昨夜、締めきり

超-1/2009の作品応募を、昨晩24時に締め切りました。
だが、あとちょっとだけ続くんじゃ。


というわけで、現在、最後に駆け込んできた駆け込み応募作の公開が続いています。一日に10話以上公開すると、ログは流れるわ読み切れないわで講評者が大変なので(^^;)、残りは数日分に分割です。
今年は開始直後から鬼のようなスパートというかスタートダッシュが中盤くらいまで続き、最後の2週間くらいでようやく息を吐いたかと思ったら、最終週でまた駆け込みが……という展開。
昔、雑誌の読者ページを担当していてその頃から思ってたことだけど、「いつでもいい、まだ余裕がある」と思ってるとダメで、締めきり間際になると俄然大量に投稿ネタが出てきたり倦んでいた原稿がすらすら書けるようになったりします。これは投稿だけでなく実業でもそうで、よくないなあと思いながらも締めきり間際ほど筆が走るという気持ち(つまり前半はやきもきさせられるorz)というのもよくわかります。超-1もご他聞に漏れず、この法則からは逃れられませんw


超-1は元々は「「超」怖い話の後継者を見つける」という目的のコンペとして始まり、技の松村進吉、力業の久田樹生という二人を見出した時点で、その開催目的は確かに完遂されています。
まあ、これは今までにも何度か触れてきた通り。「後継者探し」というか、元々は「二人体制だと、賞作家には物理的に辛くなってくるので、補欠というかメンバーを増やしましょうよ」というのがそもそもの目的で、「入れ替えて後継に」というのが元々の目的だったわけではないのです。行きがかり上そうなったというかw
まあ、それも満たされたけど、じゃあなぜまだ超-1を辞めないのかと言えば、これには幾つかの理由があります。


超-1が「補充人員(後継者)」を必要とするようになった理由は既に触れた通りですが、僕だっていきなり死んじゃったりするかもしれないし、補充した人員が先に死んじゃうかもしれません。死んじゃわないまでも、「急に怖くなったんで辞めます」とか「もうネタがないので辞めます」とかいう事態もないとは限りません。*1
つまり、「常にバックアップは必要」で、今までバックアップ体制がなかったほうが問題あったんだよ! ΩΩ Ω ナンダッテー!
ということがあります。
いつだったか新耳袋完結に寄せて、「新耳は美しく潔い完璧な完結を選んだけど、「超」怖い話は既に2回ほど脳死を経験し、その都度、読者の要望に押されて呼び戻されているので、完結しない、途中で終了させないことが、「超」怖い話を続ける上での自分の使命だと思ってる」というようなことを書いた記憶があります。
もちろん、書き手は水物ですから飽きも来るでしょうしネタ切れも来ます。歴代著者のうちの何人かは「もういい」と去った人もいたわけで、それをなじることはできません。都合良くネタが集まるときばかりじゃないのは僕自身よく知っているつもりですし、「もういい」とギブアップする日が僕にだって来るかもしれませんし。
だけど、「そんな御託はいいから怪談読ませろ」「新刊まだか」という書き手の都合ではなく読み手の都合というのがあったわけで、それが「超」怖い話を二度も呼び戻したのだという事実は曲げようがありません。それに応えてきた歴代著者の筆力・取材力があってこそという点も動きませんけど、需要(読者)と供給(著者)のどちらもが揃っていたからこその「超」怖い話だったであろうことを考えると、著者都合でおいそれと「超」怖い話を辞めることは許されないんじゃないのかな、というのが大きいですよね。これは。どうせ辞めたって引き戻されそうな気もするし(^^;)


また、供給者は確保できましたのでもう結構でーす、と締めきってみても、怪談のタネは尽きないわけです。「俺に書かせろ、もっと書かせろ」「アタシが語るわ。もっと語るわ」という人は後から後からやってくるわけで、2006年のことを知って乗り遅れた人の中に、「さらなる化け物」がいたら? 確率は高くはないんでしょうが、2007年に乗り遅れた人の中に、別の怪物の萌芽があったら?
超-1は2年目3年目の時点で、既に「超」怖い話のための、という口実だけではなくて、「怪談の受け皿」という意義に変わったんじゃないのかなあ、と思っています。
ネットがこんだけ発達した昨今、自分のホームページやblogで発表する、というのは簡単なことなんですが、「信頼されない」「信用されない」、さらに言えば「読まれているのかいないのかがわからない」という、深い井戸に石を投げ込むような作業は辛いわけで、「ぽちょん」といういい響きが欲しい、全力で危険球を投げ返してくるようなw反応が欲しい、という意識が、今以て応募数が減らない理由なのだろかなあ、とも思います。


相互講評制は、作品だけではわからない著者の人となりに触れたり、その人の怪談観や、読解力といったものを知ることにも役立っているんですが、この相互講評制は応募者のやる気を刺激したり、或いはやる気を奪い取って腐す人にさせてしまったりと、功罪双方があります。
意欲が高まる人、反発して排斥する人、自己分析と方向修正を試みる人、独自性を更に究める人などなど、そのへんの反応も様々で、果たしていいことばかりが起こるわけでもありません。方向修正を重ねすぎて壊れていく人だっていないわけじゃありませんし、それこそ「どこの馬の骨ともわからない誰かに好き勝手に言われる、しかも当て外れ」というようなことになれば、心が折れてしまう人だって出てもおかしくないと思っています。誠に相済みませんが、プロになれば多くの先達が似たような目に遭っていますので(^^;)、そこは事前練習ということで。お金出して書店で本を買う人の大多数は「どこの馬の骨とも知れない素人」ですし(^^;)


毎回、「前回よりも応募数が増える」「前回よりも応募者総数が増える」「前回よりもレベルがアップする」「大会応募作全体のレベルが上がる」というのが、繰り返し行われる大会の姿としては正しいというか、理想的なのかもしれません。参加者が変わらない大会ならそうかもしれません。
ただ、超-1は実話怪談を扱う大会です。
一度書いたネタは原則として使わない、体験者が存在しない話は使えない。
そうなると、文章力を鍛えるための前段階、実話怪談を書き起こすための前段階としては、取材の善し悪し・ネタとの出会いの運が大きく作用してきます。
前年、凄い怪談を書けた人でも、ネタの引きが悪ければ翌年に同じ恐怖度の怪談が書けるわけではありません。前年、50個のネタに出会えた人が、翌年には5個以下ということも十分あり得ることです。それだけ実話怪談というのは、著者に消耗を強いる分野なのではないかと思うのです。
実際、先達の実話怪談作家諸氏ですら、単独で長期間にわたって書き続けていられる人は、そうは多くありません。*2
そういう意味でも、実話怪談の書き手というのは消耗に耐えるネタ探し超人に頼るか、寡作な職人が入れ代わり立ち替わりでチーム戦を戦うかせざるを得ないものなのかもしれません。バイオリズムと同じで、ネタとの出会いが多いときと少ないときはありますし、それは自分の意志ではそうそう選べないのが普通ですし。*3
その流れが恐怖箱シリーズというラインナップの成立に繋がっていったんじゃないかいなとも思います。
書かせたい体験者、そして書くことを必要とする人と、読むことを必要とする人の漆黒のマリアージュが実話怪談を成り立たせているわけですが、それを載せる皿であることに徹したいというのが、超-1=恐怖箱ということなのかもしれません。


また、そこまで「一生懸命集める」のではないにせよ、「なんとなく手に入った話」を世に出す、世に問うという機会はあるに越したことはない、とも思います。
なぜなら、僕自身がそう願っているというか。
「怪談怖い」と常々思いながら「超」怖い話を終わらせたくはないという矛盾に飛んだ立ち位置にいる僕にとっての「超」怖い話というのは、「うっかり来ちゃった怖い話を、効率よく消化発表できる場」である、という感じですね。最近でこそ類書の仕事もいただくようになりましたが、以前なら怖い話は「超」怖い話でないと使う先がなかったというか、書いてすっきりする場がなかったというか。年に2〜3話の年もあれば、20話、30話もあって持て余す年もあります。それでも、発表の機会が続く限りは、「じゃあ残りはまた来年」とできるわけですが、これがなくなってしまうと大変厳しい(^^;)
「超」怖い話がなかった2001〜2002年の間は何をしていたかというと、仕事としては怪談は特にやってなかったんですが、そういうときであってもじわじわとネタは増えていくんですよね。うわー、このままネタを出す先がなくなったらしんどいわー、でも、そんなにブワッとネタが来まくるわけでもなし、ああ、「超」怖い話って有り難かったんだなあ、というようなことを考えていましたw


その後、「超」怖い話は再起動し、新たな軌道に乗せていただき、姉妹本の展開もあったわけで今日に至るわけなんですが、超-1もたぶん「超」怖い話と同じような道を歩んで4年目に至ったんじゃないかなあ、と思っています。
超-1が不要だったら、作品応募来ないしw
クオリティとか作品レベルが云々という話は、毎年のプレイヤーが少しずつ変わっていく以上、「昨年に比べて云々」するのは余り意味がない話ですし。
年に一人だけ怪物が日の目を見る、しかし翌年にはもういないかもしれない。それは、ネタが尽きた、飽きた、或いは物理的にこの世にいなくなった、という理由かもしれません。
体験談との出会いと同じく、一期一会なんですよね。超-1も。


そんなわけで、一期一会的体験談との出会い、まだ見ぬ伏龍との出会いという、宝くじみたいな確率かもしれない出会いに期待するのが、超-1という催しの今の姿なのかもなあ、と思っています。
しかし、4年も続くとは。と思う反面、3年目を終えたときに「これは辞めてはいけないということか」と、背筋が冷たくなる気持ちもありました。大変なことに手を染めてしまった、とも(´・ω・`)


まあ、読者の需要がある限り、場を作り続ける、皿を回し続ける*4という方向で頑張りたいところです。




……なんとなく綺麗にまとめちゃってるけど、まだ超-1/2009は終わっておりません。この後、講評もたんまりあるんだろうし、集計もあるし、怪コレもあるし……orz
これ、冷静に仕事として作業分量考えると、全然おいしい仕事じゃない気がするんですが、僕にはいったい何の罰が当たってるんでしょう(^^;)

*1:実は案外深刻なのが、著者自身の飽き&読者の飽きの相乗効果かも。スタイル=個性の普及が進むほど、同時にテンプレへの飽きというのも同時進行で進む。能力のある職人が長くその地位に留まり続けるのは難しく、絶えず流行の中で消費されてしまい、何年かするといなくなってしまう。そういう形で磨り潰される「専業プロ」は後を絶たない。その意味でも、これからは瞬間風速なら専業プロを簡単に飛び越せて、なおかつ終身専業を目指さない「ハイ・アマチュア」が、入れ替わり立ち替わり最前線をシェアリングする、という時代が来るんじゃないかなという話はちょっと前に書いた。超-1=恐怖箱はまさにそのスタイルを成立させるために都合がよく、同時にそういう「入れ替わり立ち替わり最大瞬間風速を吹かす」というハイ・アマチュアの存在が、常に単独で風力を維持しなければならない専業プロを圧迫する恐れは拭いきれない。

*2:それは「超」怖い話も例外じゃありませんね(^^;) 僕自身、「超」怖い話「超」怖い話2(共に新書版)を書いた直後の新「超」怖い話ではネタが尽きてましたしw

*3:もちろん、中には意志と取材力でそれを覆す人もいますがw

*4:ロクロの上にも3年的意味で。