地震

岩手青森方面で震度6強の地震とのこと。
東京も長く、酷く長く揺れた。
テレビに映った地震の瞬間の映像は左右に揺れていたが、街明かりは消えていなかった。今のところ、インフラの全てが断絶したわけではないらしい。夜の被災で照明が無事というのは心強いことだと聞く。明かりのない夜というのは、本当に心細いものなのだ。
今し方、ローターが2枚くらいある大型ヘリのエンジン音が聞こえた。
岩手県知事は既に自衛隊に出動要請を出しているという。
多分、自衛隊ではないかと思われる。


自衛隊による災害緊急派遣のエピソードは、現役や予備役の友人、被災経験のある知人から、断片的に聞いたことがある。
暖かい飯、おにぎりというのは元気が出る。
水が使えて風呂が使えたとき、生き返った、生きてることを実感したという人もいた。
大規模被災、自衛隊が展開するのはライフラインが寸断していても、自律的に活動できるからだ。そういう組織でなければ、被災には対応できない。
被災地で飯を食うとき、いちばん気を使うという話も聞いたことがある。
自衛隊缶飯(糧食I型)は、加熱するだけで食べられる米飯に、非加熱でも食べられる副食と漬け物がセットになったものだが、基本的に野外で体力を使う隊員の活動に必要なカロリーを補給できるよう、量が多く腹持ちするものになっている。確か、白米、鶏五目飯、赤飯(餅米)などがあり、副食は濃いめの味付けで汗で失った塩分を補給しつつ食べ飽きないよういろいろ工夫されているとのこと。
この糧食というのは、常に3年分が備蓄されているが、3年経ったら転売などはもちろんできず*1、演習で消費するか廃棄しなければいけないらしい。
被災地に緊急時の食料として急ぎ提供されるものの中に、こうした缶飯が入ることもあるらしいのだが、被災者への炊き出しは野外炊飯*2で行われ、缶飯は被災地での隊員の食事になる。被災地で身体を酷使する隊員には、缶飯でも足りないのかもしれないけれど、少しでも腹持ちがするものということで缶飯が配給されてきた。
阪神・淡路大震災のときだったか、その後の別の震災の時だったか、詳しいことはちょっと覚えてないんだけど、被災地で自衛隊員が缶飯による食事を取っていたら、「被災者が大変なときなのに、赤飯を食うとは何事だ!」という批判を浴びたことがあったらしい。
心情論を全否定する気はないけど、それはどうして見たって言いがかり。
結論ありきで批判をしたい人、理由などどうでもよくて批判をしたい人というのは、結局飯を食っても批判する。たぶん、呼吸をしても「被災地の貴重なO2を消費して、不要なCO2を吐いた」くらいの難癖は付けたがるのだろうな、とこの「赤飯けしからん」の話を聞いたときに思った。


静岡県人は幼い頃からやたら避難訓練があったり、防災頭巾を学校の椅子の上に乗せるのが義務づけられていたり、毎年9月になると富士山が噴火するという流言が飛んだりするので、いざ地震が起きてもあまり動転しない。淡々と本棚抑えたりするくらい。
そして、聞くところによれば震災ボランティアなどに参加する際にも「困ったときはお互い様。多分、次は私たちの番ですから、そのときはよろしく」と力なく笑うらしい。
幸いというか、静岡は伊豆沖地震以来大規模な地震はない。修善寺あたり(伊豆半島の付け根)は、小さな地震はわりと日常的にあるようなイメージがあるけど、最近は静岡以外の各地のほうがよく揺れてる。*3
気を抜いたとき、まさかあり得ないと思ってるときに来て、いつでも来いと思ってるとなかなか来ない。地震とはそういうものか。


東北方面の方、頑張ってください。
被害が最小で済みますように。
家を失われた方は、秋までに雪に耐える住宅に住めますように。
多分、次は僕らの番ですので。

*1:オクに出てるのは出所不明品w

*2:牽引式で時速100キロ/hで走りながら200人分の飯が炊ける車両。

*3:20年以上昔、「微小地震が多い地域は、地震のエネルギーが小出しになっていて蓄積されていないので、大地震の確率はさほど大きくない。むしろ、今まで一度も揺れたことがないような場所がヤバイのだ」というような講義を受けた記憶があるが、これはプレートテクトニクス系の考え方だったんだろか。