ワイハで小学生をヲチ

4家族合同、小学生3人+乳幼児2人+大人7人の大所帯でワイハに行く。福島の。
生小学生wというか、児童書を書いた人間としてやはり昨今の現役小学生の生態に触れる機会が少しでもあるならば、それは体験取材と思って身を投じねばなるまいと思った。
で、小学生というのは……なんであんなにパワフルなのか(^^;)
聞けば「前日遠足で山上ってきたとこ」とかいうし。登山の翌日でワイハでプールで大はしゃぎできるところが小学生という、猛烈に蓄電放電効率のいい生物の特性ではあるまいか、とかなんとか疲れた大人としては心底思うのだった。
小学生と混じって遊んで(やって)いたせいか、「子供軍団の新米」として認められ、リーダーと副リーダーと副々リーダーの下の下っ端にしてもらえました。
小学生に両手(の指一本だけとか)を全力で引っぱられるというのは、なんというか「マッシャーのいない犬ぞりが暴走している状態」に匹敵するというか、大人一人の力で抵抗するのは相当難しい。あいつら力ありすぎ。夢中になったときの手加減なさすぎ。
小学校5年、3年の兄弟、4年の女の子という感じで、小学生の中でもいちばんダイナミックに社会性やその他が変化していく年齢であり、また一番「遊びたい盛り」であり、さらにはいちばんセンシティブな年頃でもあり、反抗期でもあり、内向きな価値観と外向きの主張が入り乱れる時期でもあり、まあ見ていて飽きないというか、非常に勉強になりましたw
3〜5年生をひとつのジェネレーションとして扱うというのは結構乱暴かもしれない。
僕のところは二つ違いの弟がいて、面倒くさいもんだからw親はだいたい僕と弟を双子のように平等に扱った。そのため、「お兄ちゃんのお古が弟に」という流れは存在しなかった気がする。二つくらいの年齢差だと、おっとりした兄貴と発育の早い弟の間の意識差は埋まりやすいというか、大人が同列に扱うことで、同じような意識が育ってしまうのではないかとも思う。
先の5/3年生の兄弟は恐らく両親に同列に育てられちゃってるウチと同じようなケースであるまいかと思う。なので、5年、3年という年齢差には若干の差はあっても概ね似たような思考をしているようだった。5年生のほうは「自分が子供では最年長」という自負があるのか、「自分がしっかりしなくちゃ」という配慮が見て取れた。逆に3年生のほうは乳幼児を除けば上には頼れる上級生が二人いるわけで、少々トリックスター的でもあった。要するにふざけるのは年下で諫めるのは年上という図式は、もうこんな段階から出てきてるのねー、と。
4年生は子供軍団唯一の女の子であるわけなのだが、この年齢ではまだ「女」という性差意識はそんなに強くは出ていなかった。ぼちぼち意識し始めてもいいかも的な年齢なのだが、長女っていうところがそのへんの発育の遅れに繋がってるのだろうか? 長男とか長女ってだいたいおっとりしてるか、心身共に発育がゆっくりだったりするものなのかもしれん。それでも、「乙女としてこうあらねば」的な意識を持とう、という自覚が生まれつつあるらしい。「だったら、それは乙女っぽくない」「乙女ならこうしたほうがいい」「こうすると乙女っぽい」のような感じで話ができたw どういった基準であれ、当人が自分に対して自覚的に課した基準のようなものができてくる=自律的規律が生まれると、「ちゃんとしなくちゃ」という意識の発育に繋がっていく。
5年生男子の場合は「自分が最年長、年下の面倒をみなくちゃ」であり、その辺の自分に課した基準が、乳幼児の弟の手を引いたり、弟たちの大荷物を進んで背負ってみたりという行動に現れていた。
4年生女子は、「乙女らしく」であるようで、女の子であることを意識しようという気持ちの片鱗が生まれつつあるようだった。まあ、そう言いつつ幼馴染みの男の子二人と一緒になって遊んでるあたり、まだ「子供」という意識のほうが強いのかもしれないが、これから半年、一年くらい経ってみたら激変してるのかもしれない。女の子はそういう意味では同年齢の男の子より発育が早いよなあ、と思う。
3年生男子はまだ遊びたい盛りであろうかと思う。自分内規律の萌芽がある上二人とは、はっきりとではないけど確かに差があるようだ。この3年生までと4年生、5年生は「同じ小学生でも全然別の生物」と言われるのだが、その由縁が実地で観察wできたことは大きな収穫であった。
5/3年生兄弟のお母さんがこのblogをご存じらしいのだが、あの緑のおじちゃんがあんた達のことを書いてたわよ、とかは奴らにはまだ教えないでください。軍団の下っ端からのお願いでした。