民主党のマニフェスト

民主党マニフェストと政策集が公開された。

民主党の政権政策Manifesto2009
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf

民主党:【ビデオ配信】政権政策(Manifesto)発表会見
http://www.dpj.or.jp/news/?num=16658

民主党政策集INDEX2009
http://www.dpj.or.jp/news/files/INDEX2009.pdf

これを見る前にしておく話。


人間は、何かことに当たるときに、予め自分の中に方針/結論が既にあることが多い。それについての仔細がまるで理解できていなくても、
「容認/賛成のつもり」
「拒絶/反対のつもり」
という心構えが、事態に当たる前の時点ですでにある程度熟成されている。そのどちらでもない場合、そもそも事態に対して興味が無く、事態に向き合うこともない
興味がある、向き合う気があるという時点で、すでに個々に結論があるのだ。


その上で、肯定的に容認するつもりがある場合は、そこに書かれていることのうち、自分と意見が合致するもの、自分が受け入れられることだけが見えて、まったくもってその通りだと思い、自分と意見が合わないものについては、まったく見えなくなる


逆に、否定的に拒絶するつもりでいる場合は、そこに書かれていることのほとんどが気に入らないものであるように思え、良いように思えるものについても、自分の結論が揺らがないように叱咤するために、必ず裏がある、そこに書かれているのは真実ではなく、別の思惑があるに違いないと思い込もうとする。もちろん、自分の期待するネガティブな意見が少しでもあれば、それ見たことか、やっぱりだ!と、悪いところばかりが目に付くようになる。


良くしたもので、こういう状態を表す言葉を我々は既によく知っている。
痘痕も靨(あばたもえくぼ)
というアレだ。
良い、可愛い、という結論を思い込んでいると、痘痕の痕もえくぼに思えてくる。

民主につけ、自民につけ、それを支持する人から見れば、発表されたマニフェストや政策集*1は、痘痕も靨のイイモノであるように見える。

しかしこれは、逆も然りなのである。

それを支持しない人から見れば、

靨も痘痕(えくぼもあばた)

に見えてくる。
それはそれでヒデェ話であるけれども、我々はそれだけ「気分、雰囲気、思い込み」に流されやすいのだ、ということを自分だけでも分かっておくといいと思う。*2


否定したい、批判したいという結論がある人は、自分の批判に都合のいい答えをそこから見つけ出そうとするだろうし、肯定したい、称賛したいと思う人は、自分に不都合な意見は無視する。



そういったことを踏まえて見ると、マニフェストとか政策集というのは徒花的な意味で【良く当たる占い】に似ている。

「あなたは――
普段の行動はゆっくりしているけど、いざというときはキビキビし、
言葉遣いはマイルドな物腰ながら、ストレートに物を言うところもあり、
いつもクールに振る舞っているけれども、案外表情豊かで、
石橋を叩いて渡るほど慎重だけど、本当は何事も楽観的な性格で、
はっきり言って変わり者なのに、常識も弁えていて*3
四角四面だけど融通が利く人です」

「これは良く当たる占いなんだよ」と予め予告した上でこういう書き方をしたものを見せたら、「外れているところもあるけど、概ね当たっている!」と思うだろう。
実は、当たっているのは半分しかない。全てが相反することを書いているのだから、確率は常に1/2だ。でも、半分も当たっていれば、或いは「自分はきっとそうかも」と思い当たることがひとつでもあれば、「ああ、これは自分のことを確かに言い当てている」と思い込んでしまい、大ハズレの部分は記憶に残らない。


マニフェスト&政策集というのもこれと同じで、肯定的に見れば自分にとって都合のいい、賛同できるところばかりが記憶に残り、「あれは何て素晴らしいマニフェストなんだ! 自分とまったく同意見だ!」ということになり、自分にとって不都合なところは「見えなかった。記憶に残らなかった」ということになる。
後になって、自分にとって不都合な政策が遂行される段になって「そんな話は聞いていない、約束違反だ」ということになり、痘痕も靨はかわいさ余って憎さ百倍に変わる訳なのだが、その段になってから騒いでも遅すぎる、というわけだ。



民主党マニフェストは26頁。2/3くらいは総論的スローガンと鳩山由紀夫写真集w*4
総論と各論についての話は何日か前のエントリに書いたが、「総論に賛成でも各論(方法論)は一通りではない。方法論について異議を唱えると、総論に対する反対と見なされて、発言を抑止される」というのが、総論をスローガンに据えて反論を押さえ込むテクニックのキモである。
鳩山写真集になってるマニフェストのほうは、主にこの「反論しにくい総論」を並べ立てたもの。徒花的な書き方をされているので、肯定的に見れば寸分の曇りもない素晴らしいものに見えるし、否定的に見れば「実は何も言っていないのと同じ*5」。


もう一方の政策集(INDEX2009)は、マニフェストよりさらに具体的に書かれている。言わば、総論に対する各論で、政権を得て何をしようとしているのかについてのより具体的な方針はこちらにある。64頁もある。
たぶん、この頁数を聞いただけで、普通の人は読まない。
マニフェストが「徒花的な良く当たる占い」だとすれば、こちらはクレジットカードの契約書に付いてくる、極小フォントでびっしり書かれた規約に近い。
はっきり言って、たぶん誰も読まない。
でも、「確かに書いた、確かに予め言った。読まないのはそちらの手落ち」と強弁できる程度にはアリバイ作りになっている。*6


このクレジットカードの規約みたいなINDEX2009を、ザッと読んでみた。
なんというか、頭がくらくらした。





追々内容に触れていきたいけど、先に一言言っておきたい。
変わりゃいいってもんじゃねえんだよ。
本気かよ、これ。

*1:マニフェストは日本では「政権公約」と和訳されるのだが、本来のイタリア語のマニフェストには政権公約の意味はなく、「政策、声明、宣言」以上の「守るべき約束」というニュアンスはない。正規の意味に基づくと、「マニフェストは公約ではないので守らなくてもいいもの」ということになる。民主党マニフェストと別に「政策集」としてINDEX2009なるものを提案している。こちらはマニフェスト政権公約ではないから、実現できなくても非にならず、実際に実現する場合も「予め言ってあった」というアリバイにできるものになる。

*2:そうしておくことで、後で自分に言い訳が出来るw

*3:ここまでトモダチコレクションの性格設定w

*4:マジでwwww

*5:敵は海賊の高速言語的な意味でw

*6:民主党ペルシャ湾での海上給油などに反対したときの言い分は、「マニフェストに書いていた」であった。