キーボード終了のお知らせ

うはっ。このタイミングで、愛用のキーボードが死亡!
今回は左シフトを中心に、パンタグラフの爪が折れました!
うーん、キートップを交換しながらも、キーボード本体は意外と長持ちしたのになあ。
パンタグラフを固定する、キーボード側のノッチが折れてしまったようで、スカスカ、フカフカに。
ハードパンチャーというか、過酷に打ちまくるのがいかんのか。
ともあれ、無事役目を果たし終えました、ということでご苦労様。


というわけで、こんなこともあろうかとストックしておいた予備のキーボードと交換。
今までとまったく同じメーカーまったく同じ型番のものだが、ロットによる差なのか保管状態による差なのか、それとも使い込みされてないせいか、若干キーストロークが渋いような気もしないこともない。
それでも、まだキートップの刻印は全部揃ってるし(手元見ないけど(^^;))、スペースキーはエンボス処理が残っててざらざらするし、非常に新品ちっく。
今度こそはキーボードの刻印を維持したいと思うのだが……。
A、N、M、<、>、Ctrl(本来はCaps)が、どのくらいで消滅するか予想。
たぶん、半年以内。


ところで、壊れたキーボードは、まだ刻印が残ってるキートップをリサイクルするという名目で、一応捨てないで取っておいてあるのだが*1、キーボード供養とかマウス供養とかっていうのはないんですかねえ。
針供養みたいな感じで。
需要ありそうな気がするんだが。
燃やすと毒性物質出るからダメなのか?
それとも、廃棄物捨て場になっちゃうからダメなのか?
「モノを大切に」「もったいない精神で」ここまでは現代に慣習・美習として残ってるけど、「役目を終えたものに感謝して供養」という習慣は廃れてしまっている気がする。
PCのうち、パーツ利用が難しい(そして、普通は消耗品とは認識されない)キーボードとマウスの類は、人間が直接触れる装置でもあるわけで、そうした「キーボード供養」「マウス供養」の対象になってもいいはずのものなんだけどなあ。
キーボードつくもがみとか。
フィリピンに行くと、電柱や自動車や冷蔵庫の神様(の壁画)もあるらしいし、比較的新入りで日常生活に欠かせないものがそうした信仰や感謝・供養・畏怖と鎮めの対象に加わってもおかしくない前例がある。自衛隊では戦車や戦闘機の新型が納入されるときには、必ずお祓い(というか祈祷)をするつーじゃないですか*2
パソコン関連装置もそうした列に加えられるべきじゃないかなあ。


とか、実話怪談思考で考えてみた。


PS.
キーボードはあまり壊れないのか、それともパソコンのセットのひとつで独立した装置とは考えられていないのか、キーボード供養というキーワードで検索しても、それらしいものにはほとんど当たらなかった。マウス供養は結構ないこともなかった。
パソコン供養で検索してみると、実際にそれを行っていた名古屋市大須電気街のお寺・万松寺を発見。
http://www.banshoji.or.jp/event.html
しかし、リサイクル法制定により、取りやめてしまったらしい。
「パソコン供養の後、利用可能な部品はリサイクルに……」って、これは供養というよりお寺の小遣い稼ぎとちがうのか、という心ない突っ込み(^^;)も多かったに違いない。残念。

*1:そして、刻印が残ってるようなキーはそんなに使わないので、リサイクルの出番は数年に一度。その頃にはキーボードそのものが壊れてる

*2:剣や楯に司祭が祝福を与えるような感覚だが、今先進国の高度兵器でその習慣が残ってるのはあまり知られてないけど日本くらいで、そのへんも外国人には「神秘の国ニッポン」に見えるらしい、という記事を、数年前に読んだ。霞ヶ関のど真ん中に神社があったり、工場の敷地内に祠があったりするのも、不思議に見えるらしい