くよくよ→ホッとする校正紙の話

blogのプロフィールにもあるように、子供の頃からずーっとかなりくよくよする性格で、実はこの数日もくよくよしていた。
オフ会帰宅後、前々日くらいに校了した原稿に結構血の気が引く誤字があることが判明。担当編集さん関係各所に「ぎゃー、すみません、ぎゃー」と謝りと修正の連絡を入れまくり。おそらく100%間に合わないか、間に合わせるためにまた発売日を遅らせるかどちらかというダメっぷりの可能性があった。
判明したのが日曜早朝ということもあって週明けまで連絡はなく、「きっと間に合わなかったんだ!(つД`)」「発売日が延びることになったんだ!(つД`)」「うわあん、もうダメだあ!(つД`)」と、くよくよしまくっていたら、担当編集さんから「気が付いて修正しておきましたので大丈夫です」とのご連絡を頂戴し、それはもうお祭りの翌々日の風船のようにしおしおになってホッとした。
こういうことのないように校正はきちんとしないとダメなんだよ自分、と自分に改めて訓戒。




このところ組版を始める前、テキストの段階で粗校正をやってしまうことが多くなっている。特に表記統一の類はgrepで一気に片付けるか校正ソフトの手を借りることが増えた。これだけでも以前に比べてかなりの省力化にはなっているんだけど、最終的には自分の目と集中力との勝負であるわけで、複数の仕事が進行しているとどうしてもその集中力が落ちてしまう。
もちろん、「〆切がいっぱいあったので粗くなりました」というのは言い訳しかないわけで、そんなことじゃいかんのだった。
重版で直せばいいや、というのは重版が掛かる本の場合にだけ言えることで、重版かかるかどうかわからない(orz)仕事にまでその論理を適用しちゃいかん。仕事は一期一会だ! と、たるんだ自分に改めて喝を入れねば……と、自戒した一件であった。


今回は入稿後に追加で渡した部分(つまり表記統一チェックを通していなかった部分)に誤字が出ていたというのが反省点のひとつ。追加原稿も校正してから渡すべきだったなあ(´・ω・`)
それと、今回は組版を自分でやってなかったという気の緩みがひとつ。普段、自分で組版をやっている場合は、何人かの小人さんにそれぞれチェックしてもらうものの、自分でも誤字の転記修正やそれ以上に何度も校正紙を読んでいるけれど、よそ様が組版をしてくれて、編集さんも着いてるとなると、ついついお任せ感が出てしまう。まあ、ぎりぎりまでゲラ読めなかった*1というのはあるにせよ、やっぱりそれは言い訳にしかならぬ。
「校正紙は紙でくる」というのは本来は常識なんだけど、PDFで貰えれば早く対応できたよなあとか、PDFで貰ってテキスト抽出して、それをもういっぺん校正ソフトに掛ければ、とか(JustRight!2はPDFファイルの校正もできるので)まあいろいろ考えてしまう。
でも、校正紙は紙で往来というのが、本当はまだまだスタンダードなのかも。おまえら行くなもそうだったもんなあ(´・ω・`)


現在、DTPとか電子出版と言われているものは、20数年くらい前の草創期に姿を現したときは、単に「手動の写植機ではなくて電算写植機を使う」くらいの意味からスタートしていた。
今ではQuarkXPressInDesignを使ってパソコン上*2でフィルム用データを組版するところまでやることをDTPと呼ぶのだが、全ての出版社がそうした体制・環境に全移行しているわけでもない。
パソコン誌やゲーム雑誌などの技術系の本や速度を重視する週刊・月刊雑誌の世界ではかなり早い段階でそうした環境に移行していた。エンターブレインファミ通)がまだアスキーの一部だった頃、あそこはすでにDTP的な総合環境の整備が始まっていた。同じ頃、ぶんか社はまだ手引き(レイアウトを定規と鉛筆で引く)だった記憶がある。もちろん今はもうDTP


DTP環境での編集作業が進んでいても、最末端の編集さんのスキルや意識、編集部の装備(主に機材面)などによって、やはり校正紙の最終形態は同じではなかったりもする。
校正紙に赤字を入れたものがFAXでダカダカ送られてくるケースは昔からあった。DTPで作ったデータをPDFで渡して、それをプリントアウトして赤ペンで赤を入れるという作業は今も基本的には変わっていない。デジタルな校正手段(校正ソフトで一気に)と同時に、目と付箋と赤ペンでするアナログな校正手段は今も現役だからだ。


僕が出校する場合はPDFで渡して、プリントアウトして赤字を入れてもらって、問題個所をメール抽出して送ってもらうかスキャナで取り込んでメールで送ってもらうか、それかFAXでダカダカというケースが多い。FAXは今も使っているけど、だんだん機会は減った。先日、単行本一冊分の赤字がFAXで送られてきたときは久々に圧倒されたけど(^^;)、単行本・文庫一冊ともなると普通は宅配便かバイク便で戻ってくる。*3


僕宛に出校されてくるものには、PDFはまだ少なくて、PDFをJPEGにしたもの、または紙で出校されたものを改めてスキャナ取り込みしてJPEGにしたものなどが、JPEG画像ファイルの状態で来ることが増えてきた。雑誌社は概ねこの形態で、ミリオン出版リクルートなどは今はこれ。
これを画像として自分の手元でプリントアウトし、赤入れし、FAXかメールで戻す。スキャナは読者ページの編集に必要なので事務所に置きっぱなしなのだが、フラットベットスキャナじゃなくて連続取り込みのできるスキャナ(複合機)が欲しいよな、とチラと思ったりしないこともない。ただ、数十頁の校正紙は「出す側」であって「もらう側」であることが滅多にないので、そういうの買っても今は年に数回しか出動機会なさそう(^^;)


雑誌はJPEGで出してスキャナで送り返すでも十分事が足りる。頁数もたかが知れているからだ。
文庫・単行本は紙束が来ることが多いのだが、自分で紙代を負担するのでもOKだから、PDFでくれないかなあと思うことは増えてきた。
これは十数年前から思ってきたことなのだが、編集という作業の中でもっとも時間が掛かる、そして可能な限り時間を割きたいと思う行程は校正である。そして、もっともタイムロスになるのは校正紙が編集者・著者・校閲・デザイナーなどとの間を往来する移動時間や待ち時間だ。間に第三者が挟まったりすると、無意味に塩漬けされている時間がどんどん消費されていったりもする。
以前はバイク便を呼んで、それが来るのを待ってる時間すら我慢できず(普通は1時間くらいで来て、30〜40分で持っていってくれる)、「今すぐ自分が行けば15分で行けます!(スピード違反で捕まらなければ)」という速度重視でゲラ配りをしていたのだが、組版完了→ゲラをPDFで出校→メールで送付という行程を取るようになってから、そのタイムラグが極限まで圧縮できるようになってきた。(もちろんメールサーバの事情でのメール遅配というのもまだまだあったりするので、メール盲信は危ないが)
赤字を入れたものを返すときは宅配便や自前便wでも仕方ないとしても、赤字を入れる前のものについてはPDFでもらえればそれだけで数十分から数時間の作業時間を多め早めに取ることができるわけだし。



ちなみに、PDFファイルで送った校正紙に、Acrobatなどで直接赤字を書き込む人もいるのだが、そこまで使い込んでいる人は少数派w。
それと、モニタ上でだけのチェックは表記統一チェックなどの機械的なチェックには向いているが、それ以外については必ず見落としが出るので(不思議なことに)、紙に落としてのアナログなチェックを挟むべきだなとは思う。


そんなわけで。

  1. PDFでゲラを貰う
  2. PDFからテキスト抽出して表記チェックする
  3. PDFを出力してアナログチェックする
  • 雑誌など頁数が少なく校正箇所が少なければ、校正箇所を箇条書きしてメールで
  • 雑誌など頁数が少ないが校正箇所が多ければ、FAXで
  • 文庫・単行本など頁数が多く、校正箇所が少ないまたは距離が遠く(遠方在住とか)時間にゆとりがない場合はスキャナ取り込み→メールで
  • 文庫・単行本など頁数が多く、校正箇所が多いけど距離が遠く(遠方在住とか)時間にゆとりがある場合は紙束を宅配便で
  • 文庫・単行本など頁数が多く、校正箇所が多く距離はほどほどに近く(近さの目処としては20〜50km以内w)、時間がぎりぎりであれば、紙束をバイク便で
  • 文庫・単行本など頁数が多く、校正箇所が多く距離はほどほどに近く(近さの目処としては50kmくらいまで)、時間が本気でぎりぎりであれば、紙束を自分で運ぶorz

というのを、ケースバイケースで使い分けてるのがおそらく現場の現状。もちろん下に行くほど切羽詰まっている(笑)


ちなみに雑誌や文庫の校正にはこの上がある。
編集部に呼び出されてその場で校正紙を読む、というもの。

雑誌の場合は以前はあまり珍しくなく、むしろそれが普通だった。「ゲラが出ましたのでお願いします」という連絡をもらって、編集部まで出かけていってその場でゲラを読んで赤字を入れて帰る。そのときに編集者と顔合わせて次の打ち合わせをしたり、情報交換したり、営業して仕事をもらたりするわけで、今もこの形を採っているところはあるかもしれない。
昔は人が動いたり、人が校正紙を持って電車で往復したりというおおらかさがあったわけで(でもその時間がもったいない(^^;))。

雑誌の校正でライターが編集部に呼び出されるというのと、文庫の校正で作家が編集部に呼び出されるというのは、これは結構重みが違う(笑)
作家が編集部に文庫一冊分の校正のために呼び出されるというのは、往々にして懲罰的な意味を孕んでいる場合がある。なんというか、針のむしろの上で校正紙を読むような辛さがあるのだ。アレは(笑)。つまりこれも「もはや紙束を往来させている時間的ゆとりなどありませんよ、ハッハッハ」という時間の事情からくることでもある。普通は著者校正はかなり早い段階(一校目)で取り、二校目以降は基本的に誤字の修正のみとなるので著者は読まなかったりするのだが、著者の原稿が凄くぎりぎりの場合で、一校目でほとんどそのまま校了になるようなごく稀なケース(で、かつ著者校正は取らなければならない場合)は、著者は出校に合わせて編集部に待機し、編集部の片隅で校正紙を読まなければならなかったりする。
ごく稀な……と言いながらも、昭和の時代までは案外よく見られた光景らしい。(バイク便がなかった頃)平成になってからはだんだん減ってきていると思うけど。


文庫や単行本一冊まるまるをFAXというのもなくはないのだが、送るほうも大変で受け取るほうもうんざりするwので、あんまりやらないほうがいいんじゃないかと思わないこともない。普通紙FAXならまだしも、感熱紙ロールFAXで文庫一冊分のゲラがきたら泣くより死にます。昔は文庫一冊分の「原稿」がFAXで届いたりしたこともあったので(しかも擦れて読めなかったり、またそれをデータに打ち込み直したり)それに比べりゃ、なんだって耐えられる気がしなくもないケド。


「書いてレイアウトして組版して校正して、という作業をほとんど一人でやります」
という話をすると、「それ怖くないですか」とはよく言われる。
その通りで、全部一人でやるのはなかなかに怖い。チェック行程は多いほどいいわけで、全部一人でやるのは実際のところ見落としリスクが高まるからだ。そのために、できるだけ初読チェックをする小人さんをお願いするようにしている。
一方で、全部一人でやるというのはそれだけタイムラグを圧縮できるわけで、作業工程を極限まで省力化&圧縮&〆切延伸wというメリットはある。
編集はトライ&エラー、エラーチェック&エラーチェック、それとスケジュールマネジメントorz。忘れちゃいけない企画力orz
今でこそモノカキだか編集だか組版屋だかわけわからない立ち位置になっているが、それも編集という仕事に長く関わったおかげかなあと思わないこともない。


校正紙の話だったら一晩中でもできるぞ!(笑)


そういうわけで、結論としては僕はモノカキ兼現役編集ってことでFA?

*1:というか、ゲラきたときは既にゲラ締めギリギリすぎて読めなかった(^^;)

*2:Macも含む

*3:バイク便1回で2000〜3000円はかかるので、本当に急ぎのときしか使わない。それでも安くなったのであって、昔は夜間特急バイク便5000円とかだったと思う。もったいないので自分で組版して自分で出校して、それを自分で届けに行ったりしていた。