言論統制と政治的ロードマップの予想
年末年始、小沢一郎がニコ動に出演していたらしい。
が、コメントで罵倒はともかく批判や質問が出ただけで、アカウントが停止される例が続発したのだそうで、事実上の言論統制が実現していたらしい。
民主党政権になるということは、そういう言論統制を受け入れなければならないということと同義であるらしい。
これらは民主党側からの要請ではないのだろうけど、今後政権を取るかも知れない民主党の顔色を窺っておかないと、後々、ニコ動が「民主党政権に敵対的な情報発信メディア」としてマークされたら、何をされるかわからない。だから、率先して民主党がやってほしいと思っていそうなことを手配し、遠慮し、言論統制を行う、というような動きになった、と考えられる。そうしておけば小沢動画はこの先も流せるんだろうし、とかそういう。
実際、民主党の依頼や要請で「批判したらアカウント停止」が実行されていたなら大問題。そうではなく、ニコ動運営による「自粛」の結果なのだとすれば、それは「民主党について言論統制と誤解させる」ような行為wなわけだから、民主党はニコ動運営に対して「余計なことをするな」と抗議するポーズを見せなければおかしい。そうしない場合、「やはり民主党の指示・要請があらかじめあったのだ」という疑惑を免れることは難しい。
これはネット規制に繋がるものだが、テレビ・新聞などの報道機関も自らの規制に繋がるはずなのに、それを否定も批判もしないところを見ると、テレビ・新聞はすでに規制済みなのか、規制をされるはずがないという自己特別視でもあるのか――。
……というような陰謀論はいっぱい出てくるだろうと思うけど、それを「考えすぎ」と否定するだけの説得力のある反論もしにくいのは確か。
最悪の状況にならないように事前に手当てするのが一番いい方法なんだけど、実際には最悪の状況になってみてからでないと、いつが最悪なのか自覚できないものでもある。
そうなると、最悪の状況になることは予め織り込んで、最悪の状況下で少しでもマシに過ごすには? ということを考える必要が出てくる。
予防ができるのに、対症療法を考えざるを得ないというのは、甚だよろしくない。
2009年は政局の年。
前回の世界恐慌と世界大戦と世界情勢とそれに連動した国内の景気、世相、新聞の傾向、世論の煽られ方を、改めて検分してみる必要があるかも。
二次大戦後の日本はどうしても「世界=アメリカの動向」と見がちで、ごく近くにあるロシア、中国、南北朝鮮、遠くにあるヨーロッパ、アフリカ、南米についてあまり深く考えない傾向が強かったような気がする。だから、流行も「アメリカからやってきた」が多く、外国人は「白人か黒人」で、批判すらも「アメリカ大統領は」という語られ方。
アメリカは失墜しないという前提にあるが故に、失墜しないものには全依存してよく、また、全力批判してもどうせ相手は倒れまい、という気持ちが強いのだろうなと思われる。
グルジアで起きていたこと*1は、同じ条件の日本にも起こり得る。
日本人は戦争アレルギーと内省癖があるから、やられても文句を言わないどころか、外国から戦争を仕掛けられたら「日本政府が悪い、対応が悪いから相手に戦争をさせてしまった、謝罪すべき、対話で解決」とマスコミと野党が率先して言いそう。
初夢が悪夢というのもどうかと思うけど、昨今の報道の傾向や民主党などの批判傾向から考えると、それはないとは笑えない話。
ただ、経済的に困窮すると「自分のことで手一杯」になるが故に、競合者・協業者は排除され*2、外国人排斥に繋がる。外国人排斥と失業者の保護はセットで考えることができるが故に、「外国人を追い出して、その仕事を失業者に与えろ」という思考は受け入れられやすい。前回の恐慌下でのナチスドイツの政策は、そういう下地に基づいているし。
そうした外国人排斥=極右的思考とする場合、「外国人排斥をする極右思想は悪」というキャンペーンとともに、「失業者を救済し、外国人も受け入れよう」という同時に共立はし辛いテーマを、それぞれ個別に各論として主張し、「極右はNO!」という正義論から力を得ようとする勢力も出てくるのかもしれない。
基本的にはこの恐慌が続く限りは、世論はまず「失業者救済」を求める意図から社会主義・共産主義または大きな政府による救済など、左方面に振れる。
こうした対応を求められた政府は、景気出動や失業者対策を進めるが、たぶん劇的な効果は出ず、政権が交代する可能性がある。
交替する政権については2系統が考えられる。
まず、現政権が失業者救済について不十分な対応しか取れなかったと有権者が判断した場合で、「さらなる失業者救済」の手段として有権者が何を求めるか? という点。
あんまり単純化しすぎるのはよろしくないのだけど、例えば先の失業者救済の手段として、外国人労働者を制限してそれらが行っていた仕事を失業者に回せ、という「外国人排斥による日本人就労者の回復」が支持されるとしたら、現政権よりさらに右傾化した政権が支持されることになる。
一方で、現政権のやり方は手ぬるく、さらに大量の財政出動と労働者救済を進めつつ、外国人労働者も増やす、ということになると現政権より大きく左傾化した政権が支持されることになる。
現在、与党自民党に対抗しうる野党といえば民主党だが、民主党はそのどちらに振れる可能性があるのかと言えば、その党勢の骨子部分にある社会党からの合流組、各労組による支持、共産党から剥ぎ取られて鞍替えした左派支持層*3がいる以上、左派的な政策が期待されている。共産主義のない共産党、というようなところが期待されているというか。
その一方、民主党の指導部というのは旧自民党出身者が多く、現在の小沢一郎などは「今の自民党の中では放逐された旧世代の自民党」と価値観が同一である。
つまり、「世論に支持されていた時代の自民党」が、民主党のトップに座っている、という考え方でよいと思う。
前回の参院選で自民支持から民主支持に鞍替えした農林水産票は、「利権」「口利き」が色濃い集団票であるわけで、小沢一郎はそれを旧時代の自民党の選挙のやり方で切り崩した。直接出向いて有力者として挨拶回りをする、というスタイル。*4
つまり、民主党は右派も左派も両方いけるとも言える。
だが、民主党が政権を取って右派的な政策を進めようとしたら、党内の猛反発を受けて一枚板での政権運営ができない。
では、政権を取ってから党内政局によって左派が指導部に座ったらどうなるのかというと、たぶんこれまた一枚板での政権運営ができない。
民主党は、旧自民党系、旧社会党系、それと多くのスタンドプレーヤーの寄り合い所帯としているわけで、旧自民系・旧社会党系とは別の若手議員は、党内で目立たなければ生きる道がない。手っ取り早いのは、指導部の不手際を批判してヒーローになるという手口で、今までは菅直人の指導に基づいて自民党政権に対して口角飛ばして罵り続けるという手法を使ってきた。馬淵、長妻、永田、野田などがそうだ。
が、民主党が政権を取って、その上で党内で意見が一致しないということになった場合はどうなるか。
後先考えない正義感からスタンドプレーに走る議員と、選挙遂行能力の不足から、資金源である右派に頼るか、運動員供給源である左派に頼るか、という選択肢を強いられる議員に分かれる。
結果的に、民主党は一枚板での政権運営ができないという急所を、金と運動員でどうにかできなくなった場合に、どちらが政権を持っているかによっては、自民党との大連立(民主党を割っての)が求められるのではないか、と思われる。
それが今年か来年かはわからないが、そのときにまだ小沢一郎が生きているのだという前提で行くと、
- 民主党が政権を取る
- 民主党内が党内政局に突入
- 民主党内閣が小沢一郎+右派中心の場合、求心力低下を回避しつつ政策を遂行するために、野党自民党と大連立を仄めかす。前回は左派社会党系の反対で実現しなかったし、次回も社会党系は猛反対するだろうから「だったら従え」という脅しのためのブラフとして、自民党との大連立をちらつかせるというカードにする可能性はある。
- 民主党内の左派右派の綱引きにおいて、自民党も右派に秋波を送るだろうし、右派が左派と党を割ることを決意すれば自民党との大連立も起こり得る。
- ただし、右派の領袖が小沢一郎だった場合、岡田・前原など反小沢的グループ*5は小沢系右派には付いていかない可能性がある。
こういう形での民主党分割と、自民党との改編が起こる可能性はある。
自民党からは「抜けていく」人はいるだろうけれども、自民党そのものが解党する可能性は、これまでの党の性質からいって薄い。*6
話は戻って、不景気になると「他人を救済することより、自分だけを救済しろ」という利己的な欲求が強くなる*7わけで、利権・既得権益を持つ集団はそれを少しでも維持し、後発の介入を嫌う。
このため、規制緩和をしない、既得権益の保護を約束する、という公約を掲げる政党が支持を集める可能性がある。
ところが規制緩和をしない、既得権益の保護を進めると、今現在あぶれてる失業者が仕事に就きにくく、新しく参入しようとする企業との競争が行われにくくなるので、より一層「あるところにはあるのに、ないところにはない」という状況が進むことになってしまう。
「他人より俺を救済しろ」という有権者全員にいい顔はできないわけで、「救済して欲しかったら、票を寄こせ」というある意味で古き良き昔ながらの自民党のやり方が幅を利かすことになる。
そして、先の参院選ではそれは実際に成功し、そのやり方の正統後継者である小沢一郎は規制緩和で割を食った自民党支持層を、民主党に引き入れる事に成功している。
民主党左派が望まない右派有権者層が、その方針を変えないまま、「昔の自民党」を民主党に期待しているというのが現状なのだけど、その方向に進むことを、共産党・社民党・社会党から鞍替えして民主党に期待してきた左派有権者層は、それらと共存していけるのかな? というのが、たぶん最大の課題で着目点じゃないかなと思う。
でもたぶん、そこまでみんな考えてないので、「とりあえず今と劇的に変われば誰でもいい、うまく行かなかったら批判し倒して引きずり下ろせばいい。そして我々は非常に気が短い」という感じなんじゃないかなと思う。
善悪でことを判断するのは生活に余裕があるときで、損得でことを判断するのは生活に余裕がないときだ、ともいう。好きと嫌いを、善悪を根拠に判断するのか、損得を元に判断するのか、価値観の根拠をどこに置くかということについて、恥じ入らずに受け入れられるかどうかとか、2009年はそういうことをいろいろ求められてるんじゃないかなというようなことを、年初に思ったりするのだった。
*1:旧ソ連・現ロシアと未解決の領土問題を持ち、パイプラインなどで資源をロシアから供給される側の立場の国が、その供給側のロシアと交戦状態になる
*2:派遣切りは正社員に対する競合・協業者の排除。
*4:同じく自民党の古い政治家であった小林興起が全く同じ事をやってた。自民党の古い政治家はだいたい多かれ少なかれコレをやって顔つなぎをしている。有権者と縁やゆかりを以て、相手を身内に引き込んで「期待」をさせるのである。どぶ板選挙と言われるものは、単に商店街を歩いて握手して回るってことだけではない。
*5:外交安全保障については自民党よりさらに右にいて、経済政策などについては若干左派。
*6:自民党以外だと共産党も同様に解党の可能性は低そうな気がする。
*7:しかし、現実には「自分だけを救済しろ」というのは非常にきまりが悪いのでw、「(自分を含めた)大勢を救済しろ!」と訴える。しかし、母数が大きくなれば自分の取り分は当然少なくなるから「これっぽっちか! ふざけるな!」と声を荒げる。 直近では、日比谷の年越し派遣村とか。