一日が28時間くらい

「うっかり寝過ぎて一日が伸びる」ということはあまりなく、「うっかり仕事しすぎて、一日が後ろに伸びていく」ということは多々ある。平均的には一日は25時間くらい、睡眠時間は5〜6時間くらい。時期によって4時間くらい。よく寝てると思うw
本日は遺伝記が組版作業に入り、ついつい夢中になってしまった。


閑話休題で文庫組版話。
文庫本の組版というのは流し込む作業に入る前までが大変で、京極的勝利のシステムwに準じる僕の作業手順だと、主に「推敲、表記統一、予備校正」などを、組版を始める前の時点まででやってしまう。


従来は、もらった原稿をとりあえずまったくの未修正のまま流し込んでしまい、手っ取り早くゲラを作って著者&編集者に投げ返し、著者&編集者はゲラを元に校正作業や表記統一作業、文章推敲などをする……という行程が一般的だったのではないかと思う。作家さんによっては推敲と言いつつ、入稿された原稿の半分以上を書き直してしまい、結果、組み捨てになってしまうという厳格かつハードな校正をされる方もいる。
通常は一度組版して出力したゲラに対して、赤字/朱字(アカジ)と言われる修正指摘を施し、オペレーターがその修正指摘に基づいて組版データを直していく。あくまで、最初に入稿組版されたオリジナルを「直して」使うわけなのだが、これに対して組み捨てというのは「直しがあまりにも多すぎるので、直して使うのではなく新しいのをイチから組み直す」というものを指す。
これは最初の組版作業が全部無駄になってしまうので、コストがかさむ&大幅なタイムロスになってしまうため、出版的にはあまりというかかなりよろしくない不名誉なこと、と言われている。これをやりすぎると(というか1回でもやらかすwと)、印刷所のブラックリストに載るとか、オペレーターに忌避されるとか、これが新人だったりすると編集部から干されちゃったりした人もいたらしい。噂話として。
実際、お金も時間も無駄になってしまうのは確かなので、「あんまりたくさん直さなくていい状態になってから原稿を下さい」ということになる。これは当たり前の話。
もっと言えば、明冶大正昭和前期くらいは、「なんだかんだ言っても完成原稿に近いもの」になってから印刷所に回されたとは思う。組版に掛かるコストは、今より当時のほうが割高だったと思われるからだが、同時にその頃は「発売日はゴムのように伸びる」という時代だったんじゃないかなあ、とも思わなくもない。
昭和後期から平成に掛けて出版物流通がスピードアップを続け、コンビニ流通に乗るようになってからはさらに加速している。現在での単発書籍などの場合は発売延期、または「納得いく形になってから発売日を決める」といったおおらかな進行のものもあるのだけれど、営業と流通と企画が一体化して加速している例えば文庫などの場合、とにかく発売日発売枠は一度決まってしまうとなかなか動かない。取次(流通)などにも、早い段階で「○月○日に○○○という著者で○○○という本を出します。確実に出します」という登録をせねばならず、営業は本が出るおことを前提に営業活動をし、取次も小売店もそれに備えて棚を空けたりトラックや倉庫を確保したりするわけで、「本は発売日には必ず間に合う」という前提で全ての歯車が動いている。
それ故、全てのスケジュールに影響を与える可能性がある作家、編集者のウェイトと責任は増すばかり。
良い作品、面白い作品という内容に対する責任は著者が負い、完全な作品、間違いのない作品という品質に対する責任は編集者・デザイナー・オペレーターが負う。もちろん、スケジュールから遅れてはならないわけで、品質向上がスケジュールの遅延に優先するという恵まれた環境にある作家は、本当に指折り数えるほどしかいないだろうと思う。また、そういう品質向上を優先できる作家の足下には、その作家が恐らくは名前も顔も知らないであろう多くの印刷小人さん達がいるわけで、華やかな世界の地下に潜むw印刷小人さん達の怨嗟熱心な支援なくして、この仕事は成り立たない。


で、遺伝記もまた「超」怖い話/恐怖箱で培われた方式で作業が進んでいるわけで、最初に触れたように「〆切に間に合う」と「品質向上」を両立させるため、組版に入ってからの作業ロスを最小にする手順で作業を進めている。
まず、収録予定の大元の原稿をピックアップする作業。超-1や遺伝記の場合、審査員の審査がその指針になっている。
これを終えて原稿がある程度選ばれてきたら、それが何頁くらいになるかを数える、という作業がある。竹書房文庫の場合、通常224頁*1からになるが、本扉、折り返し(白い頁)、前書き、後書き、目次、奥付……諸々の本編以外の付加情報分を除くと、208〜212の間くらいが純粋な本文頁ということになる。このため、収録可能な原稿は208頁くらいになるようにしていく。
残り4頁というのは調整用の予備で、後書き・前書き・目次その他の頁が予備に回される場合もある。
推敲はもちろん、表記統一や誤字修正によって、頁数が増減する場合がある。例えば、「下さい→ください」と漢字を開くと、それだけで1文字増える。1行の中に「下さって、下されば、下さいな」などのようにあった場合、これらを開くと3文字増。その行が、1行いっぱいいっぱいだった場合、3文字増えれば当然次の行にこぼれるので1行増。その頁が最後の行まで埋まっていた場合、1行こぼれれば、次の頁に溢れて1ページ増。まさにバタフライ効果
これを、句読点の位置を調整したり、逆に平仮名になっているものを漢字にしたり、段落アキを詰めたり開いたり改行改段を駆使して調整していく。文法や内容の誤解、慣用句の誤用、悪文などを解決する推敲が最優先、次が本全体での表記の統一、単純な誤字解決(校正)、それによって生じた行数の乱れを直していく調整……と手順を踏んで総頁数が208〜210くらいに収まれば万々歳。
収まらない場合は収録原稿を減らす、1〜2行しかこぼれていない頁を詰めて1頁減らすなどの作業を行ってなんとか詰めこむのだが、それでも入りきらないような場合はどうするのかというと……1頁当たりの行数そのものを変えてしまう<個人的にはかなり禁じ手orz
通常、「超」怖い話/恐怖箱では1頁を40字×16行程度としている。本によっては39字×16行のものもあるが、16行というラインは維持したい。これ以上増えると単純に4〜6mmくらい版面が小口に張り出してしまい、見栄えがよろしくない。かといってノドのほうに近すぎると頁を大きく開かないと読みにくくなり、本が傷む。
行間を詰めれば16行と同じくらいの版面に17行を押し込むことも可能なのだが、そうすると今度は行間の白=ルビの入る隙間が圧迫されるため、ちょっと詰まりすぎな印象になってしまう。
1文字12Q*2として、1行=20H送り*3、行間8Hアキくらいが読みやすいフォーマットじゃないかなあ、とか思う。1文字11Qまで落とすと遠視/老眼の人には厳しくなってくるwし、13Q*4だと、子供っぽすぎるというか、内容がまるで入らなくなるorz
が。
今回は頑張りました。というか、こぼれすぎで入りきらないw
1頁17行フォーマットで、12Q+19H送り+行間7Hアキに替え、とにかく何が何でも詰めこむ、なおかつ見栄えのギリギリの譲歩を!
……(;´Д`)ハァハァ
こういうアクロバティックな対応も、推敲・校正をある程度終えてしまって総行数を出してから、自前で組版するという環境が故に対応可能なのだろうと思う。その分の負荷は全部僕一人に掛かってないですかどうなんですかそのへんと思わなくもないのだけど、小回り・柔軟性・効率最優先というスタイルを愛する僕としては、そりゃもうM的に納得な(ry
そんなわけで、今回の遺伝記傑作選は見た目にはいつもの恐怖箱と同じくらいしか入っていないとか、むしろ少なめじゃね? と見えるかもしれないけれども、分量的にはいつもよりむしろ増量して入っているんですよ、ということを言いたいのだった。


ちなみに、16行で計算した場合、15〜20頁くらいはみ出すことが作業途中で判明し、なおかつそれはどれも削りがたい! という、ある意味幸せな苦渋からこうなった。読みでたっぷりの良い本になりますように。


また、今回は未曾有の図版点数を誇り、その作成とチェックで死にそうです(^^;) こんなに図版作るのは雑誌やってたとき以来かもしれんなあ。ああ、苦しい。楽しい。

*1:文庫に限らずあらゆる印刷物は4の倍数の頁数を持つ。これは印刷機の都合で、裏と表に2頁ずつ刷って二つ折りにする、というのが最小単位だから。ただ、文庫などのように版面が小さいものは、16頁、32頁を最小単位とする場合もある。コミックのカラーページのように、4色1頁、裏は単色というような例外もあるが、あれはオフスタンダードなので定型に押し込んでいく文庫などから見ると割高。

*2:Q=級で、級数のこと。写植の文字の大きさの単位で、1Qごとに0.25mm分大きくなる。

*3:H=歯で、歯数と読む。写植の文字ピッチの移動単位のことで、これもQと同じく1H=0.25mm。1/4mmほどのピッチを、名人は肉眼でちらっと見ただえけで「大きい」「小さい」「ずれてる」がわかる。名人つっても老齢の大ベテランではなく、20代前半でも1年もやると「そういう目」になってくる。手引き時代のデザイナーさんなんかは、1/1サイズのゲラを一瞥して「小さいね」「凄くずれてる!」と、コンマ0.25mmの世界をチェックしたりしていた。あれはあれで凄い目を持ってたんだなー、と思う。

*4:小学校の教科書くらい