遺伝記本、あと少し

遺伝記本の作業が最終コーナーを曲がって、現在アクセルベタ踏み中。
が、この段に至って今回投入する新しい仕掛けに大幅な瑕疵が見つかり、全面的に手直し&見直しorz
いやあ、気付いて良かった(゚д゚lll)


文庫本の場合、書かれている内容が実話怪談であろうと恋愛小説であろうと、編集行程そのものにはさほど大きな違いはない。もちろん、「気を付けるべき点」というか約束事みたいな点は素材によって違うけれども、「扉」「目次」「前書き」「本文」「後書き」「解説」「奥付」みたいな基本形はあって、その時々に応じて怪コレのような著者紹介や結果発表的なカスタマイズが為される。けれども、そのカスタマイズはさほど大きな違いでもない。
遺伝記本も、文庫本としては概ねその基本パターンの上に乗っかっているわけなのだが、なんというかその……同じことをやっているとマンネリというか、心の隙ができるというか……要するに「いつもと違う」をやりたくてしょうがないというか。
効率化LOVEだし、合理主義マンセーだし、ともすると楽なほうに流れがちで、楽なほうに流れたことを「効率が非常によい」と都合のいい納得をしてしまいがち。まあ、それはしょうがない。
が、効率をよくしていくと他の何かをする余力みたいなものが産まれる。もう1個企画を突っ込むであったり、もう1冊仕事を増やすであったりw 遺伝記本の場合、通常の文庫としての作業はおっそろしくスムーズだった。その効率が生んだ余裕の部分で、実験をしている。


文庫本というか、「本」という百年一日の形態は、この10年くらいで大きな岐路に立ちつつあるんじゃないかな、というのはきっと多くの出版人・印刷人が実感しているのではないかと思う。紙の厚さを変えてみるってことだったり、立体的な箔押しをしてみたり、そういう装幀の工夫の点でデザイナーさん達はいろいろ工夫をされていると思う。が、文庫の企画編集そのものというのは、実はあまり大きな変革は起きていないし、起きようがなかった。紙、インク、活字*1、このへんは動かしがたく、思考変革みたいなものはそうそう起きるわけでもないので。
きっと多くの斬新なアイデアが生み出され、書籍の歴史に新たなページを刻んでいるのではないかと思う。*2
遺伝記もまた、そうした幾多の先達の偉業に恥じないものでありたい。あるといいなあ。

*1:この20年での大変化は活字→オフセット→DTPといったところだが、印刷方法と編集技術の手法が一部変わっただけで、文庫の活用の仕方そのものはさほど変わっていない。

*2:書籍という媒体に、通常と違ったアクセスを試みる実験は、実は児童書のジャンルが先進的であったらしい。元々、単価高め設定、少部数、故に多少お金が掛かるような仕掛けを試すこともできたが故。紙の間にオルゴールを挟み込んだ「音の鳴る本」や、「飛びだす絵本」なども児童書の世界で開発・開拓された。コストが掛かりすぎるので増産できなかったけど。