アドバイスいろいろ(その1)

100話過ぎて、見えてきたこと気になったこと途中ながら編集者的アドバイスなど幾つか。

ご神木ネタ、飽きたw

人気ネタというか、書きやすいからというのもあると思うのだけど、さすがにぼちぼちご神木ネタは、読む側からすると飽きてきた感があるかも。オチが結局ご神木、ってところに行くか、ご神木から始めて何かが起こるかというパターンのどちらかにはまってきてるような。
確かに種の中には幾つかご神木ネタがあるので、そこから始めやすいんだろうなあと思う反面、ご神木に囚われたまま他のアイデアが出てこないスパイラルに陥っている人もいるかも。
似た話、というのは、何度も読んでいくうちに「次はきっとたぶんこれ」という予想が付きやすくなるので、読者の先読みを裏切ってひっくり返すという展開に結びつきにくくなる。また、どうしても類話に埋もれやすくなるので、違うネタで展開したほうがいいかも。

タイトル、気を使ってる?

意外にタイトルが平凡というか、さっぱりしてるのが多いなーと思った。
もしくは、タイトルが出オチになっちゃってるのとか、オチを示唆しちゃってるのとか。種にも悪例としてそういうのがありましたがw
漢字二文字の熟語、一単語のみ、一文節のみのタイトルというのは、数が増えてくると読者の記憶に残りにくい。何しろ、読者はこれからまだ数百編を読んでいくことになるのでw
タイトルはそれひとつだけ取ってみても、本編に匹敵するくらい重要。読者にとっては、それが「内容に惹かれるかどうかのとっかかり」になるもので、書店で言えば棚差し本の背表紙みたいなもの。「おっ?」「えっ、それってどういう?」というような気を引くタイトルを考えないと、これまた類似タイトルの中に埋没してしまうかも。
二文節以上ある長めのタイトルを考えると、タイトルでできることの幅が広がるのでお試しを。

ポエムになってない? 読者を意識してる?

主人公の視点を追体験させるスタイル=一人称視点が増えるのは仕方ないにしても、書き手だけが満足するポエムになってしまうのは問題アリ。読者は自分自身ではない、ということを意識したほうがいいかも。
自分が知っていることを読者も知っているとは限らず、読者の知識量がどれほどかわからないから、自分の知っていることを読者に踏まえて貰う必要が出てくる。そのあたりを端折って「言わなくてもわかるだろ?」とばかりに、うっとりする文体を編むことばかりに気を取られていると、それはただの独りよがりなポエムになってしまいかねない。
ある種の蘊蓄を物語の中にうまいこと織り込んでいくことで、読者の興味を惹き付けるというのは、手法としては目新しいわけではない基本のひとつなんだけど、自分だけの世界を作ることに執心していると忘れがちなこと。

自作の後に道は出来ているか?

自分が書いた話の後ろに、誰も付いてこない……という話と、何かしら続いているという話。だいたいこのふたつに二分されてきている。早い段階で書いたのに、誰も後に続いてくれない話、書いた当人しか続編を書いていない話。なぜ他の人は自分の話に繋いでくれないんだろう? ということを、立ち止まって考える必要がある。
イデアが陳腐で魅力がないから? 排他性が強すぎて、入り込めない世界になってしまっているから? 独りよがりになってない? 完成度が高くて誰にも触れないとか? ……それとも、そもそも読まれてない? orz
遺伝記は、読まれてナンボ。応募者同士の相互講評はもちろんあるけれども、それ以上に「全作コンプリートが必須になっていない、スポット講評をする読者」を、どれだけ惹き付けられるかが重要。自作の後に誰も続かないということは、その話に刺激を受けた人があまり多くない、ということをも意味する。
自分の書いた話は、ときどきその評判を確かめてみるといい。いつまで経っても誰も続いてこないということは、実は読者にとってもピンと来ない話なのかもしれない。

他の人が書いた話、ちゃんと読んでる?

応募者にとって自分以外の応募作というのは、おしなべて「正体不明のライバル」であるわけで、できるだけ厳しく見たいという気持ちはわからんでもない。
が、他人の書いた話を読んでいるうちに、「あ、そうだ!」と話を思いついたりすることは多いし、そういう形で湧いてきたアイデアを、如何にして「真似」や「換骨奪胎」せずに、「アイデアも話も自分のほうが一枚上手」という形に持って行けるかが重要。
よい料理人は、作るのと同じくらい他の料理人の料理を食べている、というのは料理漫画料理映画料理人の自慢話wに限らず、よく出てくる話。遺伝記は「他の人が書いた話」と自分が書いた話の全てがひとつの網の目状の物語群を形成するというものでもある。やはり見ないと始まらない。

イデアの拾い方

遺伝記が緩い縛りテーマに「植物/木材/木工品」を挙げているのは、日本人の暮らしと切っても切り離せない普遍的なものだから。つまり、それだけ「植物/木材/木工品」というのはネタに困らない。
自分の話に都合のいいネタを探すのではなくて、木材・樹木・木工品とそれに纏わるエピソードをお話に直していく、という形で話をどんどん作ってしまうほうが、話に広がりを持たせやすいはず。

枝の繋げ方

「本当に書きたい話」と「枝を張るためのブリッジ」を、2作一組で考えると、俄然書きやすくなる。まず、本当に書きたい話を他のどれかと繋げるということはあまり考えずに先に書くだけ書いてしまう。
その上で、既存作と書きたかった話を繋ぐための暫定的なブリッジ話を「二題話」として後から考える。これは、「書きたい話を書く練習」と「テーマをクリアする練習」の両方を2作一組で並行してやっていくことになるので。もちろん、書きたい話を書いた上で、後から繋げるための要素を付けたしつつ、元の話を崩壊させないで拡張させていくのがベスト。

遺伝記らしさ、なんてものを求めてないか?

審査員はそれぞれ好みが違う。多分、年齢性別読書傾向、読んできたものの種類も人生経験もまるで違う。そういう人々が、自分の中の内部基準に照らし合わせて審査するのが遺伝記。その中にあって、「遺伝記らしさ」「遺伝記という基準」というのに寄り添ったものを書こう、というのはあんまり意味がない。
遺伝記のルールは「植物/木工品が出てくること」「他の話に繋がってること」「怖いこと」、極端に言えばこの3点のみ。「遺伝記らしい怖さ」という、何かの基準になるようなものはあるようでいてない。そもそも種で扱われている恐怖の題材もすべてベクトルが異なるものになっているのは見ての通り。
「怖さ」というのは明確な基準がない。高所恐怖症、先端恐怖症、ナナフシ恐怖症、饅頭と熱いお茶恐怖症などなど、当事者以外が聞いたら首を傾げるような恐怖症だってめずらしくないわけで、「恐怖の原因を共有できるかどうか」というのは、この際追い求めても無意味かもしれない。饅頭がいかに怖いかを切々と語って、饅頭への恐怖感情が共有できるなら、別に饅頭という恐怖原因は共有できなくたってかまわんわけで。
大多数の人にとって怖くもなんともないものを、如何に怖いモノであるかのように演出できるかどうか、たぶんそれをクリアすることが鍵。
犯罪モノでも心霊モノでも奇妙な話でも生理的に厭な話でもSFでもファンタジーでも、「植物、連鎖、怖い」これがクリアされてさえいれば、特に「遺伝記らしくない」とは思わない。遺伝記らしいという形容に当てはまるのは「植物、連鎖、怖い」この3点のみなので。





そんなわけで、現在は読者として*1遺伝記を楽しめている。
唯一困るのは、自分も書きたくて書きたくてしょーがないということw
実は種を書いた面々は、種以外にも幾つか書いていて、そのうちの幾つかは既にこっそり投下済み。
読んでいて「むひょー、続き書きてー!」と思ったものについては、こっそり書いて入れてるんだけど、そのへんの種明かしは会期終了後に。
現時点で、読んでアイデア思いついて「後で書こう」とメモだけ残してあるものがどんどん増えていて非常に困るw
だってほら、今は老鴉瓜やんなきゃですし(^^;)


大昔、読者ページの編集やってたときに凄く楽しくて、「僕が学生の頃、こういうコーナーがあったら絶対にハマってただろうなあ」と、ハメられた人々を非常に羨ましく思ったことがあった。
遺伝記は何しろその直系であるわけで、自分がやりたかった遊び方でもあるので、やっぱり「うーん、僕がやりてー」と食指がワキワキ動くw
小説を書きたいというより、「与太話で厭な気分にさせたい」という強い衝動があるのかもしれん。実話怪談の絶対則の中ではできないこと(事実を曲げてしまう、とか)に対するフラストレーションを、「都合良くどんどん変えてしまえる」という与太話で発散したいという衝動なのかもしれん。
実話怪談を書く理由が人によって違うように、こうした与太話を書く理由も人によって違うのだろうなと思う。与太話だけが書きたい人、バランスを取るために両方書きたい人、実話以外の与太話はどうしても書けない人、等々。これまたどれが正しいということもなく、それぞれの中に自分にとっての正解がありゃいいのではないかとも思う。
読んでくれる人のことを考えずに書くのは論外だけど、誰かが決めた基準に寄りそうことばかり考えてたら、一歩も二歩も前には出られない。
難しいですよね。
でも頑張れ。


しかし、アドバイスというのはホントに難しい。
それが不要な段階の人にとってみれば今更な話ばかりだし、それが必要な段階にある人であっても、結局は自分で気づけない限り素直に受け入れることができなかったりするし。アドバイスはする側の自己満足と言われてしまえばそれまでかもしれない。
他人の成功体験が別の人に当てはまるとも限らないわけだし。
結局は、ダメと言われていることであっても一度はやってみて、遠回りしてでも自分の身体に刻んでいくしかないのかもなー、とこんだけ書いた後に言うのはいかがなものか、と、読み返してみて思ったorz

*1:そして、心の中の僅かな部分に残る編集者としてもw