ぼちぼち怪記が追い込みです

戻ってきたゲラをつきあわせつつ、再校&校了がじわりと視野に入ってきた。

つくづく、編集という仕事そのものが好きなんだなー、自分ー、と天職を感じつつも、その仕事に追いまくられてるときは「なんでこんな、なんでこんな」と罰ゲーム感をひしひしと感じる(笑)
生まれてきたのが罪で生きていくのが罰っていうのは誰の歌だっけ(^^;)

過去の仕事でもとにかく
「神様、なぜ僕は二週間もうちに帰れず、全身から油粘土の臭いをさせているのでしょう*1」とか、
「神様、同僚が次々に倒れて減っていきます。若いだけ頑丈なだけが取り柄の僕の仕事が指数的に増えていくのはなぜでしょう*2」とか、
「神様、なぜ入稿間際まで作業が進んでいるのに、今から48頁も減らさないとならないんでしょう*3」とか、
「神様、校了日期限まであと20時間を切っているのですが、まだ組版を始めてません。間に合うのでしょうか*4」とか、
「神様、編集作業を始めた途端、パソコンが壊れました。明日は日曜でその後はGWなんですが、どこかに大急ぎでパソコン売ってくれる店はないでしょうか*5」とか、


……挙げるだに恐ろしい(^^;)
これ全て、罰ゲームであると思う。
およそ本を作る、本を書くという商売は好きでなければ務まらない。これはこの商売に限ったことではなく、好きでなければ続かない仕事というのは多々あると思う。
好きなことを仕事にできていいわねー、なんて言われたこともあった。まあ、確かにそうなんだけど、好きなことを仕事にしているとそれはそれで辛かったりもする。
好きなことなら、とことんまで楽しみたい。でも、仕事でやるからには何もかも好きなようにするわけにはいかない。それは期限の制限であったり、表現上の制限であったり、政治的な制限であったりもする。出版のような、不特定多数の人々が連携して作り上げるチーム仕事となれば尚更だ。
編集の仕事はそういうチーム仕事の潤滑油だったりハブだったり、ただのパイプに見えて重要な指揮官だったりと、いろいろだったけれど、「思い描いたことを心地よく」という局面は過去22年を思い返してみてもあまり多くなかったように思う。
いつもどこかで時間や制限、政治的wな事情、そういったものに考慮したり配慮したり、自分を出したり引っ込めたり、そういうすり合わせをしながらやってきたわけで。
それでも、時間と人材の間に挟まれた状況での仕事で猛烈な負荷が掛かるときは、やっぱり「これなんて罰ゲーム?」と思わずにはいられない(^^;)
なぜこんな罰を受けてるのか、と毎回思う。
好きなことを仕事にしているが故に、その代償として辛く苦しい罰を受けているのか。
それとも、好きなのは仕事ではなくて罰のほうなのか。

即ち、罰を受けるのが好き



……Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
マゾだ。マゾだ。マゾがおる。


怖いものが好きなわけではなく、ただ怖がりなだけなのに怪談の仕事ばかりがきてしまう現状というのも、これはこれで罰ゲーム。
問題は、その罰ゲームを嬉しそうに受けてる自分と、罰ゲームでひーひー言う僕の姿、そうして作られた罰ゲームの産物wを楽しみにしている人がいて、またそれについ応えたくなってしまうマゾで露出狂な自分が同居してるってことかもしれない。
安穏な暮らしもできようものを、心のどこかで波瀾万丈を期待してしまうのも、マゾだからなのか。


人生是全て罰ゲームなり。
生まれてきてごめんなさい。苦しい。でも楽しい。


そういうわけで、今週は松村進吉初単著【「超」怖い話 怪記】を追い込み。
苦しくて楽しくて、しかしこれなんて罰ゲームwwwwwwwww

*1:そこまで行くと自分が臭くていやになる。これは某雑誌創刊の頃と、某雑誌副編時代の話で、編集部に自前の寝袋を持ち込んでいたのだが、その寝袋がもう臭くなっちゃって、靴下から立ち上る納豆の臭いが染みついてとれなくなっちゃって、あれって結局捨てた記憶がある。横になっても自分の臭いで眠れないという、まさに罰ゲームw

*2:思えば、僕も早いところ倒れてしまって、「後は……頼む……ぐはっ」とか言えば良かったのかもしれないんだけど、結局ぎりぎりまで頑張っちゃった結果、40度超の熱を何度も出して過労死寸前まで行ってしまうことになった。成人が40度の熱を出すと、キンタマが煮えちゃって子供もできなくなる。非常に危険。

*3:とある文庫形式のゲームブックの話w ゲームブックだから、迂闊に描写を行削除して圧縮すると内容に矛盾が出てしまうため、改行を詰めたり台詞回しを弄ったりで、ほぼ同内容のまま頁数だけ圧縮するという荒技が行われた。

*4:しかし、この経験のおかげで「どこまで無理が利くのか」「どこまで無理をするとクオリティが崩壊するのか」という限界値と制限値を知ることができたのは大きな収穫。やはり無理強いをしてみないと、自分の真の限界というのは計り知れないもので、この19時間校了の前は3日が限界、その前は1週間以上圧縮するのは無理、という段階を踏んでいた。現在では「もし、推敲の必要がない程度に文章ができていて、ゲラ出しはするけど著者校を待たなくていいのなら」という条件なら12時間以内くらいまで圧縮できそうな自信がある。あるけど、そんなものは多分商品としてかなりどうかというレベルになると思うので、やらないのが吉。ともあれ、自分の限界は自分が思っていたよりも案外深いところにあるということを知るには、限界を超えた仕事をしてみるに限る。ただそれはとてつもなく罰ゲームw

*5:それは今のように夜10時までパソコンを売ってる量販店がそこらじゅうにある時代の話ではなくて、一台20〜30万円がザラだった頃の話。結局、6万円の組み立て済み格安ショップパソコンを入金確認を待たずに19時間という超特急で送ってもらい、事なきを得た。今でこそ注文から配送まで24時間というのをうたい文句にしているショップも多いけど、当時は注文から配送まで2週間が普通、1週間なら神に近いほど早い、と言われていた。その中での19時間はホントに神配送だった。しかし、あれは本当に死ぬかと思った勁文社「超」怖い話の思い出w