本日、911。テロの日、テロの非

テロについて考える。


6年前、事務所でタモリの番組を見ていたら、ニュース速報が入った。
番組は途中で打ち切られ、そのまま緊急特番になった。
ぼんやり見ているうちに、火を噴くビルにもう一機の航空機がビルに激突。
そしてビルが崩落した。


世界は騒然となった。オクラホマ・ボマーの比じゃなかった。
アメリカと政治的に対立していたロシアまでもが、テロと対決する側に与した。
アメリカ、ざまあみろ、天罰なんて言う人もいた。


犯人は特定され、その背後にあった国際テロ組織が急激にクローズアップされた。
そしてアフガン空爆対テロ戦争の幕が切って落とされた。


テロが問題視される理由を「大量殺人だから」だと解釈している人がいる。その論で行くと、すべての戦争はテロであり、歴史上の英雄の多くはテロリストであり、通り魔はテロリストであることになってしまうのだが、本来のニュアンスは若干違う。
テロは「確立されている秩序を破壊する脅しによって、政治目標を達成しようとする行為」であった。古い言い方をするなら、要人暗殺が本来の意味でのテロであった。シーザーはテロによって斃れ、伊藤博文はテロによって斃れた。政治の要諦を占める要人を暴力で倒せば、政治の方向性は一気に変わる。意図してそれを行うのがテロであった。伊藤博文が暗殺された結果、伊藤が反対していた朝鮮併合論は賛成者が勢いを増し、その後併合は一気に行われた。暗殺が政策を一変させたつまらないほどの典型例がそれだ。


テロはそうした要人暗殺から始まり、近代に入って民間人無差別虐殺に形を変えた。
そうなった理由には幾つかある。
それ以前の政治体制では要人を萎縮させれば政策は変わった。封建制・王制、政治を行うのが特定の権力者個人である体制の場合、その個人、主権者を倒すことで事は済んだ。
近代に入り民主主義が定着すると、主権者は特定個人ではなく有権者全体になった。建前上の選挙制度を持つ国も含めて、「主権が有権者にある国」や、「有権者及び秘支配層の満足させなければ安定が保てない国」が増えた結果、国のトップは大統領であれ首相であれ国王であれ、あくまで「主権の代行者」「権力を預かっているだけの人」になった。


ここで、テロの矛先が変わった。
要人を暗殺しても、有権者はすぐに代わりを立ててくる。
ならば、要人ではなく有権者そのものを脅せばいい。
有権者の生活、生命、生活基盤を破壊することで、要人ではなく有権者を恐怖に陥れよう、という考えが進んでいく。
政府要人は強固な警護によって守られている*1。狙うのも難しく、またすぐに補充されてしまう。
ならば、その要人が守らなければならない有権者、国民、その生活、生命、社会基盤を狙えばどうだ、という考えが頭をもたげてくる。
一般人には警護は付かないし、人の出入りの多い場所は効率性や相互信頼で成り立っているため、守りも弱い。
人口が集積している都市、住宅地、利用中の交通網を狙えば――。
社会の一番柔らかくて弱いところ、ハリネズミの腹のようなソフトターゲット=柔らかい標的を狙った無差別テロが起こる。


かつて、よど号事件というハイジャック事件があった。
犯人は日本発の航空機を乗っ取り、政治犯の釈放を叫び、北朝鮮に逃亡した。
この折、時の日本政府の「人命は地球より重い」という判断から、ハイジャッカー=テロリストの要求に屈した結果、「ハイジャック(=民間人を人質にした脅迫)は政権を揺さぶり、政治的要求を実現しやすい」という前例ができ、全世界でハイジャックが頻発した。
その後、ハイジャックの制圧方法が研究され、次第に「飛行機を乗っ取る」だけのハイジャックは、効率の悪い方法に変わっていった。
その効率の悪いハイジャックを、単なる脅しではなく現実に人命を損耗し、地上にまで被害を及ぼす方法に変えたのが、2001年のセプテンバー・イレブン。航空機を利用した911同時多発テロである。


航空機による突入を神風特攻隊に例える人がいたが、神風特攻隊はそれがどんなに狂気に満ちたやり方であっても、
「交戦中、反撃や攻撃ができる軍用艦に向かって行われた攻撃。攻撃者・被害者ともに交戦中の軍人」
であることには違いない。一方、911同時テロで行われた方法は、
「非交戦中、反撃や攻撃ができない民間施設に向かって行われた攻撃。被害者は非戦闘員」
である点が違う。*2
非戦闘員を、本来戦闘用ではないものを使って大量に殺害することが可能であり、相互信頼の虚を突いたのが、この航空機突入テロという手口であった。


アメリカは、拠点のわからないゲリラとの戦いを少なくとも二度以上にわたって経験している。硫黄島沖縄戦は局地戦ながらそうだと言えるし、ベトナム戦もそうだと言える。
どちらも一応は「交戦中の相手がゲリラ的な戦法を採った」のだとも言える。いずれにも、戦争遂行責任者がいて、またその所在地=基地も明確だった。


テロ戦争と称する戦いは、その交戦相手がどこにいるのかわからないゲリラ戦である。
しかも、交戦相手は定置された基地を持たない。ベトナム戦がそうであるように、誰が敵なのかがわからない。
敵=テロリストは細胞化しており、例えばビン=ラディンを殺害できても、オマル師を逮捕できても、設定された目標を消化するためのテロを鎮圧できない。
また、無差別テロが有益な方法だと認識されている今、フセイン元大統領が処刑されてしまっても、その麾下にあった兵士がテロリストに変わってしまうことを止められない。ビン=ラディンが死んでもその主張は残り、「英雄の後継者」という形でテロという打撃手法は継承され続けていく。
その意味で、テロは抑止して被害を最小にする努力はできても、完全な鎮圧は不可能かもしれない。
抑止の手を緩めれば、いちばん弱くて柔らかいところを狙ってくる。それが繰り返される。


テロリストに「その方法は効果的ではない」と教えるには、テロによって要求されたことを飲まない、受け入れない、というこの一点に尽きる。
よど号事件ではテロリストの要求を受け入れてしまった結果、その後に延々と続く大量の模倣犯を産んだ。
もし911同時テロにアメリカが屈していたら、「航空機を突入させれば、アメリカはいくらでも言うことを聞く」という認識が広まる。北朝鮮米朝協議を効率的に進めるために、ホワイトハウスに飛行機をぶつけるくらいのことをしたかもしれない。*3


アメリカだけでなく、ロシアや中国、また当時は反米の代表格のような南米・アフリカの独裁者達までもが、アメリカに同情しテロとの戦いを支持したのはなぜか。
それは、それぞれの権力者達、民主的ではない方法ながら国内統治を行っている国々にとっても、暴力で社会秩序や権力基盤を壊すテロという【手法】の正当化や流布を認めるわけにはいかないからだ。既存秩序の破壊を恐れるという点では、社会秩序の安定によって国という形を保っているあらゆる国家にとって、暴力によって権力者、権力の源泉である有権者、社会インフラを破壊するテロは「自分自身に向けられた手法」としては受け入れがたい。


現代のテロが、以前のゲリラと違って恐ろしいのは、何より統制が利かない点にある。
例えば、1945年8月15日に敗戦を喫した日本の場合、「なお、抵抗し抗戦を続けよう」という軍勢力もあったものの、昭和天皇陛下による玉音放送によって「抵抗を止め、武装解除に応じよ」という勅命が下された結果、軍のほとんどはこれに従い、粛々と武装解除が進んだ。
では、今この瞬間にビン=ラディンが改心してアメリカとの宥和を呼びかけたとしよう。しかし、組織がツリー化しているのではなく細胞化している*4場合、トップの変心に残る全てが従うとは限らない。
特に「宗教的な上位概念に従属している」という考えで行われているような場合、トップが変心しても、それはトップを裏切り者として排除し、ナンバー2、ナンバー3がそこを入れ替わることになるか、宥和を受け入れないグループが、宥和を主張するグループの上位概念を根拠に、同調者を増やしていくかのどちらかだ。
誰でもリーダーになれる、誰でも小細胞のリーダーになれる、そしてそれらは軍組織・軍基地に集積されているのではなく、日常の中に潜伏している。
だから、厄介なのだ。


そうしたテロリストが、テロリストとして「顔を出す」瞬間がある。
それは、腹に爆薬を巻き、トラックのハンドルを握りしめ、敵を撃滅しようとする、まさにその瞬間である。
情報戦に打ち勝って先手を打つことができるときもある。
民家を模した爆弾工場にミサイルを撃ち込み、陸戦を仕掛けるなど。未然に防げる場合もある。
また、そうした「武器」を貯蔵している根城、或いは輸送中。


例えばよくないのだが、対テロ戦はゴキブリや小バエを駆逐するのにも似ている。
できれば巣を見付けて叩きたいが、アリと違ってゴキブリや小バエは特定の巣を持たない。巣に持ち帰って仲間も殺すコンバットのような毒餌もあるし、並行してゴキブリや小バエが湧かないような環境作りをしていくことが何より重要だが、通り道に仕掛けたホイホイや蠅取り紙は、絶対数を減らすには何より効果的であったりもする。
絶対数を減らすことで、ある程度の出現数を抑止することができる。
それでも、100%それらを駆逐することはできないし、駆逐抑圧する手段をやめれば、あっという間に元に戻る。


我々はテロのない世界に戻ることは多分できない。
テロの矛先を大国に押し付けることもできない。
日本人に自覚がなくても日本もまた大国のひとつであるわけで、日本がキリバスのような道を辿らない限り、日本だけがターゲットから外されるということはあり得ない。
アメリカが悪いんだから、日本のせいじゃない。アメリカがどうにかすべきであって、日本は無関係」などとは言っていられないのが、対テロ戦。環境問題と同レベルの、みんなで覚悟しなきゃいけない問題なんだよ、というのが今日のお話。


あの911の年、WTCと国防省アメリカの荒野に墜落した航空機に乗っていた人々、地上にいて難に遭われた方々の全てのご冥福を祈ります。

*1:次々に爆殺暗殺されるイラクの政府要人のように、守っていても追いつかない所もある。警備に当たっていたSPに暗殺された事例もある。

*2:アメリカなどでは真珠湾攻撃を連想した意見も多く出たが、真珠湾攻撃は不手際により伝達が遅れたという釈明はあるにせよ、軍による攻撃、そして主破壊目標はハワイ駐留米太平洋艦隊の軍艦、及び航空機と飛行場の破壊であり、民間人虐殺が主目的ではない。

*3:さすがにないと思うけど、例えば反米テロリストの間に模倣犯が続くのは間違いない。イギリス、スペインなどでは国内で手法を真似た公共破壊テロが相次いだし。

*4:つまり、上部からの命令に基づいた命令指揮系統があるのではなく、インターネットのように命令指揮系統が分断・喪失しても、総体が生き延びるようなシステム網になっている