存在抹殺〜ネット村八分の危険

TBSの一件以来ヒートアップが続く初音ミク関連問題。
すでにGoogle初音ミクを検索しても画像が一枚も出てこない件は10/11(http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20071011/1192060483)に指摘済みだが、現在Wikipediaでは「削除の方向」で「初音ミク」に関する記述・解説の一切が抹消されようとしている。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/18/news040.html (ITmediaの経緯まとめ)
ITmediaの記事では10/17からとなっているが、前述のようにこの現象は少なくとも10/11には始まっていた。


gooやmsnでは画像検索が可能らしいが、Yahoo!Google、exciteでは、それぞれ画像検索ができない状態が続いている。
ソフトウェアの販売状況は相変わらず活況を見せており、こうした市場の小さなDTMソフトとしては異例の売れ行きを続けているし、同時にこれを用いた動画/オリジナル楽曲作成も盛況なのだが、それについての情報がネットから完全に排除されようとしているというのは、ある意味異様な状態と言えるかもしれない。


以前から、Googleには「Google八分」というのがあって、特定のキーワードへの接続が一切できなくなるというものがあった。
存在を自由にアピールできるインターネットであっても、自分(情報)の所在を管理している検索サイトから見付けることができなければ、ネット上には存在していないのと同じということになる。ペアレンタルリミットとして、有害情報を視聴制限させようという試みは以前からあったが、人工合成音声ソフトウェアとその関連物の一切を葬り去ろうというのは、一体どういった意図で行われているんだろうか。


YAMAHAの技術を使ってこの初音ミクを開発したのは、北海道のクリプトンというソフトウェア会社なのだが、DTM市場の元来の小規模さと相まって、それほど社会に影響を与える大会社とは言えない。
また、クリプトンの初音ミクが快調だからといって、それによってなんらかの損害を被る競合会社があるわけでもない。


Wikipediaの削除騒動は複数の理由が入り交じっているようで、その中に「クリプトンのWebページにある解説を、Wikipediaに引用している点が著作権侵害になるのではないか」というもの。現在、この方向で項目そのものの削除に向けて話が進んでいるようだ。この議論にはクリプトンの代表取締役も意見表明をしていて、クリプトンの意見としては、「記事の引用は自由にしてかまわない」ということなのだが、Wikipedia側の原理主義者(^^;)から「引用するということは、クリプトンの文書をGDFLと見なすことだ」という反発が出て、それで「項目はできればあってほしいが、クリプトン社内の紹介テキストをGFDL(著作権フリー)にするわけにも行かないし」という理由から、消極的削除合意(+項目再建)という形になっているらしい。

Wikipediaが「初音ミク」項目を抹消して削除に向けた議論に入ったのは、10/16 11:40から。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF&diff=next&oldid=15540023
これを見ると、どうもWikipediaに関してはTBS騒動との関連(少なくとも、重箱の隅からの攻撃)があるようには見える。


しかし、この議論の結論が前例として定着すると、Wikipediaは「商業的に製作されたなんらかの物品について、メーカーからの公開情報に基づいた解説は一切無効」ということになってしまうのではないかという気がする。
例えば、「今話題になっている新製品」についての解説は一切書けなくなるし、「過去に話題になった伝説的物品に関するトリビア」も、「公式情報に基づいた解説」には触れられなくなる恐れがあるのではないか。
Wikipediaは「ニュースでも宣伝でもない」とは言われながらも、最新のキーワードや進行中の注目キーワードについては、ニュース性や宣伝性を帯びざるを得ない、グレーゾーンな点があったのは確かだが、それをこの一件に限って厳密に適用しようというのは、どういった思惑からなのか図りかねる。
Wikipediaと競合する規模と充実度の百科事典サイトがない、独占的な現状でWikipediaがそうすることは、ここでもまた情報の脳死状態を呼ぶことになるのではないだろうか。


これは前述の検索サイトによる検閲・制限と病根は同じ。
インターネットというのは、「膨張し続ける巨大なデータベース」であるわけなのだが、その情報を検索・網羅するための索引部分が脳死状態に陥ることの危険性が、今ありありと浮かび上がっているようにも思う。


誰がどういう意図でそれをしているのかわからないが、自分や自分の関わったこと、自分の好きなもの、そういったものが、同じようにある日突然「調べることのできないアンタッチャブル」に変えられてしまう危険性について、考える機会になるかもしれない。
卒業名簿から名前を消された瞬間から、「その学校に、そんな奴は最初からいなかった」ということになってしまう。
これは本当に、怪談本やホラーなんかメじゃないくらい恐ろしいことだ。