黄昏校了とDTP四方山話

本日、黄昏が無事校了
毎度言ってることだけど、僕が言う校了というのは「印刷所に投げ込んで、後は面付け確認&青焼き校正くらいしかやりませんし、それは版元編集さんがやるので現場編集(組版)の手は完全に離れましたよー」くらいの意味で、印刷所側から見ると「データ納品、データ入稿」のような感じ。
通常はこのデータ入稿の後に、さらに初稿が出て再校が出てという工程を踏むのだが、「そんなもんはこっちで全部済ませておいた。面付け確認と念のため青焼きだけ出してくれ」という豪気なスタイルでずっときているので、これが実質的校了ということで。

  • 最終版を全ページ出力(プリントアウト)した印刷見本
  • InDesignのパッケージデータ
  • 念のためPDFファイル(見開きと単票)
  • 印刷依頼書

これで1セット。印刷見本以外はすべて1枚のCD-Rに収まっている。
本当は、印刷見本もPDFファイルから出力したなので、わざわざプリントアウトせずに「PDFから出しておいて」ということもできんことはない。そうなると、全てのデータ一式をメールに添付して入稿っていうことも、技術的には可能になる。
これで、写真やイラストなどの図画原稿が付く場合は、その図画原稿のサイズがべらぼうになるので(印刷用の画像原稿というのは、とてつもなくでかい)、「技術的にはメールでも送れるし、FTPにアップロード/ダウンロードすることも可能」ではあるんだけど、CD-R/DVD-RやHDDに入れたものをバイク便で物理的に運んでもらったほうが、遥かに高速&安価になるらしい。
図画情報ほとんどなしの文庫本では、組版データファイル+原稿+PDFまで全部付けたって、8〜9MBくらいでしかないので、時間的にも費用的にもメールでも十分いけるというかCD-Rがむしろもったいないくらい(^^;)
そうは言っても、「途中でミスや不具合があってはいけない」という慎重に慎重を期すのが出版/印刷の世界の習わしなので、できるだけ「物理的なパッケージ」があるほうが、後で責任問題になりにくい。
DTP*1がこれだけ発展した昨今でも、そうした技術の浸透や使いこなし熟練度の個人差というのはあるわけで、未だにメールの受信が出来ない編集さんというのも実在するし、画像データのコンバートができない新人さんというのも実在する。誰もが自分と同じ程度以上のGEEKだと思ってはいけない(笑)


また、出版/印刷の世界というのは、なんとなく「ゴムのようにスケジュールが延びる」ような錯覚があるのだがw、それは編集の段階で相当な無理をさせている(作業手順に無駄があるわけではないが、万一に備えたバッファになっていて、工程を飛ばす、省略する、担当者が徹夜する、などで不慮の事態に対応するようになっている)。
これが、編集の手を離れて印刷所(組版/印刷)が拘わってくる段階になると、スケジュールはゴムのようには延びなくなってくる。


僕のところのように、著者が編集も組版もやっているような場合は、印刷所は最終的には「印刷機を空けて待っている」だけなので、納品さえ間に合えば印刷所に負担は掛からない。そうではない一般的な手順で本を作る場合、原稿をアップさせた後の組版やゲラの直しなどの作業は印刷所(或いは製版、デザイナーも)が行うことになるため、彼らのスケジュールを圧迫しないためには、原稿はスケジュール通りに上がらなければならない。
そして、執筆・デザイン・組版・編集(校正とか諸々)を終えたデータはようやく印刷所に納品されるわけなのだが、印刷所に納品するまで&した後は、印刷機のスケジュールが最優先になる。


おおざっぱに言ってしまうと、印刷機というのは物凄く金額が高い機械なので、できるだけ遊ばせる(機械が動いていない)時間を作らないようにして、次から次へと効率よく仕事をさせたほうが印刷所は儲かる(というか、減価償却が進む)。ひとつの印刷機で、「今日はA社の文庫、今日はB社の単行本、今日はC社のコミック」というように、いろいろな本をこなしている。*2


A社の文庫の著者原稿が遅れ、その遅れを編集で吸収*3できないと、データ納品が遅れる。データ納品が遅れると印刷機のスケジュールを空けて待ってる印刷所に負担が掛かる。
A社の文庫が遅れれば、同じ印刷機を使う順番を待っているB社の単行本、C社のコミックの全てに影響が出てしまう。そうなると印刷所の責任問題に発展してしまうので、A社の遅れを取り戻すために印刷所も残業しなければならず、余計なコストがかさむのでA社の文庫にはペナルティが掛かる(場合がある)。ペナルティは、「罰金としてのコスト上乗せ」だったり、優先順位の変更だったり(B、C社を先に刷ってA社後回し)いろいろあるらしい。
が、影響はここだけでは済まない。


印刷の後の、例えば断裁機、製本機などにも予約は入っているし、完成した本を取り次ぎに運ぶ配送トラックだって予約が入っている。日程が遅れればあらかじめ入れてあった予約をキャンセルしてスケジュールを組み直すことになるので、いろいろなところに損金が発生して、多方面にご迷惑が掛かる。
今は、システムの省力化やスケジュール管理の効率化もあって、ある程度はそういった遅れも調整できるようにはなってきているものの、やはり「誰かが無理をしなければ遅れを取り戻せない。無理をする人に掛かる負担は、別途料金を請求される」という点はさほど大きく変わっていない。


そうしたスケジュールの遅れによる損失というのは、著者の原稿の遅れから全て始まっていく。だから著者というのは責任重大だったりするし、著者のフォローアップをする編集者も方向性は異なるものの責任重大だ。
そういう事情があるため、昔は著者が原稿を遅らせると管理責任*4を問われた編集者の首が飛んだり、著者が干されてて仕事をもらえなくなったり*5、というようなことが頻々と起きた。
今はかなり余裕をもってスケジュールを組んでいるか、コミックの連載などの場合は代理原稿を用意することで対応するようになってもきている。
それでも、「この人の原稿でなければダメ」「その人の原稿が遅い」というような二重苦wの過酷な本も多々ある。昔は、「大先生の原稿が遅れたら編集の首を切るが、遅れてでも価値がある大先生は死ぬ気で引き留める」というのがまかり通っていた時代があった。昭和40〜50年代の小説の世界なんかはそうだったらしいが、僕もその時代は現役ではないので、大先輩からの伝聞でしかわからない。


DTPはそうした「間に挟まる人々」の作業を効率化し、或いは効率化しすぎて組版屋さんという商売を半ば消滅させてしまった。今はデザイナーが組版を兼ねる、印刷所が組版を兼ねるという感じでDTPが行われているケースが多い。うちのように著者が編集+DTPを兼ねるというのは、さほど多いケースではないかもしれないが、この先は増えていくかもしれない。*6
また、DTPで作業効率が向上した分、余裕ができるのかというとそうでもなくて(笑)。


DTPは、80年代にはその草分け的なものが現れ出していて、僕はその草創期からこの工程に拘わってきている。80年代末頃のDTPと今のDTPでは若干ニュアンスが変わってきていて、昔は「手書きじゃないワープロ原稿で入稿する」「それを電算写植機で出力する」ことをDTPと呼んでいた。
僕が雑誌編集だった90年代、PC9801、DOS/VWindowsと印刷所が扱うMacの間でようやくデータの互換性が確立されるようになってきた。元々ライターはDOS系、デザイナー・印刷所はMac系が多かったこともあって、データ互換の遅れがDTP普及の壁になっていたんだと思う。*7
現場にDTPが入り込んできた……とは言っても、雑誌編集部でのDTPのニュアンスというのは、「ライターのテキスト原稿をメールで受け取り、イラストレーターのデータ原稿をFD/MO/CD-Rで受け取り、デザイナーがMacでデータ化する」というようなものに留まっていた。90年代にはさすがに原稿用紙に手書きの原稿というのは減り始めていたが、まだゼロではなかった。
DTPの誤解による混乱というのもあって、テキストデータをFDで入稿しているのに、出力見本を付けないといけないとか、出力見本に赤字を入れないといけないとか、もう無駄のオンパレード。「DTPは効率的というのは嘘だ!」と顔真っ赤にして怒るベテラン編集さんなんかもいたw 実際、却って負担とコストが増大しているような編集部もあった。
これは善し悪しの批判の問題ではなくて、何をどうすればいいのかのノウハウがなかったので、やはりみんなその導入過渡期には試行錯誤で混乱していたんだと思う。


そういう技術の進化進展と普及は完了したかというとそうでもなくて、今もその技術進化の途上にある。
毎年新しいソフトは出てくるし、長期に渡って焼却しないといけない印刷所の機械と激しく短いサイクルで更新されていく現場のクライアントソフトとのギャップは広がるばかりなのだが、やっぱおもしろいよな、と思ってしまう。


雑誌編集部から離れて久しいので、ここ何年かは印刷所見学にも行っていない。
昔は印刷所見学コースというのは、「何度言っても仕事が遅いダメな編集部に、懲罰的な意味合いで現実を見せるお仕置き」というニュアンスが大きかった。そういう仕事が遅いとお叱りを受ける編集部にいた時代に(^^;)、凸版印刷板橋工場、大日本印刷市ヶ谷工場、その他いくつかの現場を拝見させていただく貴重な機会を得た。
時は手書き手組みからDTPに移っていこうか、という草分けの時代。それまでのレタッチ職人さんが次第に姿を消し、DTPレタッチオペレーターが現れだした頃。刷り見本がAカラーに変わった頃だろうか。失われ行く活版印刷、爆発的に普及するオフセット印刷なんかを、広大な工場を歩き回りながら見る社会科見学は、罰以上に勉強になった。


また行きたいものだと思う。
というか、できれば3〜4年に一度くらいのペースで現場を見たい気はする。
誰か僕に懲罰ちょうだい、というようなことを言ってる間に、バイク便がきた。
出力見本とCD-Rを渡して、本日の仕事はこれで終了。


黄昏、終わりました。






さーて、飯食って献血行ってDVD-Rの買い足しに行って、それから髪切りに行くか(^^;)

*1:Desk Top Publishingの略称で、「パソコン上で印刷版下まで作っちゃうよ」とか「電算写植」とかの意味を持つが、Digital Transfer Publishingの略称だと言ってる人もいた。が、そっちは消えた模様。

*2:一口に印刷機といっても、オフセット印刷機とグラビア印刷機は違うし、雑誌の印刷工程と新聞の印刷工程は全然違うので、「印刷機」とひとまとめにしてしまうのはいろいろ問題があるのだが、そこはおおざっぱな説明ということでひとつ>関係諸氏

*3:吸収といっても、前述の「編集者が徹夜」みたいな状況になるのだが、もちろんそういうことをすると品質が下がって、誤字がぼろぼろ残ったりするので編集に負荷を掛けまくるのもあまりよろしくない。

*4:会社が損失を受けるから。

*5:その会社だけではなく、同じようなことをされたら怖いから、他の会社も怖がって仕事を発注しなくなる。=干される。

*6:でも、DTP用のソフトは駆け出しの先が見えない新人が買うには高すぎ、十分に執筆だけで食えている大先生で自分の原稿の組版までやる人は、京極夏彦さんくらいしか知らない。案外増えないのかもしれない(^^;)

*7:パソコン通信というのは、元々「異なるクライアントの持つデータを、ホストコンピュータに一度預けることで、別のクライアントでも扱えるようにする」というデータコンバータ的な役割を担っていたらしい。今ではWindowsでもMacでもLinuxでも携帯でも、同じインターネットの同じページを見られるようになっているが、昔はそういうことはできなかった。