万人受けと玄人受けと素人受け
ってわけじゃないんだけど、万人受けする怪談というのは本当に難しい。
実話怪談の場合、狙って話を作れるわけじゃないから難しいもへったくれもないのだけれど、自分が怖いと思って聞き惚れた話というのを、聞かせてくれた体験者当人は全然怖がってなかったり、逆に自分にはピンとこなかった話を他の人にしてみたら、耳を塞いで泣き叫ぶほど嫌がられたり。
素人=怪談慣れしていない人なら、ライトな怪談でも受けるのかというと必ずしもそうでもなかったり。
マニア=怪談中毒の人にトリッキーな怪談を示したらみんな食いつくかというと、やっぱりそうでもなかったり。
名作と言われるほどの怪談が万人受けする場合もあれば、全然ピンとこない場合もあるわけで……。
そうなると「ウケのよかった作品」=よい作品と割り切るか、「俺が好きな作品」=よい作品と断定するかということになってくる。何を持って良しとするかというのを決めるのは、事ほど斯様に難しい。
超-1の場合、講評者が採点を行うシステムになっているが、すべての講評者の趣味や感性が同じではない。客観的な数値のようでいて、あれは結構「不特定多数の主観」が反映されたものでもある。もちろん、ある程度高い点数が集まる=支持を集めたものには、そうそうハズレはない。
だから、比較的点数の高いものは「万人受けした怪談だった」ということができる一方で、点数だけを見るとあまり高得点ではない怪談の中に、伏兵的なものがかなり混じっている。
つまり、ある人から見ればまったく心に響かない話なのに、別の人から見ると心の琴線を掻き鳴らしまくりの大ヒット作品というようなものが、結構あったりするわけなのだ。
事実、「獲得点数は10点台、ヘタすると一桁台」の作品群の中に、キラッとくるものやグラッとくるものが結構ある。それらは著者の文章力や構成力が今一歩及ばなかったが故に、体験談の核が十分に活かせなかったという部類のもの。言わば、カッティングが不十分だったダイヤの原石のようなものだろうか。
他にも「カッティングは歪つだけど、原石はデカイよ!」とか、「石は小さいけど純度は凄いよ!」というのは結構ある。
かつて、禍禍(二見書房)では92話を集めたものの、その全てがアタリになることは多分ないだろうと思っていたし、実際ならなかった。一方で、「自分にとってのヒット」というのが、猛烈にバラけた本でもあった。
人によって「これが一番怖かった」或いは「おもしろかった」というのが、ホントに一本化されなかった(^^;)
つまり、饅頭が怖い人も居れば熱いお茶が怖い人もいる、血塗れが怖い人も居れば人間が怖い人もいるって奴で、「恐怖の対象」っていうのは人の数だけあるんだなあ、ということを思い知らされた。
昨年、そして今年と超-1の作品群を見ていて思うこととしては、「万人受けしない怪談」、編者の趣味によっては選ばれない体験談の中にも、キラキラしているものは結構あるんだっていうこと。
なんとか、可能な限りそういう「万人受けしない怪談」の怖いところ面白いところを見繕って残していきたいなと思う所存。
そんなわけで、今夜も怪談残業です(´Д`)ノ