雑感:順位付け

点数を付けるとか順位を付けるとか、そういうことに向かないジャンルというのは確かにある。
その一方で、「では誰(どれ)を残すのか?」という取捨選択を問われる機会は、あらゆるものに対しておしなべて公平にある。
何が残されるべきかという意見について言えば、優劣というよりは「好き嫌い」が実際には大きな影響力を持つものなのかもしれない。好かれるものが正しく嫌われるものが間違いとは言えないし、その逆も本当のところはわからない。
が、「残したい、他の誰かにも伝えたい」と強く望み、望まれたものだけが実際に残っていくのだろうなあ、と思うことはしばしばある。
超-1は、良いものや優れたものを探し見つけるというよりは、どうしても残したいもの(者、物)の優先順位を、点数で決めていく(点数だけではないけれど)という催しであるのだ、と思っている。
残さなくてもいいもの、残したいと望まれないものは、残らない。
残したいと著者当人が望まなくても、読者に残したいと強く多く望まれたものは残る。
「残る」というのは、そういうことなのではないかと思う。
応募作品や応募者に順位を付けることは非常に忍びないことなのだけれど、椅子は無限にあるわけではない。
前年以前の作品についても、可能な限り残していきたいけれど、傑作選の誌面には限りがある。


超-1という「楽しいイベント」の最後に来るのは、順位付けという辛い作業だ。
講評者に広くお願いしている著者推薦、応募者にだけ課された最後の質問。
この答えを待つ短い時間が僕にとっての息つく最後の時間となる。


超-1が楽しいばかりの催しではないことを、本当に申し訳なく思っている。
が、しかし。
この先もずっと書いていくって、そういうことなのだ。
年間数冊以上の本を書き、それをずっと続けていく商売。奇特な人がやることだ。
超-1は、そういう奇特な人たちに細く門を開いている。
本当は、気前よくバーンと門を全開にしたいところだけれど、僕にはそんなに力はないので。
なんとかこじ開けた隙間から手を伸ばして「おいでおいで」と招き寄せ、その細い隙間をこじ開けて入ってこようとする人、無理矢理身体を押し込もうとする人に、ほんの少しの機会を作るくらいしかできない。本当に申し訳なく思っている。


超-1には、怪談を仕事にしようと思っていない人もいる。
うまくそれを伝えたい、自分が持て余している話を聞いてほしい。それだけのことを求めている人には、超-1は辛いばかりの催しだったかもしれない。
来年があるとしたら、やっぱり応募者にとっては辛くて厳しくて楽しくない大会になるかもしれない。
講評者或いは読者に専念するなら楽しくて楽しくて仕方ないかもしれないけど。


来年があるかどうかは、今の段階ではこれっぽっちもわからない。
何しろ僕にはそれを確約できるほどの力も権威も何もないからだ。
だから今は約束しない。


著者推薦は6/13まで。
最後の質問は6/15まで。
今年の超-1でできることは、今週いっぱいですべて終了です。
どうか悔いのないようにお願いします。