ちょっと市場論
カテゴリ[「超」怖い話]ばかりなのは、やはり追い込みだから。
そして追い込みなのにこんなにエントリーを書いているのは、追い込まれてるから(笑)
というわけで、ちょっと市場な話。
怪談の仕事以外の仕事もあれこれしているのだが、昔は今の20〜30倍くらい企画書を書いていた。どのくらい書いたかというと、月間で30本くらい。読参企画をやっていた頃は、企画内企画みたいな感じでコーナーアイデアをいつも捻っていた。雑誌はアイデア勝負なところがあって、常に何かしら考えていた。
企画本・単行本の企画書も山ほど書いたが、こちらはなかなか実現しない。
早すぎるアイデアというのは、なかなか通らないのだ。
これはなぜかというと、そういう市場がないから。または、あるかどうかわからないから。
単発本が大ヒットするのは、他に競合するものがないからと言っていいと思う。嫌韓流、電車男、生協の白石さん、バカの壁、今年で言えば国家の品格などなど。
これらの本は、実はそれ以前には競合するライバルがいない。ライバルがいないものならなんでもいいというものでもなくて、そのジャンルそのものがそれまで存在しなかったのは、「そんな市場はない」と思われていたからで、実際に投下して見たら編集者や営業部がまったく見抜けなかった巨大な市場が存在した、というのがここ数年の大ブレイク書籍の傾向なんじゃないかと思う。
じゃあ、誰もやってないことをやれば誰でも大ブレイクするのかというと、そういうことはない。
誰かがすでにやったけど、ブレイクしなかった、つまり市場はない、と判断されて以後が続かないという分野もあるからだ。
このさじ加減というのは本職でもなかなか見抜けないものらしい。ひとつかふたつ山を掘り当てても、先が続かない人*1だって珍しくない。狙って当てるというのは、非常に難しく、先行する成功者も偶然金鉱に当たっただけに過ぎないわけだ。
どれかひとつが成功すると、我も我もと二番煎じが続く。
二番煎じが似たような内容ばかりだと、読む方もだんだん飽きてきて「またそれかよ!」ということにもなって市場は衰退していく。
では二番煎じはよくないのかというと、必ずしもそうとは言えない。
大ヒット作品が掘り起こした市場に、二番、三番、四番と続く後追い組が「おこぼれ頂戴」に留まらないものを提供していければ、それはそれで安定した市場になる。
市場が形成され、複数の供給ラインができてくると、そこで初めて読者は選択肢を選べるようになる。最初の大ヒットという選択肢の後にその他の選択肢が増えれば、大きすぎる市場の中での細分化も進む。
と、口で言うのは簡単なのだが(^^;)、実際はそううまいことはいかない。
だんだん市場が小さくなっていって、わずかな水たまりの水を奪い合い、潰し合うという展開に繋がっていく。
それは寂しい。
個人的には、どんどんノウハウを公開して、ノウハウの継承者を増やして、相互交流して、読者の選択肢を増やして、市場を「選択可能な一定以上の規模」のものにして行けるといいなあと思っている。そうすることで、読む側も選択肢を選べる上に、出す側もいろいろな試みを試すゆとりができる。王道以外を許さない気風は、その王道が廃れたときに市場消滅に転げ落ちてしまう。王道は王道であっていいだろう。それ以外の「思いがけないカウンター」が存在できる余裕・ゆとりのようなものがたくさんあればあるほど、読者の選択肢は増える。
市場が大きくなる=消費者規模が大きくなるということは、それだけ消費者の傾向嗜好は細分化されるということでもある。全体を掘り起こす最初の一撃はシンプルでいいかもしれないが、それに続くグループは、掘り起こされた市場の全てを採ることを考えずに、半分、1/3、1/4にそれぞれ選択肢を与えるような展開の仕方をしたらいいんじゃないのかい、と思ったりもする。*2
共存共栄。
そして、読者にここまで連れてきて貰った「超」怖い話だからこそ、読者を第一に考える。
そうした「超」怖い話の哲学を、イオタに臨んで改めて振り返ってみた。