政治宣伝のための7つの法則

本日は注釈なし。覚え書きです
スミマセン、嘘付きました。覚え書きと雑感。

政治宣伝のための7つの法則


264 ファフロッキーorz ◆jXQ78MxPRE sage ▼ New!2010/06/23(水) 00:36:47 id:iRlTnPip0


1「ネーム・コーリング」
 攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるマイナスのレッテルを貼る(ラベリング)。
 メディアやネットによって繰り返し流されるステレオタイプの情報により、情報受信者は、徐々に対象に憎悪を深めていく。*1


2「華麗な言葉による普遍化」
 飾りたてた言葉で自分たちの行為を正当化してしまう。
 文句のつけようのない・つけずらいフレーズ・正義を強調し、共感を煽り立てる。*2


3「転換」
 さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、正しく見せかける。*3


4「証言利用」
 尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを証言・後援させる。*4


5「平凡化」
 自分たちの庶民性や、情報受信者と同じ立場・境遇であることを強調し、安心や共感や親近感、一体感を引き出す。*5


6「カードスタッキング」
 都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。*6


7「バンドワゴン」
 大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。
 情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、結局はその「楽隊」に同調していくことになる。*7


第二次大戦中、米国の宣伝分析研究所が情報操作の研究を行った結果編み出した、政治宣伝のための7つの法則、だそうです。

これは分析の結果見出された法則性だが、無意識のうちにそれをやっているケースもあれば、ある程度恣意的にそういう行動を取っているケースもありそう。
また、これは「政治宣伝のための」という目的の研究に沿ってまとめられたものだが、政治というのは一般的な意味での「社会政治」だけを意味するものではなく、人と人の営みの全てに政治、または政治的な場面・状況はあり得る。


会社、学校、同業者との関係性から、家庭内の親子関係、兄弟・姉妹の序列に至るまで、そこに人が二人いれば政治は存在するし、対立する二人が三人目を如何にして自分の味方に付けるか? ということを考え始めた時点で、もうそこには「政治」が存在しており、ここに上げた七つの法則が頭をもたげてくる。


ゲームが欲しい子供が親に対して「他の子もみんな持ってる」と、自分を一般化しようとするのは5「平凡化」に当てはまるし、親が躾として子を叱るときに「いい加減にしないとお巡りさんに怒られるわよ!」と、叱っている主体の自分自身ではなく、外部的な権威を引き合いに出すのは3「転換」に当てはまる。


恋人同士が互いをよく見せるために化粧をしたり取り繕ったり本来の姿よりよく見せようとしあうのは、6「カードスタッキング」そのものであるし、「夏休みの間に一夏の経験をしないなんて遅れてる」という記事を真に受けた女子中高生が焦りを感じるのは7「バンドワゴン」である。


サークル活動や、本来仲が良かったはずの集団が、いつのまにか複数の派閥に分断されたり、その派閥が互いに互いを批判しあったり、というようなものを目にする機会は残念ながら多い。気付かないだけで自分が当事者になっている、されているということだって往々にしてあることだ。
このとき、自分も相手もそれと気付かずに、これらの「政治宣伝」の手法に気付かぬうちに手を染めている。*8


そうした対人関係の中に潜む政治的な関係性を、政治的なものとは深く意識しないまま大人になっていくので、それら過去の蓄積の中で繰り返し使われてきた「ミクロな政治宣伝のノウハウ」が、社会政治の中でも行使されていたり、行使したり、ということに我々は「当たり前すぎて気付かない」のかもしれない。
改めて書き出されてみると、「空気は透明」「水は空気より重い」というのと同程度の当たり前のことばかりなんだけど、その当たり前の法則性が頭で理解できていても、その法則性を用いた印象報道には易々と引っかかるあたり、「分かってる」ことと「対応できてる」ことは違うんだな、と嘆息しないでもない。


望むと望まざると、我々人間は「社会政治に支配される生き物」なんではないんだろか。

*1:憎悪、恐怖の他に「嘲笑」「卑下」というのもあるかも。見下す感情を共有させることで対象のポジションを下げ、同調者のポジションを上げる、とか。「あいつはバカ」「あいつは駄目な奴」「あいつはわかってない」と批判する意見が先覚的で、それに同調する人間は「わかってる俺たち」、という位置づけに置かれたり。これは、複数の集団の対立や、派閥の長を貶しあうときなどにしばしば見られる、「応援団の行動」の典型。

*2:「世界平和」「戦争反対」「格差解消」「地球を守れ」「政権交代w」などなどはいずれも総論としては反論しにくい。問題は、その総論を実現するための各論の在り方で、多くの政治的衝突は「同じ目的を目指して同じ結果を得ようとするときに取る、手段の相違」から生まれる。だがそれらの衝突は「各論の相違」であって本来は総論については論じるまでもないのだが、総論を錦の御旗にしてしまうことで、各論の反対をしづらくさせる、というのもここに入るだろう

*3:著名な評論家、その道の専門家、社会的な評価を既に得ている、何らかの賞を受賞した、などの名声・権威・威光は、その同調者が「同調する自分にもその威光が使える」と誤解してしまいがちでもある。要するにこれは「虎の威を借る狐」ということわざそのまま

*4:これは3「転換」と同一と考えていい気がする。意図しない発言についても、都合良くかいつまんで自説の補強に当ててしまったりする辺り、6「カードスタッキング」との合わせ技で用いられる。

*5:「庶民の味方」「金持ちは敵」「ボンボンは分かってない」というのは労働者階級の地位向上を前提にした左派系ではしばしば使われるスローガン。他に「主婦感覚」というのがあるが、これも「夫・男には主婦の平凡で均質で善良な正義感は理解されにくい」という、無知の純真性(弱者の超越性)を纏ったものと言える。そうした、「無知な弱者」が一般的であり、自分もそれに属する、その代弁者である、と殊更に言うことで「平凡の代表」の地位を勝ち取ろうとする。

*6:手柄は宣伝するし不都合は「違法ではない」と強弁するアレですな。ちなみに昨今のGDP回復を後押ししたエコカー減税と家電エコポイント制は、麻生政権時代に設計施行されたものを鳩山政権がそのまま引き継いだもので、これは「民主党政権の手柄」ではなく「麻生政権の遺産」なのだけど、鳩山前首相はエコポイント/エコカー減税を「民主党の施策の成果が出た」と言い切った。菅首相はこれについて口を拭ったままで、訂正もしてない。これがカードスタッキングの典型。

*7:政権交代が世界の趨勢」「日本もチェンジと叫ぶべき」「自民党より民主党のほうがマシ、みんなそう言ってる」などなど、昨年そういう言葉よく聞いたが、果たしてそれは良くなっていたのか? 鳩山から菅に変わったが、内閣はほとんどそのままだ。これについても、「期待できる、と皆が言ってる」からそういう気持ちにされてしまう。まさにバンドワゴン。

*8:僕が民主党民主党的政治手法、それに同調する人々の「振る舞い」について今ひとつ好きになれないのは、そこに向上のための注進ではなく、揚げ足取りと嘲笑が最終目的になった下品さが目に付くからだとも言える。自分では気付きにくいものだけど、人間は誰かの悪口を言っているときは恐ろしく歪んだ顔になっている。悪意をむき出しにしたときに生き生きした表情になるというのは、少なくとも誇れることではない。ただ、そういう状況下にあっては、ほとんどの人は「自分は正義の側におり、正しいことをしている。故に、少々手段を選ばなくても名分や目的の正当性が損なわれることはない」と考えてしまう。(反戦平和活動家や環境運動家、そして民主党とそれを賛美する声が好戦的な理由はこれ)気付かないうちに自分も同じことをしているかもしれないと思うが、せめて気付いたときには恥じ入る気持ちは持っていたい、かも。