天皇カードを考える(1)

連日の天皇陛下の政治利用問題を、別視点から考えてみる。
新パソコンのATOKを慣熟させるトレーニングも兼ねるorz


実は、G8に参加する世界の先進国、経済・軍事・技術・科学の点において先進的な勢力のある国々とされるG8の中で、立憲君主国として権威と権力を分配している国というのは、日本とイギリスの二国だけで、それ以外の米・露・仏・伊は権威と権力の統合者としての大統領がその権威の頂点におり、大統領の権威は憲法が保障する、という感じになっている。実際には現在のロシアは大統領より首相のほうが権限が強く*1、イタリアもナポリタン……じゃなかった、ナポリターノという大統領がいるのだが、ほとんどベルルスコーニ首相のほうが権力・権限も知名度も高い。権威は大統領のほうが上。
中国は共産党に権威があり、その主席たる胡錦涛は権力と権威の双方の頂点にいる、と言える。クマジローさんの国・カナダは、立憲君主国家であるイギリス連邦*2の加盟国なので、一応、権力と権威の分散がなされた立憲君主国と言えんこともない。


G8以外の世界の国々を見渡してみると、実は「王様がいる国」というのは、よほどの小国を除いて実はあまり多くはなく、王様が権力も兼ねている国というのになると、族長から発達した人治主義が残るいくつかの地域に限られ、新興国の多くは共和制から大統領制を採択している。
アフリカ各地のように、大統領が事実上一族で政府を握ってしまうという、人治主義の王族になってしまっている国々はあることはあるが、権威と権力を分配しつつも権威が廃嫡することなく維持され、一定の敬意を払われている先進国=古い歴史がある国、というのは非常に稀である。人治主義からくる大統領の国や、1945年以降に共和制の独立国になった国々から見ると、数千年*3の歴史を今に権威として命脈をつないでいるということは、やはり世界でも最上級の礼を要する、ということになる。


よくいわれる「天皇陛下儀礼上のポジション」は、

  • 皇帝、法王と同格
  • 皇帝、法王は王より上
  • 王は大統領より上
  • 大統領は首相より上
  • 与党幹事長は首相より下

という感じで、宴席でいえば最も上座、本来、横に並んで座っていいのは儀礼上は法王と英国女王だけであるらしい。
これは、日本がかつて「連合王国*4」であったからであるらしい。現在の日本は国土を「日本語が通じ、日本の法律が通じる、日本国籍を持つ人が主たる住民である地域」に限っているので、連合王国の条件を満たしてはいないのだけど、これは大韓帝国満州・台湾*5などと合邦していた時代を踏まえての儀礼であろうかと思う。
ともあれ、古代の血脈はともかく権威の垂直継承が数千年分行われてきているという意味では、代え難い高い権威があることに変わりはない。


さてこの権威としての天皇との謁見というのは、我々日本人が思っているのよりずっと、「他国要人」から見て大変価値ある光栄なものである。日本に着任した各国大使は、最初に天皇陛下に着任の礼をするのだが、このときに皇居に向かう折に「車」と「お召し馬車」*6を選べる。ほとんどの人がomeし馬車を選ぶそうな。
「かっこいいから」「本国ではまず乗る機会がないから」というのもあろうけど、「日本という国で最も権威ある国家元首に会うのだから」という敬意を込めて、お召し馬車が選択されるのだそうで、日本国憲法が第一条で規定するところの「日本国民統合の象徴」という権威の具現者としての天皇陛下に最上の礼が払われるということは、それはそのまま象徴者が示す日本国民全てへの礼が払われたことと同じ、ということになる。
儀式的行為というのは、煩雑で無駄が多いように見えて、そこから派生する全ての事柄についての根幹的な信頼を保証するという意味において重要なことなのだと思う。


天皇陛下は「天皇だから偉い」のではなくて、日本人という存在のメートル原器に等しいからこそ敬意を払うべき存在であるのだと思うし、同時に全ての日本人にとって天皇陛下というのは「自分の私見を言うことも、他人の代弁されたことに同意することも反論することも、そして勝手に死ぬことをも赦されない生け贄」でもある。
我々は、TPOに注意しなければならない場合はあるにしても、blogやTwitterを用いて、または存分に酒が入った居酒屋のボックス席で、床屋で、2ちゃんねるで、それこそ好きなことを好き勝手に表明できる。
少なくとも「私はこう思う」と言える。
天皇陛下というのは、政治的決定に影響を与えてはいけない、と規定されている。つまりその発言が政治を左右してはいけない、ということだ。自身の子、孫についても自由には言えない。皇位継承者について、指示することもできない。ただひたすら、生け贄として「そうせい公」であることを求められている存在と言える。
日本人のある一定以上の年齢の世代にとって、天皇陛下は「尊敬」や「畏敬」の存在であろうと思うのだが、それ以外の世代にとっては「よくわからない」という位置、またはよくわからない上の誤解を伴う解釈で「税金で食わせてもらっている穀潰し」なんてものすらある。*7
が、やはり天皇陛下というのは「引退ができない、プライベートがない、自由な行動や意志表明はできない」という意味で、たいへん気の毒というか同情すべき存在であるのではないかとも思う。この「同情意識」は戦後の広い世代にもある程度、直感として共有されているところではないかなあ、と思う。自分の置かれた立場と照らし合わせてどうよ、という。
ただ、経済的困窮者といわれている人たちが、移民に職を奪われて……というような感じで増えていくと、妬み意識がそうした同情意識を希薄にさせていく可能性はあるなあ、とも思う。



……ここまで、とてつもなく長い枕。
全然、「天皇カード」の話にたどり着かないので、(2)へ。

*1:憲法上はあくまでも大統領の権威・権力が1位だが、人治的にそのへんが逆転しており、プーチンが権力の第一位にいるが

*2:北部アイルランドおよびグレートブリテン連合王国

*3:神話を入れると2600年以上

*4:王ではないけど、ここでは便宜上そう呼ぶ

*5:台湾は今も昔も「地域」で、「国ではない」という向きもあるが、ここでは踏み込まない

*6:知り合いwが昔、仕事で運んだことがあるらしいw

*7:元々、天皇陛下の持ち物だったものが下賜されたものというのもあるわけで、だったら皇族から着服したものを皇族に返してやれよとか思うこともあるのだが、そのへんも広がりすぎるので本稿では割愛