暗殺犯と通り魔の共通点

夜食(限りなく朝食)を食べつつ暗殺関係のドキュメント番組をながら見。1997年頃のアメリカの番組らしい。
内容は、まあアメリカ(主に)の暗殺によって歴史が変わったケースを見ていくというようなもの。
その中にあった、「暗殺が行われる理由」が興味深かった。


政治的理由、或いは宗教的な理由から、熱狂的になって暗殺を企てる、というのが暗殺者像として浮かびやすい。政治的な対立勢力の武闘派の暴発であったり、宗教上の教義を理由としてその宗教と敵対する勢力の要人を暗殺、殺して除外する、というのは実用性(というと問題あるけど)の点でも、「排除によって味方の勢力に利益がある」などなど、いろいろ説得力もあるし合点もいく。

これと別に、アメリカではしばしば「目立ちたいから」という理由での暗殺事件が起こる。オズワルトによるケネディ暗殺は謀殺説から単独説からいろいろ説があって、どれもこれもが「なんとなくもっともらしい」のだが、一応確定的な説はないことになっている。オズワルト単独犯説の場合は、「目立つことをやらかして、亡命を拒否されたキューバカストロに対して、【役に立つ男】であることを印象づけたかった」という説があるらしいが、オズワルトが死亡しているので子細は不明。

レーガンも暗殺未遂に遭っているが、このときのヒンクリーJrが犯行に及んだ理由は「目立ちたいから」であったらしい。同級生の中でも目立たず、埋没し、地味で、無視されがち。常に重要とは思われず軽くあしらわれるということに対して、何か目立つことをすることで、社会全体や自分の近親者、自分が振り向かせたいと思っているものの気を引こうとする。
この「目立ちたいから」「気を引きたいから」という理由から凶行に及んだ暗殺に、ジョン・レノン暗殺事件も含まれると思う。


で、この「目立ちたいから」または「気を引きたいから」「無視されている、軽視されているということに対する苛立ち」「近親者への復讐を、第三者に対して行う」という性質について、アメリカでは暗殺行為に及びやすい者として「社会的、或いは家庭などから孤立している孤独な者、怒り・苛立ちを持つもの」というプロファイリングをしているとか。


この条件、なんかどっかで聞いたことがあるような、当てはまるものがあるようなと思ったら、先の秋葉原通り魔事件、つい先日の八王子通り魔事件などの犯人の動機というか性質と猛烈に一致点があるような……。


もし、目的が明確で、排除することに意義があるということから殺人を計画するなら、犯人のターゲットは「不特定の第三者」ではなくて、明確な対象がなければならない。
が、一連の通り魔事件は、「気を引きたい」「振り返らせたい」「軽視されたくない」「近親者への復讐(八王子)」といった理由から、無辜の第三者暗殺の対象となった、と考えると、一連の通り魔事件は「社会への復讐」とか「社会への不満」とかではなくて、暗殺者の心理の典型をそのまま踏襲しているように見える。極めて利己的であり、「注目を集めたい」という目的のために、それらが行われる。
要人暗殺は、衆人環視の元で行われるから、成功すればそれは目立つだろうけれども、成功率は低い。(それでも成功した暗殺は数知れず)


一方、通り魔事件は、暗殺の対象がセキュリティなど付いていない一般市民であり、襲われる可能性など微塵も考慮していない無防備な状態に置かれているわけで、「暗殺」の成功率は高い。テロが要人暗殺から一般市民というソフトターゲットを無差別に攻撃することで恐怖を与える方式に変わったのにも似ている。


これらの通り魔=無差別暗殺犯が出てくることを完全に阻止することはできないのだけど、ひとつ起きるとそれを次々に真似た模倣犯が出てくることについては、明確な説明付けができる。
「通り魔殺人/暗殺を実行すれば、テレビや新聞に自分の名前が出る。無視されてきた自分が、多くの人の記憶に刻まれる。そして、それは間違いなく報道という形で実行される」
ということを、実際に報道各社が保証を与えてしまっている。
通り魔犯人/暗殺犯の心理的な欲求というか、目的としているのは「殺すこと」ではないし、「社会への復讐」でもない。テレビカメラが自分に向くこと、新聞で自分が話題になることであるわけで、殺人はこの場合、手段に過ぎない


このへん、尊属殺人も同じじゃないかなと思うのだが、事件報道はセンセーショナルでショッキングなほうがよいのだろうし、それを演出するために最近はやたら早口でやたら噛むレポーターが、全力疾走しながらレポートするという演出が流行ってる。事件報道が過熱するというのは、結局その報道そのものが、模倣犯に「手法の実効性」を伝えていると言うことだと思う。
厳密には犯罪ではないけれども、硫化水素自殺などの流行も報道による後押しの部分が大きいのでは。ネット上に流出した情報が完全に消えることはないにも拘わらず、類似事件が報道されなくなったのと歩みを合わせるように、硫化水素自殺そのものが減っているようにも感じられるし。


事件が起きるのは、その犯人個人の問題だ。
が、模倣犯による類似事件が続くのは、報道という「犯人が求めてやまない事件の効能」による、人為的な問題であるように思う。


しかし、報道の自由がある限り、この人災を防ぐ方法はない。