鳩山政権
本日のもうひとつのニュースは鳩山政権の成立。
戦後、野党が選挙で過半数を取って政権奪取するのはこれが初めてだということで、「何かきっといいことが始まるに違いない」という過分な期待が寄せられているのを感じる。
が、変化は確かに起きたが、変化は進化と同義語ではない。
変わるからといって、良い方に変わるという確証はどこにもない。
また、「景気のいいことを言ってみたが、いざとなってみたら空手形」ということは起きてくるだろうし、というかもう起きている。
高速道路無料化は「北海道などの一部路線のみ」、
最低賃金1000円は「とりあえず800円を目指す」、
中小企業の借金元本支払いを延長させる「支払猶予制度(モラトリアム)」*1は、恐らく一日ですぐに引っ込められるだろうし、
記者クラブ開放なんてのもあったが、結局ネットメディアやフリ−、週刊誌は今後も締め出し継続で、総理ぶらさがり会見は今後はなし、総理会見も週一になるらしい。*2まあ、失言や「前と違う」ことを即興で言わせないようにする、そういう慎重さが見られるあたり、ブレ現実に向けて変化したとも言えようか。
さて。
民主党の新しい内閣の顔ぶれを見てみると、「名前も知らねーよ。誰これ?」というのもちらほらいるし、「あんた今まで国家のナントカを批判してきたでしょうよ?」というのがSP付けられて満面の笑みだったりするしで、「これが変化ということか?」と少々首を捻らんでもない。
こういうときに、我々の目の前にある箱と板というのは便利なもので、名前を入力してググレカス検索などしてみると、いろいろ出てくる。ホントに出てくる。Wikipediaはむしろ「きっかけ」だけで、あれは削除合戦になった経緯をノートのほうで確認した上で、Wikipedia以外の、「組織役員」「支援者」「参加したイベント」などをこつこつと追っていったりすると、どういう支援者、どういうつながりで、何の利権の代弁者なのかが自ずと見えてきたりする。
少し前に「マルチ商法利権の代弁者として、マルチから金を貰ってた議員」が民主に何人かいたが*3、コトはそれに限らない。
民主の新内閣の顔ぶれを見ると、総連、日教組、中核派などとの繋がりが否定しきれない方々と、小泉以前の自民党の中枢にいた方々であるとか、要するに「利権ずぶずぶ政党だった頃の古い自民党」が、左派という薄皮をかぶった状態で鎮座ましましている。
これが望まれたのだとすると、誰が彼等を望んだのか。
小泉時代にいい目を見られなくて、それより前、バブルの頃やさらに遡って高度成長期に「自民党の治世」で腹を肥やした人々こそが、「利権分配してくれる昔の自民党」を期待して、今の民主に入れたのか、という気もする。実際、民主党って、新(旧)自民だもの。トチ狂ってそうしたとか、何も知らずにそうしたのではなくて、「確信を持って期待を寄せて、何らかの利益が得られると信じて民主に入れた」人が多いのだとするなら、その根拠は「昔の夢よもう一度」以外に思いつかない。
僕は世代的にバブルの尻尾時代にぎりぎりで就職できたりできなかったりという世代なので、直前の人々の「左団扇で世の中に出る」という姿について、あまり愉快な思い出がない。さあこれからと思っていたら、時代は急転直下、カンダタになったような気分というか。
僕より下の世代はむしろ「それが当たり前」になってしまっていたわけで、日経株価4〜5万円とかあり得ない。*4
その意味で、民主への期待の正体は、そういう良い時代を成功体験として身体に刻んでいる人々による「昔の自民よもう一度、夢よ再び」であろう。
が、その夢は早晩に破れることになるだろうとも思う。
外からお金を持ってこないで、国内だけで回しましょう……というような「内需主導」がうまく回るとは思えない。
食糧も、外貨を稼ぐための加工材料も、燃料も、日本国内だけで回せるものなど極少ない。
江戸時代の日本の人口は4400万人程度だったのだそうで、ほぼ鎖国*5、内国貿易のみで物産を回し、食糧も国内生産品のみで賄うとしたら、4400万が限界だった。明冶になって7000万人を濃し、ベビーブームを挟んで1億人を越すまでに至ったのは、「工業生産/加工品貿易による外貨獲得*6」があったからで、そうしたものなしに「内需」「鎖国」で回していけるというのは、日本が「外部と遮断した経済的な永久機関になり得る」と考えるのに等しい愚考だろうとも思う。
経済の基本は、
「みんなが欲しがるものは高く売れる」
「安いものはたくさん売れる」
「高く/沢山売った人のところにはお金が集まる」
「ものを買ったらお金は減る」
「誰かが得をすると、誰かが損をする。大勢の誰かの損が束ねられて、少数の誰かがの成功が出現する」
というものだと思う。
「誰かが成功するのが許せないから、みんな失敗すればいい」
「みんな失敗すればいい、というと角が立つから、みんな成功すればいい」
「みんなが平等に貧しいのは厭だから、みんなが平等に豊かになればいい」
というのは、言うは易し。行うは難し。
誰もが平等な社会というのは、経済活動が微弱でお金が動かない世界だし、人より働いて人より儲けると妬まれてしまって努力が評価されない世界だ。
要するに、社会主義・共産主義的社会ということだ。
鳩山政権は「成功者を許さない社会主義的社会」を構築していく、という明確な目標を持った政権だが、それをあからさまに言ったら支持が得られないから、「友愛」というオブラートにくるんだ。
さて皆さん。
社会主義国ニッポンへようこそ。
今日からが第二幕です。*7
*1:これは要するに「徳政令」なのだが、これをやられるとせっかく健全化された状態で金融恐慌を泳いでいる銀行の財務体質が悪化し、銀行が傾く/潰れる可能性が高まる。リーマン・ショックのエントリでも書いたが、金融不安とか恐慌というのは、大概が「銀行への取り付け騒ぎ」から話が拡大していく。この徳政令が実現された場合、銀行の財務体質不安から取り付け騒動に発展し、景気の二番底を日本が割る、という事態に発展する可能性がある。江戸時代の「徳政令」は武士による商人への借金をチャラにさせたものだが、結局、借金体質=構造改革が伴わなかった為、結果的に武士の借入体質は維持され、経済改革としての効果は長続きしなかった、と記憶している。ニューディールとか、徳政令とか、借金をチャラにするというのは、その後の新たなルールが整備されていない限り、焼け石に水にしかならんのではないか、とか素人目にも心配になる。
*2:杞憂に終わればいいとは思ってるけど、遠くない時期に「インターネット実名制」とか「blog実名制」とか「掲示板での発言は実名で」とか、政府政策に対して批判するとある日突然ISPから退会させられたり、一夜にしてblogを消されたり、Google八分にされたり……というようなことが起こるのかもしれない。Google八分は技術的に可能であることが数年前に実証されていて、極悪商法について告発するサイトが、Googleのスポンサー企業を告発したとかで、Google検索から弾き出された。その結果、「検索に引っ掛からない=なくなった」ということにされて消えてしまった。技術的にそれが可能だということは、恣意的な、しかし法令に基づいた命令が伴えば、いつでもそれができる、ということでもある。ある日突然、さぼり記が読めなくなる……という日が来るかどうかはともかくとして、100%ないと言える話でもない。
*3:全員当選してんですかねw
*4:そこまで戻らないと景気が回復したとは言えないとか、7000円台からここまで戻してきた自民政権に対してハードル上げすぎだったと思う。
*5:出島は例外
*6:池田隼人の所得倍増計画とか、無茶だけどよくやったなと思う。今にして思えば。
*7:鳩山政権は恐らく短命に終わるだろうけど、散々批判されてきたはずの「政権投げだし」「キングメーカーが次々に首をすげ替え」というのが、今後最長4年間続く可能性は高い。記者クラブ制の維持によって、当面、報道各社は民主の梯子を外さないことに決めたようだし。どうなりますかねえ。