長崎県知事選と民主党恐怖政権

昨日は長崎県知事選と町田市長選があった。
結果から言うとどちらも与党(民主/社民/国民新)の推す候補が敗れ、野党(自民/公明)の推す候補が勝った。
それぞれ前回(2005年郵政選挙直後)の結果に比べると民主の得票数が伸び、自民の得票数が減っているのだが、それは郵政選挙直後の熱気を帯びた結果で、今日の選挙を2009年の9月にやっていたら文句なしに民主の推す候補が勝ったんだろうなと思う。
政治とカネ問題もさることながら、政権についてからの民主はあからさまな利益誘導と恐怖政治が目に付きすぎるというか、かなり傲慢ぶちかましてるというか。
9億も脱税していても、それが企業じゃなく身内のカネであれば、そして被疑者が総理大臣職になるなら、修正申告と未払い分を追納するだけで、重加算も刑事告訴もなしのお咎めなし、だとか。
秘書が起訴されても「知らなかった」を貫き通せば議員辞職も役職辞任もなしで続投する与党幹事長だとか。
床屋政談、浮世風呂とあるように、かつては髪結いと銭湯が「政談」の場であったわけなのだが、最近は雑踏、飲み屋、喫茶店、他さまざまな場所がそういった政談の場になっている。Twitter、blog、掲示板などの類でもそうした話題は活発なのだが、ネットを使わない中高年女性の政治認識などはやっぱ平日午後の喫茶店などで聞き拾うことができる。
打ち合わせそっちのけでオバハンの噂話に聞き耳立ててしまうのはいかがなものかと思うのだがw、つい癖でw

傾向をざっくりと総括すると、「話が違う」「調子のいいことばかり」「余計なことばかり」というのが多いようだ。
政権を取れば自民と同じ程度のことはするだろうと思っていたら、なんだか様子が違うじゃないか、みたいな。
「政治なんて誰がやっても同じ」とタカをくくっていたら、「同じ程度のこともできないのか!」という流れになってきてるっぽい。
政治とカネ問題などでは、これまでさんざん自民を叩いてきたのだから、民主で同様のことが起きたのなら同じかそれ以上の罰が与えられるべきなのに、権力者が罰を受けないなんておかしい――という感じ。


*1

「民主に刃向かうならタダじゃおかないぞ」(石井)
「長崎知事選で民主候補勝てば、交付金も皆さんの要望通りに。高速道路が欲しいなら造れます」(小沢)
ここまであからさまに恫喝するってのはいかがなものかと。
民主にあらずば人に非ず的な傲りを、こんなにはっきりとわかりやすい形で口に出してしまうというところに脇の甘さを感じるというか。
野党時代の民主もだいたいこんな感じではあったけど、これまではそういう発言は報道されなかったし、記録にも残らなかったから、当事者達は失言だとは思ってこなかったのだろう。
ところが、それがたった一コマでもワンシーンでも放送されれば、キャプチャされてコピーされまくる、引用されまくる、記録が複製されて拡散しまくる。

小沢一郎幹事長自身も、「小沢辞任論が消えないのは、マスコミが小沢有罪論を展開するから。小沢無実論を展開すれば小沢辞任を叫ぶ世論調査は逆転する」とまで言う。
今までマスコミが叩きまくったことで自民の支持と評判を落として政権を得た割には、その矛先が自分達に向くと「フェアじゃない」と言い出すのは、まあ甘えですよ。これも。
心の中でそう恨み言を思う気持ちはわからんでもないけどw、思っていても口にすべきじゃないことを、口に出しても平気だと考えてしまうところが傲りなのだと思う。

事業仕分けは「つるし上げ」としては気分が良かったのか、ずいぶん民主の株を上げる役に立ったらしいが、それで稼げた予算は数千万、数億円程度。
その一方で、CO2削減に絡んだ、直接的な国民の利益には繋がらず「世界の人々の尊敬」という数値化できないものについて数兆を惜しげもなく投じるとか、どことどこが繋がってどのように有権者の利益に還元されるのか、民主党の政策はよくわからないというか。

先の「民主に刃向かったらどうなるか思い知らせてやる」的な発言を見るにつけ、要するに恐怖政治をやりたいだけなのかなあ、とも思える。


民主に目を付けられたら大変酷い目に遭わされる。
その「目を付けられる」が最初のうちは自民で、次が官僚だった。
今それは「地方自治体」に向けられ、首長選で民主に刃向かった地方自治有権者に向けられた。
今後、刃向かったら酷い目に遭わされる対象はますます増え、遠からず官僚でも地方自治体でもない有権者全般が、その対象になっていくんでないかなあ。


でも、政治家が有権者を脅すって、凄いこと。
大政翼賛会よりヒデエ。

*1:1月の発言映像らしいので、投票日前に民主側の選対委員長が有権者を恫喝していたわけだ。