電子書籍の未来とニョキラジとDrakskip

●竹の子書房
http://www.takenokoshobo.com/
*1

竹の子書房は多角的展開を!
というか、本業でいっぱいいっぱいになってるため、現在新刊の電子書籍発行ペースは最盛期に比べてかなり控えめ。
去年は8〜12月までの4カ月で50巻刊行、今年は1〜4月までの4カ月で17冊。昨年がほぼ月産10冊に対して今年は月産3〜5冊くらいなので、半減以下。
これは節電や紙、インク不足……とは無関係で、どちらかというと一年のうちの1〜7月くらいまでの上半期が怪談の繁忙期になる冬の実話怪談作家(^^;)の本領発揮中なため。3月の震災ショックももちろん無関係ではないのだが、書き下ろしや超-1を優先すると、どうにもこうにも作業時間が確保しづらいのは致し方ないところ。
「頑張らない」「無理しない」
というゆるゆるの社訓のおかげで、組版ペースが落ちても大目に見てもらえているのだが、その間にも新入社員は着々と増え、新刊用コンテンツの貯金も進んでいる。今、全材料が揃って組版待ちが5〜7冊分くらいあるらしい。
竹の子書房は同人誌集団ですか、と問われることもしばしばなのだが、違いますよー、違います。
電子書籍に纏わるノウハウ、技術、周辺課題の洗い出しと解決について、経験値の蓄積と共有と交流を行う研究団体ですよ、と。
少なくとも、構成員100人超、活発な執筆者が50人超、発足から8カ月で67冊っていう同人誌サークルは聞いたことないので、たぶん違います。


では僕が手詰まりになってると全てが止まる集団なのかというと、いや、それはない。
皆それなりに忙しい、本業を持つオトナのハズなのだけど、なんだかんだで大人の放課後活動として持てる才能・ノウハウを投下中の様子。
毎週末のネットラジオ「サデとコータのニョキニョキ☆ラジオ」は、誰が強要しているわけでもないけれども、なんとなく毎週なりゆきで続き、どうやら30回を越えたらしい。
ラジオはTVチャンピオンにも出演しているw食玩ライター・サデスパー堀野さんがMCとして担当しているのだが、回を重ねるにつれて番組の組み立て方のコツがわかってきたり、遅刻してくるMCやゲストの捌き方がうまくなったりとか、とか。
また、番組録音データの編集と加工を雨宮淳司氏が音響監督/編集としていつの間にか担当しているのだが*2、雨宮さんのスキルバーストぶりには脱帽する。


電子書籍という媒体の難しさというのは、これまでの経験から言うと「周知、告知」の難しさに尽きる。
これは竹の子書房のようなマイナーな活動は言うまでもなく商業誌でも言える話で、例えば今この瞬間にパピレスやいるかネットで新刊電子書籍が出たとしても、大多数の人は新刊が出たということそのものを知る機会がない。
パピレスに毎日アクセスして新刊を耐えずチェックしている人なら気付くかもしれないが、大多数の人はそんなことしない。
せいぜいが、作者が自分のブログで宣伝する、Twitterで定期的に呟く、というくらいだ。
これは竹の子書房でもやっているのだが、実のところ周知コストは安いけれども効果はほとんどないと言っていい。いや、皆無ではないのだが、それこそ情報発信源となる上流アカウントのフォロワー数が5桁あり、且つ日々言動が注目されているαアカウントからの発信でないと、ほとんど効果がない。
分かりやすく言えば、「「極」怖い話新刊出ました!」と僕が言っても1300少々にしか行き渡らないが、ホリエモン孫社長佐々木俊尚氏が呟いたら、それなりに大きな波及効果を持つ。*3Twitterを宣伝媒体として活用できるのもまた、「持てるもの」に限られるわけで、持たざるものにとってTwitterはやっぱ福音じゃないわけなのである。


そうすると、「んじゃあどうする?」という話になるのだが、これまた恐らく「予め人が集まっている大資本のポータルを専有する」という方向に舵を切るか、「自前のポータルに人を集める」かということになる。労力はこれまた企業でも個人でも変わらない。
ブクログのパブーなど、利用者の人数が少ないうちは出すだけで注目を集めることができたが、人数が増えて新刊が増えてくればそれらはすぐに「埋もれて」しまう。*4


個人作家が個人で本を「売れる」のが電子書籍のいいところだけど、個人で売るってことは出版社が担ってくれている宣伝、流通、その他やっぱ特に宣伝・告知の部分がそっくり存在しないということでもある。
また、電子書籍は「誰でもいつでも同じところで」買うことができるのだが、「同じ本をどこに行ってもみかける」わけではない。
つまり、DLできるサイトに行き、自ら目的意識をはっきりさせて探さないと見つからない。来る人にしか売れず、目にもつかないわけだ。


その点、紙の書籍は書店やコンビニの店頭に置かれる点がメリットと言える。
もちろん、書店やコンビニは「本を買う」という明確な意図を持った人が来る場所だという点では電子書籍サイトと変わらないのだが、電子書籍サイトと違うのは「同じ内容の本を全国津々浦々の書店、コンビニの店頭に配本できる」という点。
つまり、【買う気がない人の視界に入る】ということができる点が、圧倒的に強い。
お気に入りの作家の新刊について、ネットで調べて予約してAmazonで買うっていうやりかたはもう珍しくないが、コンビニや書店にふらりと入って、そこで初めて新刊が出ていることに気付いて慌てて買う、ってな本の買い方は今以て「本買い」の主流の座にある。

例えば大手の出版社は車内吊りや、アニメなどと連動してのテレビCMなども打っている。また、各種の賞の設置というのはそもそも「話題を作り出すため」にある。○○○賞を受賞しました、と話題になれば、新聞や雑誌やテレビがそれをリレーし、そうすることで宣伝になる。*5

竹書房文庫はほとんど宣伝らしい宣伝を打ってはいない、と思う。(以前は新聞広告もありましたw)恐怖箱なんか、「先月出た文庫の帯」「翌月出る文庫の帯」くらいしか宣伝機会がなかった。今年に入って挿し込みチラシが挟まれるようになったが、これにしたって「文庫を買う人」にしかアピールできていない。

電子書籍はこうした「露出アピール」の機会がほとんど皆無なわけで、そこらへんが商品としての最大の弱点、弱みだと思える。
特に、ネットの外への。


一足飛びに個人が全部をやるのは、はっきり言ってしまうと無理。
文章を書けて絵を描ける人くらいは、まあいるかもしれない。さらに動画作れて音楽も作れる、演奏できるという人になると、その人数はがくんがくんと減っていく。しかもお金があって時間がありあまってる人。
いるか、そんなもん!!! となる。
マルチスキル、マルチリソースな人なら個人でも賄えるだろうけど、大多数の作家は「書く」ことはできても「描かない」。僕は書くのと編集と校正・組版、必要に応じてデザインも平行で行うモノカキだけど、作家の中ではまだまだ少数派だろう。文章を書く才能と練りまとめる才能、組み立てる才能は本来別物で、そうなるとマルチスキルな個人でなければ、個人で「自作品をプレゼンテーションする」ことはできない、となる。
プレゼンテーションの才能は、創作の才能と似てはいるけどやっぱり別ものだ。
プレゼンテーションや、マーケティングディレクションというのはクリエイターから見るとどうも「何も創造しない付随物、上前をはねる賑やかし屋」と見られがちなのだが、そこらへんがない剥き出しのコンテンツは、やはり「売り物として認知されにくい」。
ここらへん、思考の断絶というのか、認知できない分野の価値を再確認することになってくかなあ、という気がする。


そんなわけで、竹の子書房としてはまずはネットラジオで宣伝を。
単に新刊名を連呼しても仕方がないので、トーク番組、合間合間に宣伝CMを挟むようにした。
最近はネットラジオ内で「生朗読」という朗読劇をするようになった。
これはコンテンツとして作成された電子書籍作品群をベースに、「読み上げた音声データ」を作成する、という試み。
スタジオ録りではなく、放送中の一発録りなのは「集まるヒマや場所やカネがないから」なのだが、「元放送部だった」「元女子アナだった」「声優です」「声優養成所にいます」「人形劇やってた」「劇団員でした」「落語やってました」などなど人材には困らないので、原作作品を「二次展開する」という試みを始めた。
これっていうのは、結局は大昔ラジオ放送が始まったばかりの頃に行われてきたことを、改めて辿り直しているとも言える。
本を売るためにラジオドラマを作り、主題歌を作り。ああ、竹の子書房でも曲作りました。「熟女の純情」*6とか。


旬が終わった本wの表紙を新しいものにして、新たな需要を掘り起こす、というのはここ十数年各社が熱心に取り組んでいて、それこそ青空文庫で読めるような昔の名作に、少年漫画誌などで人気の漫画家が書き下ろしのカバーを付ける、という試みはもはや珍しいことではなくなった。これも竹の子書房でもやってみた。確かに、発行時期の早い本でも表紙を掛け替え、それを宣伝紹介すると少し伸びる。


ラジオドラマに進出した後の出版社は、その後どのように展開していったかというと、かつての角川春樹時代の角川書店がそうしたように自社原作に基づく映画の制作や、ドラマ、アニメなどにコンテンツを使う。当時はメディアミックス戦略と言われ、特にバブル時代に奏功した。
最近のビジネスモデルでは、放映作品をDVD&BDに素早く転嫁してコレクタブルアイテムを売るビジネス、番組内で様々な楽曲を放送し、CD(楽曲データ)を売るビジネス、キャラを独立して売るビジネス、キャラを使ったカードゲームビジネスなどなどに展開する。


ここまでやるのが今の「コンテンツビジネス」で、その発火点たる「原作」は重要だけど地位は低いw うーん(^^;)
一方で、ここまで何度も何度も「転がす」ということをしていかないと、原作の認知度も上がらない。相乗効果なのだなあ。


竹の子書房は現在、戦前戦後くらいの段階wにいて、「自社出版物をラジオで」というようなことをやっているわけなのだが、これを次は動画(映像作品)に転がし、映像作品によって注目を集めることで原作に人を呼び込む、という段階に移ることになるだろう。いや、やってるのは僕じゃないんですけども(^^;)
というより、一人でやるのは無理で、結局こうした研究団体のしていることですら「かつて商業的出版社が一度は通ってきた道」を、参画者全員で追体験しているに過ぎない、とも言える。


ただこれは、無駄な作業ではないわけで、先達が辿った「やり方」をなぞることで、できそうなのにやらないでいること、廃れてしまったノウハウの再発明、新たにできることの発見・発明なんかもできるかもしれない。
今後竹の子書房は、「生朗読(ラジオドラマ)」をベースに動画を作成する、その動画をまた利用して原作へ誘導するという次の段階に進むのかもしれない。
なんとも駆け足なのだが、電子書籍の在り方について個人でできることを探るというのは、日本の出版社=コンテンツビジネスの進化の過程を再点検、追体験するということなのだなあ。


週に一度のニョキラジは、翌週の新作放送までの間ニョキラジ第二放送でリピート放送されている。
第二放送は番組そのままのリピート+番組中で生放送されたラジオドラマパートの再放送を主軸とする方向にシフトしている。


また、ニョキラジ本放送の試みとして、「インディーズ音楽の放送」がある。番組の合間の「休憩」と言われるトイレタイム(MCのトイレが近いためw)に、竹の子書房作品のCMと音楽を流す。
ネットラジオLivedoorねとらじ)の制限で、JASRAC管理曲は放送できないので無償の音源を探していたのだが、「だったらいっそ、ストリートミュージシャンやインディーズ、ライブバンドに直接掛け合って、JASRAC管理曲じゃない曲の放送許可を貰えばいいんじゃない?」となった。

現在、ニョキラジで放送しているのは一部のボカロ曲に加えて

  • NN〜DURA
  • こうたろう
  • ハイトニック
  • すらっさ
  • 伝承遊戯
  • FRATENN

など。
先頃、社員の一人が六本木の路上で演奏しているストリートミュージシャンの音楽がよかったので……と感想をTwitterに流した。
その情報からバンド名、バンドのサイトと辿って、曲試聴。
バンド名は「Drakskip」。北欧音楽をベースにいろいろ混ざってるインストゥルメンタルユニット。
なかなか良かった。気に入った。
「許可貰ってー」とリプライして、大慌てで許可を貰いにいってもらい、その日の晩には番組放送に乗りました。
5/14に吉祥寺スターパインズカフェでワンマンライブもやるらしい。
番組でライブ紹介もしました。

●Drakskip Web site

http://www.drakskip.net/
http://twitter.com/Drakskip


人数がいて、やりたいことがあって、やったらおもしろいんじゃね? というモチベーションがあって、やれる技術やノウハウを持ってる人がいると、必ずしも報酬がなかったり、或いは締切がなかったりしても人は動くし、自ら動くことを面白いと思えるようになる。

今んところDTPをやるのは僕一人なので電子書籍組版は本業が落ち着くまで開店休業状態だけど、その間にも他の誰かによって新作が書かれ、表紙の装幀デザイン作業が進み、番組が作られ、ドラマが録音され、新たな音楽が補充されていく。

個人でできるというのは、その一人が機能停止すると全てが止まるボトムネックな仕組みであるということだ。
一方、水平分業でいろいろな作業を並行しつついろいろな試みに手を出していけるというのは、それだけ可能性だとか広がりだとか、そういうものを広げることになるのかなあ、とか。
電子書籍も結局は、「一人で全部やる」スーパーマンではない、分業体制の獲得っていう方向に進むんではないだろうか、と、竹の子書房という実験を通じて感じたのだった。




ええ、仕事やってますw
お察しの通りです(^^;)

*1:単一URLから、PC、ガラケーiPhone/iPod touchAndroid端末に振り分け中。

*2:ラジオドラマフリークスだったことが最近判明w

*3:もちろん、プラスの効果ばかりではないのは注意

*4:パブーは今も「販売、ペイシステム」としては優れていると思う。ただ、周知機会の難しさで言うと、結局その革新的な解決方法にはなっていない。

*5:もともと直木賞芥川賞も本音ではそうした目的下で設置されているわけで、今は本屋大賞など同目的の賞が乱立することで、賞の価値や注目度が下がっているという弊害もある

*6:演歌