メディアリテラシー

第2次安倍改造内閣の顔ぶれが決まった、というのが昨日から今日にかけてのトップニュース。
小泉改革を引き継ぐことを公約に総裁選で7割の支持を得、支持率70%で始まった第1次安倍内閣は、改革派を採用する人事だった。当然ながら、改革を約束したのだから、改革派=若手が選ばれ、総理が改革派なのだから総理と同調する改革派が重用されるのは当たり前なのだが、これを「総理に同調=お友達内閣」としたのが、先の第1次安倍内閣への評価。
参院選での大敗は、「安倍内閣小泉内閣から引き継いだ改革が否定された結果」というのが報道による敗戦分析なのだが、それを正義とするならば第2次安倍改造内閣の陣容は「改革+改革以外を唱える議員」を人選したことにもなる。かつ、若手重用路線から、各派閥の領袖を閣内に入れた挙党一致内閣になっているのだが、これはこれで今度は、「古い自民党内閣」「改革を捨て、古い自民党に戻ろうとしている」という批判。


どんな物事にもメリットとデメリットがあり、ある側面から見たメリットは、他方から見たらデメリットに見えたりする。全員が納得するのが一番いいのだろうけど、それは無理だから、双方が歩み寄れる最大公約数とか、支持者の多い最大多数派の意見を採用する……というのが民主主義。
つまり、選ばれなかった少数意見や、反対側の意見というのが常に不満として残る。
今回の第2次安倍内閣は、第1次安倍内閣に対する不満を解消するため、という側面もあるのだが、そうすると「第1次安倍内閣のほうがよかった」「改革が蔑ろにされている」という不満意見も現れてくる。
そうなると、今までは「お友達内閣」「若手ばかりのごっこ内閣」と批判していたものが、今度は「古い自民党内閣」「派閥重鎮を使いこなせるのか」という批判に切り替わる。
いつのまにか、批判の矛先が変わってしまっている。


似たような批判事例は他にもあって、

赤字国債の発行=国の借金体質を改善し、財政改革をせよ」
 ↓支出を減らし、赤字国債の発行高を抑えると、
地方切り捨て。地方は公共事業なくして成り立たない。地方の景気対策=地方への支出を増やせ」
 ↓地方への支出を増やし、公共事業を増やすと、
「バラマキ政策。ハコモノ公共事業で無用な支出を増やしている」
 ↓バラマキ政策を控え、公共事業を凍結すると、
「国民の目線に立たない冷遇。景気対策を行え。地方の財政を考慮すべき」
 ↓税源移譲により、所得税(国税)を住民税(地方税)に付け替えると、
「住民税高騰! サラリーマンの財布を直撃!」

それぞれの批判は確かに間違いではないのだろうが、これらの批判はあまりにも近親眼に過ぎる。
ある批判に対する対応策を講じれば、必ずその対応策で割を食う側からの批判があがる。それを、一貫性なく批判する意見だけを次々に取り上げていくことで、立っても座っても咳をしても熱を出しても、批判を継続することができてしまう。
これは、批判を行う側に明確な主語がないことが原因である。報道は不偏不党の原則があるが、これを「満遍なく何をやっても批判してよい」と解釈するのは間違っている。


情報が氾濫している現代では、どの情報を信じていいかわかりにくい。だから、新聞やテレビなどの報道は「正しいもの」として扱いたくなるが、それらが常に正しいことを言っているかというとそうでもない。その上、「目の前の問題としては正しいが、それ以前の問題との関連性を考慮すると、矛盾を生じる」というようなことも多い。
新聞・テレビも結局は「二次情報」でしかないわけで、一次情報を出す当人が直接発言した内容を、切り貼り編集せずに確認することができる環境が整いつつある今、二次情報加工業の「解釈」を鵜呑みにするのは、メディア・リテラシーの観点から言えばあまりよろしくない。


もし、新聞記事やニュースに「感情を刺激する言い回し、なんらかの印象を誘導する表現」が入っていたら、一歩引いたほうがいいかもしれない。

  • 語気を荒げた。
  • 強気の発言を行った。
  • 不快を露わにした。
  • 得意げな顔をした。
  • 弱気が見られた。
  • 不安げな表情で、

例えばこういった表現は新聞にはよく見られるが、これは全て記者の主観に基づく印象に過ぎない。四六時中不安げな顔が地顔の人もいれば、口調がいつも怒ってるw人というのは珍しくない。全ては記事を書いた人間には「〜そう見えた」に過ぎないわけで、これは事実の記録というより記者による観察日記や作文に近い。
また、

  • 〜が心配される。
  • 〜という声が上がりそうだ。
  • 〜各界で波紋を呼びそうだ。
  • 〜問題視する意見が出るのも時間の問題だ。

というのも同様で、「そうなって欲しいな」という記者の願望でしかない。
こういうのを、「そういう意見がもう出ているんだ、そうか、バスに乗り遅れるな!」と同調してしまう例もある。


新聞やテレビ・ラジオから世情を聞いている人、或いは携帯配信の一行ニュースや、駅売り新聞の見出し、車内吊り、2ちゃんねるのニュース速報板のスレタイwから情報を取っている人は、要約された見出しからニュースの断片を聞き取ることが多いが、それらの中には見出しと記事内容が180度逆とか、見出しが誤解を呼ぶようなものになっているケースが多々ある。でも、忙しいから中身を見ない、見出しだけでわかったような気分になり、そこで実際と違う理解をして、後で大恥を掻いたり、大きな不利益を被ったりする。


メディアリテラシーは大事だよ、というお話。

メディアリテラシー

  1. 情報を流して得する人を考えてみましょう。
  2. 可能な限り情報のソースを確認しましょう。
  3. コメントはその人の意見であって事実ではありません。
  4. 片寄った意見はなんらかの裏があるはずです。情報だけを見るようにしましょう。
  5. 2つの意見があるとき*1、マスコミの誘導に載らない決断力を持ちましょう。
  6. 雑誌や番組のタイトルや見出しに惑わされず、中身を見るようにしましょう。
  7. 意見の偏りやその人の専門を見極めるために、情報提供者の名前を覚えるようにしましょう。
  8. メディアの人間がアクシデントに対しどんな対応をするか見極めましょう。
  9. メディアは知っていることすべてを報道するわけではないことを覚えておきましょう。
  10. 大勢が判明するまでなにかを語ることは避けましょう。

ニュースは、そのソースによっていくつもの異なる分析が可能です。
重要なニュースについて、ソースに基づいた意見を述べるときは、同一ニュースを扱う複数のニュースソース(外電の場合も同様)を比較検討し、飛ばし記事(ガセ)や印象操作・捏造報道に引っかからないように気をつけましょう。

「報道機関に可能なことと言えば、通常は、どこかの役所や機関が独自の思惑で記録した資料を借用して、大衆に示すことだけなのだ。新聞が伝えるそれ以外の部分は、すべて、書き手の意見や主張や、気まぐれや、はにかみや、はったりにすぎない。」(「メディア仕掛けの政治」)  ――ウォルター・リップマン


※某政局ヲチスレのテンプレから引用。


PS.
本当は「清廉潔白な無能と底意地の悪い有能」というタイトルでエントリーを書くつもりだったんだけど、メディアリテラシーの話に終始してしまったので、とりあえず改題(^^;)
清廉潔白な無能〜については、フォン・ゼークトの「無能な働き者」とも通じる話なので、いずれ機を改めて。

*1:この「2つの意見」というのは案外くせ者で、例えば「死刑廃止論」と「死刑存続維持論」がある場合、意見は確かに「反対か賛成か」のふたつしかないのだが、「2つの意見がある」と言われると、我々はつい賛成も反対も同数がいて、意見が拮抗している、という錯覚に陥ってしまう。実際には「死刑廃止論賛成は全体の10%」「死刑廃止論反対は全体の90%」という意見分布であったとしても、それらを支持する人数比率が出てこずに、単に「意見が2つある」と言われると、つい50%ずつの意見拮抗を連想してしまう。そういう二択を迫られる状況下で、一方のデメリットばかりが繰り返し喧伝され、もう一方についてはプラスともマイナスとも論考が出てこないような場合は、何らかのミスリードが行われていると疑うべきだ。我々は「悪い」と挙げ連ねられたものを嫌うあまりに、良いとも悪いとも言われないものを中庸と信じて肩入れしてしまいがちだからだ。いざそれに乗り換えてみたら、前任者より酷かった、なんて事例はいくらもある。細川内閣とか。