400頁の走馬灯

普段作っている本は224頁。
で、扉やら奥付やら目次、前・後書きやらを外していくと、本文は実質208頁で、およそ200頁。
今回作っている「殯」は400頁。諸々を取り外して本文は390頁。
300頁超の本を作るのって凄く久しぶり。
例によって自分で組んで自分で校正して……という作り方なので、作業手順的には普段と変わらないのだけど、ボリュームが倍ある。
にも関わらず、作業時間は普段の半分以下くらいしかないorz
そんなわけで普段の4倍の密度で作業進行中。


いやでも、自分で書いた原稿だし、そんなに手間は掛からないだろう……と思っていたんだけど、書かれた時期に十年近くも幅があると、もう実質的にまったく別の人間が書いた原稿と変わらない、というorz
まるで自分の原稿じゃないみたい……というか、自分の最近の文章が形作られていく経過を、凄い勢いで見せられるというか、自分のナニをどう直して今の形に変わっていったのかを突きつけられるというか……。


良く言えば年代記(クロニクル)。
もっと言えば走馬灯wwwwwww
荼毘に付す前夜、夜通し続くお通夜の席と言った感じの。


お、終わっちゃうの? 僕終わっちゃうの?
とドキドキする勢い。


一度本になってしまうと、自分の書いた原稿をもう一度読み返す機会というのはあまりなく、「めでたしめでたし」と本棚に突っ込んで終わりなので、ずいぶん久しぶりに再会した自分の原稿はむしろ新鮮に読めた。が、初めてのピアノ発表会的な緊張や、初めての街頭演説会でいきなり第一声を噛んだ的なもたつきもあり、「あの頃の自分を舞台袖に引っ張り込んで往復ビンタしてやりたい」という気持ちにもなった。
20ウン年やって大してうまくなってる気もしないけれども、それでも少なくともささやかな変化変質してきているのかな、とも。


加えて、20年近く前と2009年との時代の開きの中に、技術やコンセプトの明らかな進化はあったのだなあと感じた。昔の書き方は、まだまだ試行錯誤の連続だったなあ、とか。今も定まっているとは言い難く、尚この先も一生試行錯誤は続くのだろうけれども、手探り感満載だなあ、とも思えた。



そんなわけで、現在作業の最終局面に突入。
新刊【「超」怖い話クラシック ベストセレクション 殯(もがり)】は、10/2発売予定です。
解説文は、銃夢木城ゆきと先生から頂戴しました。
お忙しい中、ありがとうございましたm(__)m*1


さて、あともう一頑張り。

*1:過去にもあったけど、やっぱり漫画家さんは「減らない修正液」に憧れるらしい。複数の漫画家さんに「あれはマジですか」と訊ねられ、木城さんにも「今もあるんですか」と訊ねられました。ちなみに木城さんのお気に入りは「にゃーにゃー音」とのこと。……アレかw 今回読み返してみて、自分ではやっぱ「テレビ泥棒」「カボチャ」あたりが好きだったなあ、と