電子書籍ウハウハ伝説と竹の子書房
紙の本は、原則として著者の印税は10%くらい。
もちろん、様々な条件によってそれは変わる。
例えば、一人で書けば10%だけど、複数の著者が競作するアンソロジーなどでは、一人当たりの取り分は10%に届かない。5%3%はいいほうで、印税に直すと3000円に届かないので、3000円分たまるまでお支払いできません、という内規の壁があったりするケースもある。
また、BLや絵本のようにイラストを多用した見目美しい本は、当然ながらイラストを描かれるイラストレーターのコストが掛かるので、著者の印税が10%に届かないことがある。
他に、コミックなどで原作者が付く場合原作者と作画担当が印税を分かち合うので、やはり10%に届かない場合がある。売れっ子作家だと印税が10%を越えていて、二人合わせて11〜13%、というケースもある。
後は、ゲーム原作の場合、ゲームの版権を持っている会社にロイヤリティを支払うため、一人で書いても印税が10%に届かなかったり、5%すら届かなかったり、なんてこともある。いや、過去にありましたw
それでも紙の書籍というのは初版発行部数がそれなりにある。文庫本なら5桁以下はあり得ないし、ハードカバー・ソフトカバーの単行本でも4桁を割り込むってことはあり得ない。そんな数字では、足が出るというか、出版社は事業として立ちゆかないからだ。
で、初版発行分が全部売れなくても、「全部売れる、いずれ重版も掛かる」という前提で、初版発行分の売れ行き分相当が、実際に売れるより前に前倒しで支払われるのが、一般的な書籍の印税報酬。
まあ、前払いとは言っても、9月発売なら〆は10月末、支払いは早くて11月、遅いところでは年を越す、というような世界ではある。それでも、年を越すまでに初版がハケていなければ、初版がハケること前提で提示された支払い印税の不足分は出版社が肩代わりすることになるわけで、これは一種の前払いと言ってもよい。
このくらい、印税支払いというのはスパンの長いものなので、一仕事終えたらそれをのんびりアテにしていないで、とにかく次の仕事を数珠つなぎに入れてしまえ……というのが、モノカキに多いワーカホリックというか、ワークジャンキーの発生温床というか……。
電子書籍では、昨年だったかAmazon(Kindle)が、AmazonDTP向けのものとして、いろいろ条件はあるのだが「著者印税70%」をぶち上げてきた。AppleのiBooksなどでは確か30%くらいだったか。
これはコンテンツを既に持っている著者を、版権管理をしている出版社の頭を飛ばして抱え込んでしまおうと言う目論みによるものでw、また著者側も「10%の印税よりは70%もらえたほうが」と考える。
しかし、ここには分譲マンションのチラシのような落とし穴がある。
頭金ゼロ円から!
ボーナス払いなしで月々の支払いは5万円から!
最安値は一戸900万円台から!
最多価格帯は2LDK!
最も広い部屋は5LDK!
こういうチラシはよく見かけるがw、これをザッと斜め読みすると、
と、うっかり思い込んでしまうことがある。
んなわきゃない。
頭金ゼロ円なら、月々の支払いは5万では足りないし、
月々5万円でボーナス払いなしでは幾ばくもローンは組めない(頭金をたくさん突っ込んだなら別)。
最安値の1Kwは恐らく一棟に1部屋くらいしかなく、
最も広い5LDKも1部屋しかないはずだ。
でも、全ての条件の一番好都合なところを繋ぎ合わせた物件があるかのような、思い込みを我々はしてしまう。
同じことが電子書籍印税にも言える。
70%くれるAmazonDTPは、Amazonに提供するコンテンツの価格が、同内容他社に提供したものと比べて、最も安価でなければいけない、などの規定がある。
例えば600円の文庫、印税が10%とすると、1冊売れて60円。1万部売れるという前提で印税が支払われると60万円。実際に1万部売り尽くす前にその金額はもらえるので、前払いと同じ。
同じ内容の本を600円の電子書籍にしたら、たぶん大多数の人は「高い」と感じる。最近、電子書籍に関する意識調査を取ってみたところ、【消費者として買う場合】の電子書籍の適正価格は、
1位:原作本の1/2以下
2位:原作本の2/3以下
3位:原作本の3/4以下
となった。1、2位を合わせると全体の65%、3位まで合わせると80%にも達した。
文庫本600円に対して300円か400円が65%という感じ。
では安いほうで300円だとする。
300円/70%のAmazonDTPだと1冊辺り210円入ることになる。
600円/10%の書籍印税は1冊辺り60円だから、なんと3倍以上。
仮に初版1万部の文庫は60万円だから、同じ数だけDLされたら210万円の儲けに!
……そりゃすごい、今すぐ出版社に絶縁状出してAmazonに作品を全部ぶちこもうぜ!
ということになるかというと、イマイチそうもならないw
まず、繰り返してきたように紙の書籍の初版印税は本の発売後の支払いではあるが、予定していた初版発行分が予定通りに売れていなくても支払われるので、前払いに近い。だいたい発売後何ヶ月後くらいには支払いというのが会社によって決まっているので、収入(生計)が立てやすい。
電子書籍は基本、「DL数に対する歩合支払い」なので、実際にDLがなければ「建て替えて前払い」というのはない。
300円/70%で1DL/210円入る、紙の書籍の3倍入る(=3倍儲かる)が、紙の書籍の販売数と同じだけのDL数が、いつになったら届くのかが誰にも読めない。
逆に、「今まで10000部売れないと60万円稼げなかったけど、1/3で60万稼げるじゃないか」という発想をすることもできる。
文庫なら、600円が300円になる。1800円のハードカバーだと900円。
900円の電子書籍が、1800円のハードカバーの1/3程度売れれば同じだけの収益に。
しかし、これまで1800円のハードカバーを買ってきた人々は、装丁の美しさや判型の大きさ、紙質、そういった「内容以外の付加価値」の部分にお金を支払ってきた、という側面が小さくない。
文庫とハードカバーがまったく同じ内容でもハードカバーを買うのは、豪華で箔押しがされているからであり、その価格差は「印刷の豪華さによる差額」と理解されてきている。*1。
内容が同じだったら、電子書籍書き下ろし、ハードカバーから電子書籍でのリリースは、全て文庫と同じ扱いで理解される。
特に【本を読むのに、金を出して買う】という習慣がある人には。
現在、電子書籍は「これまで読書習慣がなかった人を新規市場として開拓する」という方向に舵を切っていて、もちろんそれはそれで魅惑的ではある。
だが、元々コンテンツにお金を払う習慣がない人というのは、媒体の形が変わってもお金を払ってまで読もうとはしないんじゃないかな、という気がする。
タダで読めるならタダで読む。
立ち読みで済むなら単行本まで買わない。
無償の電子書籍、電子コミックが雨後の竹の子のように現れつつあるけれども、そういう無償版を買う人が、さらにお金を出して有償版まで皆が皆買ってくれるのかというと、やはりそうは問屋が卸さないのではないか。
厳密な数字はまだ誰も調査していないだろうので不明だけど、現状では電子書籍を買うのは、
1)本(コンテンツ)にお金を出す習慣がある人 →端末不要の紙の本を買う人
2)端末(ビュアー)にお金を出す習慣がある人 →先進技術に抵抗感が少ない人
(1)(2)の両方の性質を兼ね備えている人、ということになる。
端末不要の本を買う習慣がない人は電子書籍になっても買わないだろうし、端末を買わない人はそもそも電子書籍を読めない。
となると、
(1)の人に端末を買わせるような誘導
(2)の人にコンテンツを買わせるような誘導
の二つが考えられるけど、たぶん(1)の人は「本の温もり」「アナログな感傷」に囚われてなかなか端末を買わず、(2)の人は「タダなら見る」「買うとしても、安価でなければ買わない」になる。
電子書籍は将来的には今の文庫本に取って代わる立ち位置になるのではないかなあと思う反面、価格引き下げをしなければ買ってもらえず、売れた分しか支払われず、価格を引き下げた分と印税率の上昇分を金合わせると、「1冊で一山当ててウハウハ」というのは非常に出にくくなってくるというか、薄利多売というか、血尿が出るほど山ほど書いてロングテール・ストックを持っていかないと、これで生活するのは至難の業、ということになるのではあるまいか。というかなる。
紙の本は絶滅するかというとそういうことは今後もない。
恐らく、紙の本と電子書籍は補強関係/共存関係になるのでわ、と。
例えば出版社は、電子書籍を著者が自力で出してしまうのを阻止wし、会社につなぎ止めるために、まとまった金額の印税が前払いできる紙の本のメリットを押し出し、紙の本用に書いた新作を電子書籍にもリリース、というスタイルになる。
これまでは「旬を終えて十分回収できたもの」が電子書籍に回されてきたが、既に電子書籍書き下ろし作品として依頼され、リリースされて黒字を出しているものも少なくない。
それでも著者という生き物はやはり紙の本が好きというか、「店頭に自分の名前の本が置かれているのを手にとって確かめる」という充足感に魅力を感じてしまう生き物なので……w
そこを突いて、「うちで電子書籍を出すなら、DL次第ではご褒美として紙の本も出してあげるよ」といった、今とは逆転したトロフィーとして、豪華な紙の本がインセンティブになる……ということは十分に考え得る。
ともあれ。
【単価が安い電子書籍】で、【何人がDL購入】すれば、【紙の本と同程度かそれ以上の収益】が上げられるのか?
というのは、職業的モノカキなら誰でも気になるところだし、専業ではないモノカキの人にとっては、一攫千金一山ウハウハな魅力に映るところではなかろうか。
と、ここまでの話には「今日出た新刊を、誰がどこでどうやって告知・周知して、新刊の存在を広めて、持続的に話題に出させるのか?」という部分が完全に欠落している。
70%や30%の印税をくれるAmazonDTPやiBooksは、新刊が出たからといって大々的なキャンペーンを、全ての取り扱い書籍に対してやってくれるわけではない。
僕はこれまでに何十冊かの著書に関わってきたが、それらが発売のたびにAmazonのトップページに載り続ける……というようなことを経験したことは、はっきり言ってない。
何しろ、Amazonのポータルページは限られていて、同じ日に発売になる本の種類は膨大だ。
あとは、書籍ポータルサイトの偉い人とツーカーになるか、自分が売れっ子になるかしかないが、誰もがそれをできるわけではない。
となると、大多数の本は、発売されたことそのものをほとんど知られないままに、次の新刊の渦に巻き込まれて消えていくことになる。
実際、今発売されている多くの本も同じ運命を辿っている。
幸い、紙の本は書店やコンビニの店頭にも並ぶので、少なくとも書店やコンビニに来た人の視界には入る。巡回wしている人の「目に付く」というのは結構大きい。
Amazonのポータルページというのは書店で言うとレジ横の「今売れてます」という陳列台みたいなもので、店の奥のほうに棚差しされた新刊に気付く人は少ない。棚差しされてるのはマシなほうで、「今日出た新刊」でもバックヤードの段ボール箱に入りっぱなしのままで、「こんな本ありませんか」と客に聞かれるまで梱包が解かれないかもしれない(´;ω;`)ブワッ
電子書籍の最大のネックというのはこの「発売になった本の存在をいかに周知するか」という、このへんに掛かってくるのだが、70%、30%をもらえるけど、後のことは全部自分でやって、と言われたら、どうすりゃいいのか。
著者個人ができることは、せいぜいがブログで紹介する、メルマガを個人的に発行(読者がそれなりにいるなら意味もある)、Twitterで呟く、知り合いにレビューを書いてもらいまくるw、といったところだろう。
これはモノカキは多かれ少なかれ皆やってるんじゃないかなと思うんだけど、効果はさほど大きくないと思う。
自分のブログやメルマガは、ある意味で「元々自分のことを知っていて、好意的に受け止め、期待して下さっている人々」のコミュニティであるわけで、新刊が出るとなれば最初からその本を目当てに本屋に行く人達だ。
問題は、自分のファンではなく積極的に新刊の情報をキャッチしようとしない人に、どうやって新刊が出ていることを知らせるのか? という部分。
出版社に原稿を預け、後はよろしく、という形で仕事をする場合、そうした「本の売り込み、売り出し」だのは、出版社がやってくれる(やってくれているはず)という前提になる。実際、やってくれていると思うし、やってくれていない(自分が自分でプロモートするのと大して差がない)のなら、それは即座に自前で電子書籍を出す方に舵を切るべきだw
出版社が(作家を取りこぼさずに)生き残れるとしたら、この「プロモート」や「マネジメント代行」というところになるんじゃないかな、という気もするんだけど、大手・中堅・小規模、それぞれはどう考えてるのだろう。
僕は「そういうことは版元が頑張ってくれている」という前提に一応立つ。そのへん、あかね書房から既に4巻が出ている*2怪異伝説ダレカラキイタ?シリーズなどが顕著で、書店への営業や学校販売など、一般書とは異なる営業スタイルながら「いろいろやってくれているんだなあ」というのが実感できた。
「超」怖い話/恐怖箱などは頻繁かつ定期的にフェアを組んでいただけているようで、2003年発売の「超」怖い話Aは、未だに重版が掛かり続けている*3。
これもまたプロモートであるわけで、印税の形で収益を全部自分が取れる電子書籍は、そうした水平分業すべき、そして門外漢にはなかなか全てフォローできないような営業・宣伝的な部分をも自分でしなければならない、ということになる。
常々思ってることだけど、文を書けて絵も描けてデザインもできて歌もうまくて踊れて芝居もできて、校正は99.9%正しい……みたいなデュアルスキル、マルチスキルの天才や異能者はもちろんいるところにはいるが、全てのモノカキがマルチスキルなわけではない。
むしろ、「文章を書く才能を取ったら人間的には廃人に近い」なんて人も珍しくはない。文は書けても絵は書けないなんてのはごく一般的だ。
多くの才能はシングルスキルが通常の状態なのだ。
それを考えると、書くこと、描くこと、編集・校正、売り出し・売り込み、金勘定に権利管理に……そんなことの全てを、物書き自身が一人で全部こなすということになったら……。
「面倒なことは他の誰かに任せて、自分は書くことだけに専念したいんだ!」
という人は必ず出てくるというか、結局そこに帰結するんじゃないのかな。
モノカキの代わりに絵を描く人、デザインをする人、編集・校正をする人、売り込みに行く人、売り出す人、お金を数える人……などなど。
結局はある程度は水平分業していったほうが効率がよく、負担が減り、「専門にしていることだけをやっていく」ことができるようになる。
取り分は減るけど。
誰もがダ・ヴィンチやニコラ・テスラのようになれるわけではなく、そんなマルチスキルを持たないシングルスキルの人々が持つ、たったひとつの抜きんでた異能を愛でたい気もするし。
そうなると、結局、どうにかしてシングルスキルの人の「欠けた、足りないスキル」を他の誰かのスキルで補う必要は出てくる。
今までがそうで、たぶん結局はいずれ、その「今まで」に回帰していくのではないだろか。
「携帯電話でメールを書く」というのは、今では別に珍しい才能ではない。
文章を思いつく能力と、携帯電話のメール作成・送信ノウハウを熟知していればよい。
良い、面白い、価値のあるメールを書けるかどうかは、携帯電話の機能を熟知していることとは関係ない。しかし、良い、面白い、価値のある文章を思いついても、携帯電話の機能を使いこなせなければ、そのメール、になるはずだった文章は誰にも発信されずに終わる。
その文章を救済する方法は、「誰もが携帯メールを熟知する」ようになるか、「誰かが代わりにメールを代行打ち込みしてやる」かの二つになる。
自分でメールを書いたほうが断然早いが、携帯をどうしても使いこなせないのであれば、誰かに代わりに書かせたっていい。それで、メール打ち込み代行料を幾許かその代行者に支払うことになったとしても、元のメールの価値は損なわれない。
電子書籍を巡っては、たぶんまだいろいろと細かいノウハウの蓄積や、試行錯誤が必要なのだと思う。
一山当てたい気持ちもあるけど、何をすれば一山が当たるのかわからない人がほとんどではないか、とも思う。
となれば、とりあえず片っ端からいろいろ試してみるしかないわなあ。
1冊辺り、何頁なら「本を読んだ充足感」が与えられるのか?
逆に、何頁までなら「本を読むのが辛くならない、飽きない」で読み切れるか?
手触りのない、実体を持たない「情報だけの書籍」に、幾らまでなら出したいと思われるか?
薄くても安いほうが選ばれるのか、高くても分厚いほうが選ばれるのか?
収益を上げるためには幾らで売ればいいのか?
収益が上がるまで、どのくらい待つことになるのか?
何をするにも成功例がない、マニュアルがない現状では、とにかくトライ&エラーをするしかない。
そういう電子書籍のノウハウやスキルの習得と蓄積をしていくしかない、というようなことを考えつつ、あれこれ試しているうちに、竹の子書房という集団がなんとなく集まりました。
電子書籍を無償で作っています。
執筆のスタイルを模索し、草稿からPDFなどの形にするのに掛かる所要時間の短縮を試行錯誤しています。
電子書籍表示端末で、最も「見やすい表示」を希求して、幾通りものフォントサイズの違うものを作ったりもしています。
無償配信しているものを有償ルートに載せるためのノウハウを造り、実際に収益が上がるものなのかどうかをシミュレーションしています。
ときどき意識調査をやって、その結果を訪問者と共有したりもしています。
曰く、いい歳をした大人が全力で遊んでいる。
曰く、同人誌のようなもの。
曰く、ちょっとした会社ゴッコ。
関わる人々の竹の子書房に対する捉え方、関わり方はそれぞれです。
僕にとっては、研究所。ラボ。
Webサイトも、Webツールの使い合わせ方も、ローカルで扱うオーサリングソフトの慣熟も、さらには編集・出版に至る企画創出から原稿制作までのやり方すらも、僕が知る本職の出版業界のものとも、同人業界のものとも違うことがあります。
何かと面白い。ExcitingでInterestingという意味で。
ハブになる人がいてもいなくても企画が動き、ネットにさえ繋がるなら執筆用端末はPCでなくても、携帯でもiPhoneでもなんでもいい。
完成まで数カ月を要することもなく、夕方5時に思いついた企画に2時間後までに草稿と表紙原稿が書き上がっていて、その日の日付が変わる頃にはPDF版電子書籍が、「もう出来てるwwww」
完成品に誤字があったら、公開後でも直して差し替える。差し替えに掛かる時間はたった一分。
電子書籍というのは、そういうこともできてしまうんだなあ、と。
スピード重視の暴走機関車というか。
雨後の竹藪というか。
電子書籍はまだまだわからないことだらけで闇も多いし、本当に持続的にやっていけるのかどうかも不安。
だけど、やってみないと闇も晴れない。
やってみたら、なんかおもろい。
そういうわけでやってます。
電子書籍研究集団・竹の子書房。
http://www.takenokoshobo.com/
神沼三平太さん、ビーケーワン怪談大賞優秀賞受賞おめでとうございます。
神沼さんの最新刊「笑怖箱 怪萌 ケモノ耳」は、竹の子書房の電子書籍に関するアンケートに回答すると、無償DLできます。
http://bit.ly/9DJ5TE
病院怪談の妙手・雨宮淳司さんによる、古典怪談語り直しが深く静かに進行中です。
http://bit.ly/cESA7s
ラノベ作家・深川拓さんが、いつの間にか雨宮淳司さんが出したタイトルに基づく萌え怪談「メイドカフェ再襲撃」を書き下ろしていました。*4
http://bit.ly/b4fK84
イラストレーターとしても高い技術を持つ西浦和也さんが、怪集・蟲のカバー用に書き下ろして没になった*5伝説のイラストを、竹の子書房の次の新刊に提供されていました。
http://bit.ly/at6VkT
そして気付いたらBL部門もできていたんですが、タナトス文庫のBL作家さん、須藤安寿さん、玉置真珠さんが参入していました。
「草稿が250字×10行×20頁分集まって、カバーがあればすぐに組版する」
竹の子書房はそういう緩いルールで動いています。
やれること、やれないことを探り、同じことを前より効率よく、前より短時間に、前より凝ったものに。
ジョン・F・ケネディの演説にこういう一節があります。
「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」*6
竹の子書房が何をしてくれるかということよりも、何をしたら竹の子書房をどう使いこなしたら、自分が面白いことをできるのか。
何をしたら面白くなるのか。自分には何ができるのか。
今までやったことはなかったが、実は自分には自分の知らないスキルがあるらしい、ということが発見されたりとか。
おもしろい。
実におもしろい。