日本酒と焼酎と怖い話

ハンターというのもなんだけど、実話怪談は取材命。
取材は紹介者との縁、アンテナの広さ、聞いた話に最後まで付き合う責任、そして体験者への信頼&体験者からの信頼の全てが揃わないと成り立たないわけで、つくづく難しい話だよなー、とか思う。だから先達の怪談作家諸氏、現在も怪談作家として新刊を出し続けられる人々は凄いですよとか心の底から思う。
書いている実時間より、話を聞いている時間や聞いたネタを整理している時間のほうが圧倒的に長いし。聞いたけどすぐには書かない話、時間を掛けて断片的に少しずつ聞いていくため、なかなか全貌が見えてこない話などというのもあるわけで。
聞いたは聞いたけど自分の中で消化できなくて、書こうとしてもうまく書けない話というのもあったなあ。1年くらい寝かせてみて、改めて書いてみたらすんなり書けたりとか。あれはホントに不思議。才能は今更言うまでもなくないので、「才能ねえなあ(´Д`)ノ」というボヤキは慢性化しているのだけど、才能ないのにうまくまとめられるときもあって、これはやっぱり自分の自由意志で書いているんじゃないのかもな、というようなことを思ってしまう瞬間。
まあ、依童ですよ依童w
それ故に、実話怪談は義務になったら書けなくなるんじゃないかな? と、ちょこっと思っている。初代の安藤さんは「持ちネタを全部だしたから僕はもういいよ」と仰って伝説の第一巻だけで去られたのだが、そういう僕も第一〜二巻で当時の持ちネタはほぼ全部放出しきっていた*1
でも、時間が経つとまた少しずつ話が溜まり始めてきて、「うわー、これなんというかいつまでも手元に置いておくのヤベー」という気持ちになって、「どこか捨てるとこ捨てるとこ!」ということで「超」怖い話に都合良く投げ捨ててwいた。僕が「超」怖い話について、「一冊一人で毎回義務で書くのはイヤだけど、できればずっと続いてほしい、書きたいときに書きたい分だけ書ける場として存続して欲しい」というようなことを考えてしまうのは、預かった体験談を「早く処分しなくちゃ、必ず処分できなきゃ」と考えてるからなのかなー、と思わなくもない。
勁文社時代の最後半の頃になるとまただんだんとストックが戻り始めていて、「これ、どっかに出さないと自分がヤベー……」という気持ちでイヤんなっていた。
一方で、「一人で全部埋めろ」というのが義務になっていたら、それはそれで困っただろうなー、と今も思っている。今はさらにストックが増えているので、「超」怖い話だけでは処分しきらなくて、他のシリーズなども書かせていただくことになったりしているのだけど、その年その年、その都度その都度でネタの集まり具合、鮮度・濃度は違うので、キツイネタを選んで載せられるように、体験談の蒐集人は多いほうがよく、取捨選択できる余地があったほうがいい、というように思っていた。初期の「超」怖い話は実際、選んで書いてたわけだし。
また、同じ人間が怖いと思うものはだいたい似通っていて、どうしても怖いと思って選ぶ体験談が同じようなものばかりになってしまうというのは避けにくい。
頂点を目指していくと研ぎ澄まされて質は向上するけど、だんだん違いがなくなってくる……というのは日本酒の話で、純米、吟醸大吟醸、金賞を取った人気の酵母で同じような、「正解に近い仕込み方」をした結果、戦後の日本酒というのは日本酒の歴史上もっとも日本酒が贅沢かつ美味しくなったのだそうな。だが、頂点=正解に近付こうと全員が同じゴールを目指した結果、日本酒はどれもこれも「うまいものほど似たような味」になってしまった。その後、蒸溜1回だけなので素材の味や香りが出てうまさにバリエーションがある焼酎が爆発的な人気を呼び、美味しくなりすぎた日本酒というのは人気を失っていく。
焼酎の多くは一次的な人気で次々にスターダムは変わっていくのだが、昔ながらの米・蕎麦・芋に加えて、紫蘇だったり牛乳だったり紫芋だったり胡麻だったり……と素材の違うものが出てくるので、飲む側を飽きさせない。頂点を目指してうまくなりすぎた日本酒が、それまで下品な酒と見下げてきた焼酎に今も挽回できていないのは、そこなのかもなあ、と思ったりする。
頂点を目指した味ではなく、飲み飽きても別の味を選べるバリエーションというのが、現代日本の酒飲みが選んだ方向性であり、日本酒飲みとしてはそのへん、寂しい限り。日本酒は純米/純米吟醸/純米大吟醸系を選べば、聞いたことのないような蔵の酒でもまず外れがない。安心して飲める。でも、安心できるということは、驚きには巡り会いにくい、ということなのかもしれない。鍛高譚を初めて飲んだときには、悔しいけど確かに驚いたもんなあ(´・ω・`)
えーと、なんの話だっけ。
そうだ。同じ人間が選ぶ怖いと思うものは似通ってしまう、という話。
僕などは最初期の「超」怖い話で紹介しているような、「なんだか変な話」「不思議な話」というのが元々好きで、その後も僕が怖いなあと思って選ぶ話というのはだいたい「ミョ〜な空気が漂うおかしな話」であることが多いのだと思う。その裏返しが「盛り上がりも爽快感もない、イヤ〜な話」で、これも怖いと思うのだけど、そうするとやはり「僕が選んだ怖い話」はどれも似通ったものになってしまう。
そうすると、あいつが書いたものは笑える怪談か厭な怪談のどっちかだろう、と読む側も予想が付いてしまうので、驚きがなくなる。おそらく、僕に限った話ではなくてこの悩みは怪談作家なら誰でも抱えている問題なんじゃないかなと思う。
だからといって、いきなり自分が変われるかといったら、そうでもない。自分の中の蓄積があって、それで怖いかどうかを自分に照らし合わせて選んできたわけで、急に自分の基準が変えられるというものでもないだろうと思う。そうなると、一人の人間がバリエーションを増やそうとすることにはどうしても限界が出てくることになる。
でも、読む側は「いつもの奴を頼むよ」じゃなくて「驚かせてくれよ」ということをいつも期待しているわけで、そうなると一番手っ取り早いのは「今日は違う踊り子が踊ります」「今日は違う蔵の酒を持ってきました」ということになる。
実話怪談のように、取材ありきのものということになれば尚更で、取材者の取材分量、取材者そのもののバリエーションというものが、その「驚きの幅」を作ることになる。驚きの幅を広げようとすれば、やはり人海戦術ということになる。「超」怖い話が複数人による執筆制だったのは、この「驚きの幅を人数で増やす」という基本的な考え方に立っていた部分が大きいのかもしれない。
恐怖箱は、単独でいく怪医路線と、チームで行く蛇苺・老鴉瓜路線があるのだけど、これは実はどちらも「兼業作家として書く」ということを前提にした結果、この形になった。
専業作家になったほうが取材に多くの時間を割けるように思えるし、実際そうかもしれない。ただ、専業作家になったら怪談集めは「食べていくための義務」になる。さらに、兼業、つまり本業があった頃と違って、逃げ道がなくなる。将来に安定性はない*2。何より未知の人との出会いが減る。
本業を別に持っている人のほうが、尻に根を生やして引きこもって原稿を書く人よりも、人に会う機会や話を聞き集める機会はむしろ多いだろうと思う。「これがダメでも本業に戻ればいい」という精神的なゆとりもある。そのゆとりが重要であるが故に、実話怪談に限れば専業ではないほうが書けるのではないかと思うことがある。
僕なんかは怪談以外の仕事の話をあまり書かないので怪談専業のように見えるかもしれないけれどもw、キャリアの大部分は編集者であるわけで、実話怪談はやっぱり今もって「ちょっとウェイトの大きい副業」のような意識がある。なんというか、常に逃げ道を確保しているというか。いつか書けなくなる/書かなくてもよくなる日が来るから、他の仕事ももちろんするよ、みたいな。
実話怪談は、いつか逃げ出さないといけない分野なんじゃないかな、とときどき思う。尻に帆を掛けてか、たたき出されてか、祟り殺されてかはわからないけど。それ故に、いざというときに行き場がないということがないように、二足の草鞋でやっていくのが実話怪談との正しい付き合い方なんじゃないかなー、とか思う。
小説家と兼ねる人、タレント&デザイナーと兼ねる人、編集者と兼ねる人、それは様々だろうけれども、いつでも手を切れるように備えているのかもしれない。


ゲーム攻略だったりアニメ誌の記事だったり、PC雑誌だったり情報家電だったり、そして怪談だったりで、この20ン年間僕の関わってきたジャンルもじわじわと変化している。怪談は17年関わってるので、なんだかそればっかりやってるようなイメージが強いけれどもw、それと並行して、無記名の仕事もいっぱいやってるのでアレですがw
その他の無記名の仕事と二足の草鞋だったからこそ、御祓いもしてないのに実話怪談の仕事が続けられてきたのかもしれん。
とりあえず、不要とされないうちはそれをやらなきゃいかんのだろうということで、やれることをほどほどにやりたいなと、誕生日を目前に控えてそう思うのだった。
あと一週間でまた一歳歳を食うなあ(^^;)

*1:最近も書いた話だけど、「超」怖い話/「超」怖い話2(続「超」怖い話)の2巻114話中、43話書いている。これで、このときの交友関係から集まってきていた話のほとんどを放出し尽くした。だから新「超」怖い話はほとんど書いてない。この後しばらくは再充電期間に入っている

*2:年1冊では食べていけない。専業作家として一冊本を出しただけで消えていく人は数多限りない。