最近の超-1

なんとなく傾向を見てみる。


実のことを言うと超-1に絨毯爆撃のように投下され続けている実話怪談群というのは、個々のレベルでいうとどれも結構高いところにあると思っている。昨日ついに百物語を3回できる話数を超えているわけだが、もしこの中から好きに選んで本を作れと言われたら、たぶん僕は少なくとも2冊以上の本が作れそうな気がする。*1
商品として通用するに足りる話も結構ある。
ここから「超」怖い話共著者を選抜しようというのが本来目的なのだが、もお大変悩ましい。

ネタ

ネタは類例ありのものから「それ初耳!」系のものまで、いろいろ出ている。
「それ初耳!」のものがいろいろ出てくるのはすばらしいことと思う。
自分の体験談を書いている人は、ちょっと息切れが心配。

構成

構成力で言うと初期は「一話の中にとにかく詰め込み」タイプが散見されたが、#2ndに入ったあたりから焦点をきちんと絞ったものが出てくるようになった。これはよいこと。実話怪談は長すぎると読み疲れてしまう。よほど小粒なものなら2〜3のネタをまとめることもありかもしれないが、基本的には大きすぎるネタは「細かく分けた」ほうがいいような気がする。同一人物が体験した複数の怪異とその関連に意味があるのであれば、個々の怪異を「書きすぎない」とか、時には思い切って省略するとか。

実話怪談は「実話」を採話して書く以上、怪異の核になる部分を改変してしまうことは許されない。が、「どこで止めるか?」「全部書くべきか、省略すべきか?」という選択は、むしろしっかりやらなければならないと思う。書きすぎることによって余韻を壊してしまう話というのは確かにあるわけで、読者の脳内に像を結ばせ文面には書かないものというのもあっていい。いわゆる行間を読ませる、というもの。*2
聞いた話は余さず書きたい気持ちは確かにわかる。
が、あえて謎を残す、深読みの余地をわざと残すというやり方もある。
いろいろな深読みが楽しめる余地があり、しかもその深読みが「どのルートを通って深読みしてもみんな怖い考えになってしまう(つД`)」というのが美しくて理想的なのだが、言うは易しという奴で形にするのは難しい。

文章

文章力について言うと、これはたびたび書いているけれども
「兄貴、戦いは数だよ!」(c.ドズル・ザビ中将)
という奴で、数をこなしていけば厭でもこなれてくるので、現時点ではそんなに大きな問題ではないとは思う。ただし、プライドが向上心と柔軟性より強いタイプは、このへん性格的に苦労するというか少々遠回りになってしまうかもしれない。
見たところ、応募者全体で言えば壊滅的に文章で出遅れている人はそれほど多くはないと思う。中堅以上のほとんどについて言えば、些末な修正&大方針の修正で自己解決できるのではないだろうか。互選講評など見ると、このあたりやはり文章を書く人は他の人の文章表現が気になるものらしく、かなり細かいところにチェックが入っていたりする様子(^^;) ま、その気持ちはわかります(笑)
僕としては推敲すれば解消できる程度のものについては、今は多くは問わない所存。

タイトル

結構重要な要素なのがタイトル。
常々感じるのが、「地獄の〜」「奇妙な〜」「悪夢の〜」「恐怖の〜」というタイトル。本文中で表現のひとつとして出てくることもあるが、後でよほどアクロバティックな展開を狙っているのでない限り避けた方がいいんだろうなあと思う。
タイトルにそう煽ってあると、「地獄で奇妙で悪夢で恐怖」なものが出てくるのだな、という予告になってしまい、読者に不意打ちを掛けにくくなるんじゃないかなと。
でも、本を書いていると「中のタイトルはともかく総タイトルは怖くしてください」と言われることが多々ある(笑)。怪談本なのだから、それは当然といえば当然だが(^^;)
少し前までは、怪談本の中のほうにも「恐怖!怨念の渦巻く教室!」とかそういうタイトルのものが確かにあった。でも、そういうタイトルだと、読む前から「怨念がオチになってる学校が舞台の話で、誰かが恐ろしい目に遭うんだろう」と、大筋が読めてしまう。まさに、「タイトル出オチ」。
「怪談はびっくり箱」「怪談は、著者がピースを提供し読者が組み立てて初めて全貌がわかるパズル」と考える僕としては、よほど逃げようのない話、類例のない話でもない限り、このタイトル出オチはもっとも避けるべきものなんじゃないかなー、と。

また、「本」になったら基本的には前から順に読まれるだろうし、タイトルのフックはあまり重要ではないように思われるかもしれないけど、超-1のように大量にドドドと並んだりするとき、またはどこから読まれるかわからないときは、タイトルのインパクトって結構重要なのではないだろうか。
さらに、タイトルは「オチやキモやクライマックスを予告する」ものでもあるけれども、それがストレートすぎても、先走ったネタバラしになってしまうのは先に触れた通り。かといって、触れなさすぎるのも困る。
目を引き、また、他の話の中に並んだときに、明らかに違和感を感じるタイトル。とりあえず、まずこれを読んでみるか、と思わず引き込むようなタイトルというのは重要だと思う。

試しに、超-1出品作を50音順に整理したリストを見てもらいたい。
http://www.chokowa.com/cho-1/list.htm
このガーッと並んだリストの中で、埋没しているタイトルのものは、例え内容がよくてもタイトルで損をしていると言える。
タイトルを決めてから書き始めるのはもちろんのこと、書き終わった後に改めてタイトルを練り直してみるというのもいいかもしれない。*3

講評

講評はコメント&blogともになかなか力が入っている様子。後半に向けてますます増えるでしょう。サーバ最後まで耐えられるかな(^^;)

講評にもいろいろ傾向があって、

  • デジタルに点数で評価
  • 良いところ、気に入ったところを評価するプラス評価型
  • 良くて当然で、気に入らないところをどんどん減点していくマイナス評価型
  • 主観/直感/自分の好みで判断
  • 「超」怖い話に載っていて違和感ないかどうかで判断
  • 編集者のように厳しく判断
  • お母さんのように優しく判断
  • 褒め殺し型
  • 貶し落とし型

などなどなど……(;´Д`)ハァハァ

文体で「これは○○○を書いた人」と見抜かれてしまう人もいれば、実験作ではないのだろうけどまったく異なる文体、内容、傾向のものを書いている人もいる。同じ著者の別作品の評価ががらりと違っているあたり、これは著者側の検討材料にもなっているかもしれない。自分の好みと読者の好みは必ず一致するわけではなく、自分の意図は必ず通じるとも限らない。万人受けの恐怖なんてものはないわけで、いろいろな人の求める様々な恐怖をかき集めて提示し続けることでしか、より多くの人の恐怖の嗜好に答え続けることはできないんじゃないかなあ、とも思う。これは禍禍のときに痛感したことでもあって、同じ話に対する反応が人によって全然違ったりする。意図しない反応というのは、結構面食らうものなのだ。しかも同一作にてんでばらばらの評が並んだりするとますます悩む。自分にとって都合のいい評だけを選んで納得し、辛評に対しては「こいつわかってねぇよ!」と切り捨てたくなるかもしれないが(^^;)、そこに「手が届かなかったかゆい部分」があったりするわけだ。
講評者は「どこがかゆかったか」をうまく伝えられればいいと思うのだが、自分の思ったことをうまく表現できないもどかしさなどもあるかもしれない。
それをうまいこと「伝える」のも、いわゆるひとつの「文章によるコミュニケーション」なのだろー、と思う。

伝達

人間は、自分の体験を他人に伝えるときに、思考を言葉に代え、声に出す。足りない部分は身振り手振り、臭い、涙、地団駄wなどを交えて表現する。体験談を聞いたときはそれで足りる。臨場感もある。
ところが、文章のみで書き起こしてみると聞いたときの臨場感は案外伝わってこない。
耳や目で受け取る情報量に比べたら、文字のみの情報量のなんと貧弱かつささやかなことか。
一方で、文章でものを伝えるというのは、文字通り「見聞したことを羅列する」ということだけではなくて、読者の脳内に鮮明な映像、音、臭いを再現するということでもある。もちろん、読者のもともと持っている情報、経験値の差から、脳内で再現される映像は必ずしも同じではないかもしれない。怖いと言われて死体を想像する人もいればまんじゅうと熱いお茶を想像する人もいるだろうし。だから、その人にとってもっとも怖いものを励起させられれば、実話怪談的には「勝ち」なんじゃないかなと思う。
どんなに「これが怖いですよ」「この怖い映像をご覧ください」と言ったところで、読者の想像力が著者の想像力を越えてしまっていたら、それは「つまらん」「こわない」となってしまう。

「相手の想像/予想の裏をかく」「自分にとってもっとも怖いもの」を提起するというのは怪談の共通の形だとは思う。
以前の怪談は著者が読者を上回っている前提で、読者に具体的な恐怖を提示する、というスタイルが主流を占めていた。
僕としては、「もっとも怖くなる直前で投げ出して、その続きを読者が補完して完成させる」という怪談ほどわくわくすると思う。「放り出された不完全な実話怪談」を挟んで、著者と読者の双方が関わって怪談が形を現す……そこにはやはり、一発勝負のコミュニケーションが確かに存在する。読者がうまく受け止められるよう(うまいことツッコミや深読みを入れられるよう)全力で怪談をぶん投げる著者が、この後もざくざく登場することを祈ってやまない。

*1:そんなに作らせてもらえるかどうかはまた別問題として(笑)

*2:もちろん、しつこくネチネチ書いて嫌がらせのように心理的に圧迫するというやり方もあるかもしれないけど、それはTPOで。

*3:自分の場合で言うと「猫」と「飴鬼灯」だったら、とりあえず「飴鬼灯」を先に読むよなあ、と思ったりするわけである。「海豚」と「う」だったら、「う」かもしれないが(笑)