ハニトラと権威簒奪

小沢朝貢団の渡航費用は、エコノミーではないのだろうからファーストかせめてビジネスなんだろうけど、それも全部税金から出てるんだっけね。
税金で中国観光、税金で夜の全身マッサージ。


ほー。
へー。


どう考えてもハニートラップですなあ。
中国のハニートラップ(女性工作員に誘惑をさせて、何らかの情報を盗ませる、または弱みを握らせて何らかの目的を強要する)というのは今に始まったことではないし珍しいことでもない。
つい最近もイギリスはロンドンの副市長がハニトラにやられた、というニュースがあったばかりだし、

「まさか、自分が騙されるとは」 ロンドン前副市長、中国美女の罠に
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d67957.html

2004年に起きた、

上海総領事館員自殺事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/上海総領事館員自殺事件

などもハニートラップ事件の典型と言える。
古典的な諜報工作がなぜここまで日本に有効なのかと言われれば、下半身が緩いwという評判もあるのだろうけど、それ以上に日本、特に政治的素人の現与党は、こうした「身分以上の饗応・歓待、の裏にある外交/政治謀略上の脅威」に対してウブなのだと言えよう。


ニートラップの本質は「美人局」であるわけなのだが、性行為の提供wがあったなかったに関わらず、中国で「外国の政治家」の饗応が民間の自由対応に任されることはあり得ないわけで、必ず政府の用意したものになるか、政府の完全監視の下に行われるものに限られる。これは、謀略的側面からもそうだけど、口実として「他国の政治家の安全を守るため」という名目も成り立つ話だし。
つまり、「何が行われたか?」を中国政府は完全に把握掌握していて、それを「黙っていること」も、逆に起きたことが事実かどうかを「傍証として裏付ける権利」も持っていることになる。
議員に対する「性行為の提供」疑惑が指摘されたとして、「そんなことはなかった」と、監視を認めた上で裏付けることもできれば、「当局は関知しない」と(知っていても)突っぱねることもできる。
逆に、そういった事実がなかったとしても「実際にはあった」と裏付けることもできるし、「当局は関知しない」と見捨てることもできる。

それをわざわざ「夜の街で夜中まで全身マッサージされてきました」って、満面の笑みで……orz
マッパwで所持品は別室で……。


末端の比例当選議員にまでそうした饗応が行われているのだとすれば、中堅・幹部クラス、権力者である小沢一郎にはそれ以上の饗応または「下賜」があった、と勘繰られる。「いや、そんなことはなかった」と強弁するだろうけど、末端議員が饗応の事実を映像でゲロっちゃってる以上、それが仮にあったのであろうが本当になかったのであろうが、裏付ける権限は中国当局にしかなく、中国当局にしか裏付けが出来ないような状況にはめこまれた時点で、はっきり言って落とされたも同然。
まさにハニートラップ。


近く胡錦濤主席の後継者になると目される習近平副主席の、天皇陛下への謁見を、「予約は一カ月前」という慣例*1について、「小沢一郎の肝煎りによる命令」で「鳩山に横やりを通させる」ということが実現させられつつあるのも、背景には小沢朝貢団へのハニトラの成果もあるのかも。


ともあれ、バルタザール、メルキオール、カスパーは陥落し、さらには日本にあってはタブー中のタブーであるところの「皇室の動向」についてまで小沢一郎の胸先三寸で決められるということを、内外に示したことになる。
日本国憲法下にある天皇・皇室の取り扱いは、「国民統合の象徴」であり、国家元首ではあるけれども「君臨すれども統治せず」として政治には関わらない、同時に内閣も天皇を政治利用しない、ということになっていた。これは自民党政権下でも長く守られてきたものだ。
天皇は「権威の象徴」ではあるけれども、「権力とは分離する」というのが日本国憲法に基づく合意であったはずなのだ。


が、ここへきて与党幹事長の意向ひとつあれば、そうした政治的な禁忌も、
「破ってよい」
「法律は守らなくてよい」
「特例は認めてよい」
「政治が必要と考えれば、因習は捨ててよい」
という、政治の横暴によって蹂躙可能で、それも正当化される、という前例になってしまった。
皇室の権威は「権力」ではないけれども、三権を掌中に収めた独裁者が欲するのが「権威」であることは火を見るよりも明らかなわけで。


天皇を奉じて勅が得られれば、後は好き勝手にしてよい」
というのが、所謂「明冶維新」だった。
次に、その明治維新を手本に、「天皇を奉じてしまえば好きにできるはず」として行動したのが昭和維新
昭和維新――515事件、或いは226事件である。これも、天皇の権威を政治利用とした事件の代表例と言える。
そういえば、小沢一郎は最初っから平成維新って標榜してたっけな。
日本人は「○○○維新」と言う言葉に、どうしても坂本龍馬や明冶の元勲達のヒロイズムを感じて、ポジティブな言葉のように考えがちだけど、昭和維新とされたものの本質がそうであるように、そして平成維新を標榜する簒奪者がそうであるように、「天皇の権威を政治利用しようとする」のが維新の本質であって、権力者が権威に手を掛けることが許されてはいけない、または権威者を権力者の都合で利用してはいけない、というのが、先の戦争の教訓ではなかったのか?


先の戦争後の日本にあって、政権交代直前の自民党は巨大与党であった(衆院に限れば)。
が、ここまでの横暴、暴走はなかった。


たぶん次に来るのは、情報の統制だと思う。
マスメディアの統制について言えば、放送(テレビ・ラジオ)は、免許更新の拒絶をちらつかせればよい。新聞については、再販制見直しをちらつかせればよい。雑誌の地位はもっと低い。


「まだネットがある」などと思い上がってはいけない。
実名制が「制度化」されて、なお実名で政権批判ができる人間は多くはない。
小沢一郎が手本とする中国がそうしているように、「政府に対する批判のフィルタリング」が義務づけられるかもしれない。他国・外国(中国)が実現していることは、日本でも実現は不可能ではない。
いくらなんでもまさかそこまで、と侮ってはいけない。あり得ない横暴がわかりやすい形で既に進行中なのだし。
ISPに特定ユーザーの「接続禁止」を命令することで、自由な発言を禁止せずに、自由な発言そのものを抑止・制限できる。
2ちゃんねるやニコ動なら許されるなどと思ってはいけない。
2ちゃんねるは2007年の参院選前後くらいから、民主に弓引く「スレ」を立てる記者は減ってきているし、ニコ動は2008年大晦日に「小沢一郎を批判するアカウントを即日アカ禁解除なし」にするという、「自主規制」を行っている。


阿り以外を許さない発言の自由のない世界は、案外近いところまで来ている。
「こんなことなら自民のほうがマシだった」
と気付くのに時間が掛かる人もまだいるだろう。
でもモノカキにとっては、案外早い段階で致命傷になるんじゃないかな。
我が儘批判を許す政権と、不平すら許さない政権。後者を選んだのが民意であるわけだが、まさか自分達に影響が波及するわけがない、ともしかしてこの期に及んで思ってたりするんだろか。


まずいよねー。
ある日突然、さぼり記の更新が一週間以上滞るようなことがあったり、また一切の時事ネタ更新がなくなったり、なんだかやたらと民主に阿るようなネタが書かれるようになったり、仕事がなくなっちゃったりwしたら、それはきっと友愛、





<ぴんぽーん


……おや。
誰か来たようだ。

*1:前立腺癌手術を受けられた後の天皇陛下のご健康への配慮と、皇室を政治的に利用しないという日本国憲法の遵法からきている慣例