落語

ちょっと贔屓にさせていただいてる落語家さんが、6月から1年間、中国に語学留学される、とのこと。
本日はその前夜祭というか壮行会というか、日本国内で続けてきた独演会の最終日ということで、仕事でおつきあいのある方々と一緒に伺ってきた。
本日のお題は、「短命」と「紺屋高尾」。
短命は「美人の後家さんがもらう連れ合いが、つぎつぎに早死にするのはなんで?」というのを、訳知りのご隠居さんの示唆と、察しの悪い与太郎の掛け合いで語るもの。
この落語家さん、僕は拝見するのは3〜4回目になるのだが、実に与太郎ネタのうまい方でついつい引き込まれてしまう。
中入り、太神楽(曲芸)を挟んで、トリは「紺屋高尾」。
これは非常に有名なネタで、「吉原の太夫に一目惚れしたきまじめな紺屋(染め物屋)の職人が、給金を貯めてようやく高尾に一夜の伽を願い出て会いに行く。高尾に「次はいつくる?」と聞かれたものの、「自分はお大尽と嘘をついたが、実はただの職人だ。また3年貯金をしないとこれない」と白状する。その間に、高尾が落籍かれるのがつらいのだと打ち明けると、高尾は「年季が明けたら一緒になりましょう」と約束。それを信じて待っていると、翌年年季が明けた高尾が本当に職人の嫁にやってくる」という、幸せな艶話。
とっても有名な話で、何度も芝居などにもなっている。エノケンの舞台にもこれを材にしたものがあって、そこで使われた楽曲がベスト版にも収録されている。
「寝ても覚めて高尾のことが気にかかる。どうやら親方の顔まで高尾に見えてきた」
という有名な一節もあり、時代劇の大定番の下敷きにもなっているので、時代劇モノのドラマで似たような話を見たことがある人もいるかもしれない。


落語というのはオペラと似ている。
観客の目が肥えているところ、筋が同じだけに仕上がりが要求されるところなんかそっくりだと思う。
高座にかかるネタというのは、もちろん新作もあるけれども昔から繰り返し演じられてきた「定番」ネタも多い。定番ともなると、なれたお客は筋もオチも知っているわけで、「噛まずにうまく噺せるか」なんて基本から始まって、「どこまで噺をふくらませるか」「どこで噺を切り上げる(落とす)か」というのは、「噺家さん個人の判断と工夫」「そのときの客の反応」「流派の教え」などなどでいろいろ違う。途中の演出、オチの工夫など、決められた筋道があっても千差万別の「同じネタ」が存在するところがおもしろい。
そして、これは怪談にも通じる。
同じネタを採話して同じように書いても、同じ怪談にはならない。
また、実話怪談の場合、話のキモを変えてしまうことはできないけれども、落語同様「どこで切り上げるか?」で、話の仕上がりを加減することはできる。
筋をすべてなぞっているけれども、表現を省略して短くするというのもひとつのやり方。
逆に、すべてをなぞらずに、一部をふくらませ、なおかつ全体を演じずに一部だけ語る、というのもひとつのやり方。
聞いた通りにすべての謎を明らかにする、というのもひとつのやり方。
聞いた話のうち、いくつかの謎についてあえて「黙っている」「語るのをやめてしまう」ことで、その後どうなったのかを読者に想像させる、というのもひとつのやり方。
読者に対して「こういう読者でいてほしい」「こういう人以外は読まないでほしい」といったことはもちろん要求できないのだが、「これ以上は言うと野暮になるから言わない。でも、言わなくても察してもらえるように、ヒントはちりばめておく」というところで、うまいこと切り上げるのが実に難しい。
落語はまさにそういうことの勉強になる。
確かに心霊落語志向の強い僕だけど、別に「笑いの取り方を学べ」という話ではないんである(笑)
二つめの若い芸人さんから、中堅の真打ちさん、大御所の方までひっくるめて、昔からあるネタに「自分なりの工夫」を加えている。
桂歌丸といったら、「笑点の死に損ないのハゲ」という弄られキャラとしてばかり知られているが、もちろん落語界の重鎮の一人。
古い落語家というと、志ん生までさかのぼっちゃう人も、まあいるのだが(笑)、テレビ芸人のように思われがちな歌丸師匠であっても、本気でやらせるとやっぱりすごいのである。
幸い、こういう「すごい芸人」の落語はテレビで見ることもできる。笑点や民放のバラエティではなくて、NHKの日曜の朝方(笑)にやっているテレビ演芸関係の番組で、30分、45分、へたしたら1時間なんていう枠で、「時間をどう使ったらいいか困るほどの長さ」の大ネタを、大御所がやってたりする。
大御所以外でも、いろいろな噺家さんが演るのを見る機会があったら、極力見ておきたい。


書き屋も噺家の工夫、努力、芸には、大いに学ぶべきだ。
真打ちでなく、二つめ、前座の噺家さんのそれですら学ぶべき点は数限りない。
前回見た前座さんが、数ヶ月ぶりで格段にうまくなっているのに気づいたりすると、同時に自分の中の何が欠けているのか、何を補強すべきなのかもわかったりする。
笑えて、泣けて、考えさせられる。
落語はいい。