集計(3)

本日は、エントリーNo.別の講評達成率一覧を公開。
http://www.chokowa.com/cho-1/2007/scoreboard/entry-clear-rate/
全応募者54人中、半数近くが自作講評も含めて一切の講評をしていなかったりするのだったorz


ただこれは、がっくりするような話でもない。
なぜなら、超-1は

  • 本気でプロデビューを目指すモードの人
  • 自分の体験談や持ちネタを持て余して、発表場所を探しているモードの人

が混在する大会でもあるため。
上を上をと上を目指す人は、定められた講評は糧にもなり自分のランキングを押し上げる起爆剤にもなるため欠かせない。
一方、上を目指すことが目的ではない人にとっては、講評は拘泥しなければならないものでもない。
このため、講評行動が大別すると二分化していくものと思われる。


もちろん、「本気でプロデビューを目指してるけど、講評をまったくしないデメリット(ペナルティ)があっても大丈夫」という考え方の人もいるかもしれないし、「自分は数話しか応募しなかったけど、他の人々の作品すべてに意見や感想を述べている」という人もいるので、単純に断定できるものでもない。


プロになりたい人、そうでない人という軸。
評価されたいという人と、そうでない人という軸。
信じてもらえればそれでいいという人と、それすらも重要ではない人という軸。

超-1の中にはいろいろな要素がいろいろな方向に向かって伸びていて、必ずしもそれらを単純比較はできない場合がある。
例えば「甘いと苦い」は比較できるが、「甘いと赤い」は比較できないように、異なる指向性が持つ異なる価値を比較することは難しい。文学賞が「順位」や「得点」を一般に公開できないのはそうした数値化が難しい要素を孕んでいるからかもしれない。
超-1は敢えてそうしたものを数値化し、公開するということに挑戦しているが、それですらも単純に数字を一律的な基準に照らし合わせて順位を付けるだけでは、傾向や意味を読み解いたことにならない。


1位や最下位にはもちろん意味があろうけれど、その中間にあるものが中間位になっている理由を、それを構成するさまざまな数値の意味から読み取ることで見えてくる風景というものがあったりもする。


たいへん興味深く、また主催者の役得を感じずにはいられない瞬間である。