エノケン

音楽をいろいろ聴く。
何かのダシだったり、自分の趣味だったり。
概ね趣味。
エノケンとか好きだし。
 
晩ご飯を食べたお店で、70歳以上とおぼしき紳士と知りあった。
僕らは音楽を、ラジオ、TV、ネットで知り、ショップやネットで買い、iPodみたいなプレーヤーで聞きまくる。音楽単体として聞きまくる。
紳士は仰った。
「僕らはね、エノケンって言ったら、ロック座で聞いた。いや、見た」
ロック座。
これは浅草ロック座のこと、と思う。
思う――という表現になるのは、僕がその時代に生まれていないからだ。
エノケンって、こんな声だったんだねえ」
紳士は感慨深げに仰った。
僕らはエノケンが歌ったであろう曲の、マスターテープ(盤かもしれない)から起こした、クリーンなCDを音源としたそれしか知らない。
でも、紳士が聞いたエノケンは、ノイズではっきりとは聞き取れないような、ラジオのそれではなかったか。
「ベアトリ姐ちゃん。いいねえ、これ最初から聞かせてよ」
言われるがまま、巻き戻し、いや曲の最初からの再生を押す。
エノケンの歌声が、たいして客のいない店内に流れる。
過日、紳士の若かりし時代、エノケンは、
「ロック座にいた」または「ラジオにいた。冗談音楽って、君らは知っているだろうか」
知識としては知っている。三木鶏郎のそれだと思う。永六輔の青春時代だ。
そうなのだ。
喜劇役者は、TVではなく浅草にいた。
そして、浅草からラジオに「飛び出した」のだ。
声を聞き、歌声を聞くことで、ボードヴィリアンの芸を脳内に再現できた。
紳士はそんな時代を生きていたのだと思う。
「今日はこのボトル空けて帰るから! 愉快だから!」
軽く晩飯を食べて帰るつもりの店で、紳士は大変愉快なひとときを過ごされたようで、ご自身のボトルを僕らに振る舞って下さった(すみません、僕は焼酎ダメなんです。本当にすみません)
ベアトリ姐ちゃん、モン・パパ、洒落男など、エノケンの往年の名曲を楽しまれた紳士は、「破滅に至る物語」が大好きだ、と仰った。
最近はアガサ・クリスティを愛読し、幻冬社を好み、小野不由美女史の作品を読み込まれているという。
仕事を聞かれて、「怖い話の本を書いております」と自己紹介した。
店に置かれていた拙書「禍禍」の内容を幾つか口頭でお話しすると、「なるほど。では、いただきたい」と、その場でご購入いただいた。
目の前で自分の本が売れていく様を見る機会は、そうあるものじゃない。
僕は「ありがとうございます!」と快諾し、店に置かせて頂いていた一冊(そもそも、自己紹介として置いてあった非売品なのだが)を、お渡しした。
紳士は、「楽しく読ませて頂きたい!」と拙書をお持ち帰りになった。
 
この方とは、ときどき同じ店で会う。
今度、店でお会いしたら内容についての感想を伺う約束になっている。