誤訳や超訳も問題になりつつあるらしい。TOEIC高得点の素人(笑)がわさわさ市井にいる時代ともなると、そういうことの指摘も頻繁に行われているようだ。でも、警察が身内の犯罪を隠すのと同じ理由で、報道は身内の誤謬は報道しない。

*3:出典は某巨大掲示板から。解説を一部追記。

*4:「闘」という文字を使う記事は眉唾で読むべし

*5:法令上、公共に奉仕する公務員は政治活動禁止。

*6:南米の小国。非武装永世中立の理想的平和国家として紹介されがちだが、その憲法はすでに破棄されている。現在はアメリカを含んだ集団的安全保障「リオ条約」の枠組みの中におり、「軍」は保持しないものの、国力比で言うと日本の自衛隊に相当する集団的自衛権行使のための常設軍事力として「警察軍」を持つと同時に、徴兵制を敷いている。

*7:EUにも加盟してこなかった永世中立国としてこれまた平和国家として紹介されがちだが、スイスは国民皆兵の重武装中立国。加えて近年、EUへの加盟が推進されている。

*8:多数派有利のときに使われるが、少数派に多数派が従属するようになったら、それは「数のエリートによる虐政」である。権威をもった独裁者を許さない民主主義の世界では、「数の優位」が権限を保証する。数の優位を認めない世界は民主主義の世界ではないわけで、これは実は「少数派が多数派を牛耳ることを肯定しろ」という恐るべきロジックだったりする。

*9:以下は、ブンガク的印象操作の典型で、日常的にも新聞によく使われている。

*10:同上

*11:こういう表現の場合は、世論はまだ共通化されていない。記者本人の主張ではなく他の誰かがそう言った、というソース曖昧な主張が主流であるかのように誘導する場合に使われる。

*12:同上。「〜はずだ」と続く表現は、記者にとっての理想と現実が異なる場合に、理想を優先するのが正義だ、という誘導のために使われる。

*13:この言葉は北帰事業のときに宣伝として散々使われたそうな。

*14:カンボジアの独裁者。国民を多数虐殺。

*15:この表現の場合、主に中国、韓国、北朝鮮を指すが、確かにモンゴル、サウジ、UAEブルネイ、タイ、マレーシア……といった、その他のアジア諸国を含める意図にはなっていないことがほとんど。