絵本における喫煙描写

今日、こんなニュースがあった。

愛煙家おじいさん登場、児童誌が販売中止に : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20091229-OYT1T00086.htm

 福音館書店(塚田和敏社長)は28日、月刊「たくさんのふしぎ」の2010年2月号として発売した「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(文・絵、太田大輔)を販売中止にすると、ホームページで発表した。
 対象年齢は小学校3年生からで、発明家のおじいちゃんが2人の孫に江戸時代の暮らしを説明する内容。おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている。
 喫煙に反対する団体などから「たばこを礼賛している」「たばこ規制枠組み条約に違反する」といった指摘があり、同社は販売中止を決定した。
 ホームページでは、塚田社長名で「(たばこは)小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したりする編集意図はまったくありません」と説明。「しかしながら、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした」と謝罪した。

この本が、例えば登場人物であるおじいさんが孫に煙草を吸わせようとしている、薦めているという描写があったなら問題だろうと思うけれども、単に「大人の嗜み」としてのみ喫煙シーンを描写しているものだとするなら、この嫌煙団体の批判はやりすぎではないのか、という気もする。
もちろん、「受動喫煙を容認する内容を子ども向けに云々」という主張はあろうけれども。


僕が昔読んだ絵本に登場するオッサン、或いは「成熟した大人」として描かれる登場人物の多くは、大人であることの証として喫煙している者が多かったような気がする。
煙草は子供は吸ってはいけない、吸っていないもので、それ故に「成熟した大人の嗜み」として描かれていた。
それは教師、親(父親)、何らかの年長者、人生経験を多く積んだ労働者、官公庁の役人・権力者の小道具として描かれ、咥えているものによってそれらの喫煙者の所属している階級を表していたりもした。


日本では煙草=紙巻き煙草(シガレット)が定着しているが、これは元々はといえば、「高級な煙草」或いは「高所得階級が吸う煙草」であったらしい。
煙草には、葉を巻いた葉巻(シガー)やシガリロ、葉を刻んだパイプたばこ、シャグたばこ(手巻き煙草)、キセル用煙草、そして紙巻き煙草などがあるのだが、貴重な煙草葉を丁寧に大量に巻き重ねた葉巻は当然高級品*1。日本ではマフィアや成金が咥えているもの、というイメージが強いが、昔は別に高級品ではなかったらしい。


パイプもまたダンディなおじさまが咥えているような印象からか、高級品のようなイメージがあるのだが、実はパイプ喫煙というのはむしろ低所得者層の喫煙スタイルらしい。日本よりたばこ税が高いと言われている欧米では、確かに紙巻き煙草の課税率は日本より高いのだが、逆にパイプ煙草や手巻き用シャグ煙草など、「巻いてないもの」「刻んだだけのもの」などプリミティブな状態にある煙草の税率は格段に安い。これは、低所得者層の嗜好品であるが故、ということらしい。
パイプといえばシャーロック・ホームズだが、ホームズは中産階級以下の人間で、趣味は「一週間の終わりに暖炉の上に集めたパイプ煙草の灰の中から吸いさしを集めてもう一度吸うこと」であったとかそういうw
日本におけるパイプ喫煙といささかというか、ずいぶんイメージが違う。


シケモクのイメージが強いからか、日本では紙巻き煙草は「大衆向けの安価な煙草」のように思われているが、これは煙草葉を刻んで、紙であらかじめ巻いておく、という加工工程が必要になることから、本来はこちらのほうが手の込んだ煙草=高級品であるらしい。火を付けるだけ、火を付ければすぐに吸える、という至れり尽くせりのものであるわけで、欧州などではそもそもは高所得者層の喫煙スタイルであったと聞く。


これら紙巻き煙草が葉巻やパイプに取って代わったのは、喫煙時間が短いからなのだそうで、葉巻やパイプは一度火を付けたら一時間やそこらでは吸い終わらない。時間がかかるとも言えるし、長く喫煙ができるものとも言える。
戦争が始まって長時間の喫煙時間が確保できなくなった兵士達の間で、火種さえあれば短時間で喫煙できる(1本で10分程度)紙巻き煙草が重宝されるようになり、普及が進んだ……と、そういう話らしい。


絵本の話に戻って、昔の絵本の「成熟した大人」たちは確かに皆喫煙していた。
例えば、こぶとりじいさんは喫煙者だった気がする。
不思議の国のアリスで、ハートの女王は喫煙者だった気がするし、ディズニーならドナルドはしばしば葉巻を咥えてた気がするし、葉巻といえばプルートゥや、ディズニーじゃないけどトム&ジェリーの二匹もよく咥えてた。新作では喫煙描写はなくなってるらしいけど。


例えばムーミンパパと言ったらパイプ。これは切っても切れない。
アニメ版のムーミン(昔の)でも、暖炉のそばで安楽椅子に揺られながらパイプをほじる描写を見た記憶がある。パイプは単に火を付けてふかすだけではなく、コンパニオンを使って火皿の中を整えてやったりしなければならないのだが、アニメのムーミンパパはそういった仕草も描写されていた記憶がある。ただし旧作の話で、新作がどうなってるかは記憶にない。

ムーミンパパ|キャラクター紹介
http://www.moomin.co.jp/data/chara02.html
シルクハットをかぶり、パイプをくわえステッキを持っている。若いころは仲間たちとさまざまな冒険を体験しており、ムーミン谷に落ち着いた今でも時々昔の冒険家の血がさわぎ、ふらりと家を出ていったりする。ムーミン谷にいる時は若かりしころの冒険の回顧録を執筆している。息子ムーミンに受け継がれた冒険家魂を好ましく思っている。

公式サイトを見るとちゃんと「パイプをくわえ」と記述がある。
やっぱムーミンパパはパイプだよな。それもフルベント*2の……と思ったのだが、挿絵のほうにはパイプがなく、シルクハットとステッキだけになっている。
……あるェ?
そ、そうだ。スナフキンも喫煙者だった。
親ではないけど、ムーミン達から見て「成熟した大人」の一人として描かれていた。ギターにハモニカにテントに釣り竿に、それに確かチャーチワーデン*3を咥えた描写がされてるのを見た記憶がある。というか絶対に吸ってた。
公式サイトのキャラ紹介にパイプに関する記述はないが、画像を漁ってみるとやっぱり咥えている。
子供から見て、子供ではない=大人である、ということの象徴、子供との間に一線を画すことで、教導者という地位と序列と秩序を表現しているのが、「絵本における喫煙する大人」であったのだなあ、と思える。
イギリスなどでは、「自分のパイプを持ち、それをちゃんと使いこなせるようになってようやく一人前」と言われていたくらいだそうだから、大人へのイニシエーションを暗示する小道具の意味合い、大人は子供がこれから加わっていく社会秩序の一端を示すものであるわけで、「煙草を吸う人の描写」=「従わなければならない社会の示唆」を、子供に教えるためのものであったのではないか、と思ったりもした。


喫煙者が減って久しいので、そうしたこれまでの習わしというのは今後変わっていくのだろうけれども、子供に対して「子供と同一ではない、成熟した大人」を、子供とは一線を画して理解させるための【記号】としての「喫煙」というものは、今後廃れていくのかもしれない。


他に子供には禁止されているけれども成熟した大人(か、それに準じる年齢)には許されているものといえば、

  • 飲酒
  • 運転
  • 賭博(パチンコ、競馬・競艇・オート・競輪など)

すぐに思いつくのはこの辺りだけど、いずれも「教育上よろしくない」とか「大人でもするべきではない」と言われてしまいかねないものが多いような。運転くらいですか。
酒を飲まない人が増え、賭博は身を持ち崩す人が増えている。
それらも「子供の教育上よろしくない」ということで、これもいずれ児童書から「大人の描写」として消えてしまうのかもしれない。まあ、競馬やパチンコに行く大人というのを児童書の中でどう描写するんだってのは難しいかもしれんけどw、飲酒の様子というのは昔話・童話などとも切っても切れない。
酒を飲ませると言えばスサノオノミコトヤマタノオロチなんかは酒必須だし、パチンコ、競馬はないにせよ、「賭け事をする昔話」なんて枚挙に暇がない。例えば「走れメロス」。あれって賭けだよねw


酒と賭博の描写をざっくりなくして、子供に「大人と子供の間には一線がある」と自覚を促すことができる記号的な象徴って、何があるんだろう。
と、児童書を経験した自分の身を振り返って考えたが、なんかいい結論は出ない。
大人が子供とは違うということを自覚できなくなってきているのか、子供の教育の効果が成人後も持続しているということなのか、二十歳を過ぎても子供をあやすような扱い方でなければ対応できない子供大人を増やしている、ということなのか。
いずれ大人にならざるを得ない子供が、どの時点で自分が「いずれ大人になる」ということを自覚するように促し、なおかつ「今の時点での自分は大人ではない」ということを認識するように促したらいいのか、というのは、児童書業界だけでなく「子を持つ親」「子供の近くにいる大人」にとって、悩ましい課題なのかも、とか思った。

*1:温度管理が必要なような代物は

*2:マウスピースがS字型に大きく曲がった、「いかにもパイプ」という感じのパイプ。

*3:マウスピースが細長く、緩いRの付いたパイプ。