静岡県人の県民性の思ひ出

僕は静岡県東部の出身であるわけなのだが、あのへんはそもそもは東海道の宿場町であった。
宿場町というのは、旅人が落とす路銀で賑わうものなので、マレビトというか旅人の訪問を結構喜ぶ。客好きで家に泊めたり持てなしたがる。
が、それで気をよくした旅人が、根を下ろすことはあまり喜ばない。
伊豆なんかは気候温暖だけれども、そもそもはあまり農地が開けなかったとかで、江戸時代は産業は温泉と金鉱しかなく、それ以前は流刑地だった。*1
だから、旅の客が落とした路銀を稼ぐことはしても、土地が痩せているので、客が土地の者になることに対しては拒絶心が働いたんじゃないかなあ、とも思う。


維新で幕軍がボロ負けした折、名を挙げたのが清水次郎長親分だが、彼は幕軍旗本の遺体でいっぱいになって使えなくなった清水港を再開させるために、その遺体の引き揚げと埋葬・供養を、官軍の怒りを買う可能性を覚悟して買って出た。*2
で、この伊豆のあたりから清水、焼津、静岡全般というのは、江戸から逃げ落ちてきた旗本達が命からがら辿り着いた地でもあって*3、実は今もそういう「逃げ落ちてきたお侍さん」「都落ちした旗本」の末裔が結構いるらしい。実はうちの母方もそうらしい。


で。


「土地が痩せていて」
「お客さんは歓迎」
「しかし、土地に客が根を下ろすのをあまり喜ばない」
という閉鎖性というのは、実は静岡東部に限らず、日本各地の地方の気質としては珍しくないんじゃないかなあ、とも思う。
日本は平野部=耕地が狭く、決して土地が肥えている国でもない。
大穀倉地帯ならともかく、工業化が進んで人口密度が上がって、畑が住宅地に変わって……となった今の日本は、全体が都市化したように言われているけれども、それでもなお「土地に客が根を下ろすのを喜ばない」という閉鎖性の高い地域はまだまだ多いんじゃないだろか。


そういう日本の地方、「県民性」みたいなものについて、東京などのような都市圏にいるとついつい忘れがちになるなー、と思う。

*1:北条。

*2:この辺が男を上げた、と言われるエピソードのひとつだったような。

*3:伊豆が天領だったこと、駿河遠江などが譜代藩だったこともある。