「超」怖い話Ξ

蟻地獄や怪集蟲で手一杯で、すっかり出遅れてしまったのだけど、今週、夏の実話怪談大本命、「超」怖い話Ξが絶賛発売中。
本稿では、内容については触れない。
ひとつには蟻地獄と蟲が忙しすぎてまだ読んでないからということ。
もうひとつには、実話怪談という本はその内容は体験者から託された預かりものであるわけで、出来不出来を作者の手柄として競うのは、その趣旨に反すると思うから。このへん、哲学の問題なので割愛。
故に、Ξという本、「超」怖い話というシリーズにおける位置付け、そして編著者というポジションについて触れてみたい。冬班の現役編著者として、まだ今はそれを許されるんじゃないかなと思うので。


このΞはいろいろな意味でエポックメーキングな位置付けになる。
まず、編著者は五代目となる松村進吉。共著者は久田樹生。この二人は、超-1/2006で選抜された二匹の怪物であるわけで、いずれも兼業作家である。つまり、勁文社版を経験したことがある著者が一人も参加していない。
超-1はそもそもは、「共著者を捜す」または「いずれ後継者になる書き手を捜す」という思惑を含んで行われた。松村・久田ともども四代目編著者の元で3年の下積みを、昨年夏に三代目編著者・平山夢明氏のお墨付きもいただき、ついに完全な新世代のみでの船出と相成ったわけだ。
松村編著というのは三代目の推薦があったものだが、僕としては何ら異存はない。知っての通り、春から秋まで監修本が貫通している状態で、この数年、僕はほとんど怪談の本来の旬である夏に新刊は出していない。*1
今年もいろいろ手一杯になることは当初から決まっていた。それを抜きにしても夏の「超」怖い話には僕は一切手出しをしていない。
編著者次第でその趣がガラリと変わるのが「超」怖い話であり、また絶えず過去の一番凄まじかった代と比べられ続けるのがこうした長期シリーズの宿業でもあるわけで、その点、二人には荷が勝ちすぎるのではないかとハラハラしたりはしていた。*2


「超」怖い話において編著者というのは、「編集共著」とか「代表著者」とかそういう意味合いを持っていて、共同著者(共著者)の書いてきた怪談を取捨選別する最終決定権を持つもの、と規定される。
元々、樋口時代から平山時代の中期くらいまでは、実際に執筆を始める前にネタを持ち寄り、その披露会を経て民主的に取捨選別をした。代表編著者は、議長役兼最終判断役を務めていたが、基本は全会一致だった。
これの体制は時代を下るとともに変質していって、平山=加藤の二人制の頃には、かなり省略されるようになっていた。代表編著者のネタは誰もチェックしない。いきなり完成稿が来る。共著者のネタはネタの段階で一度チェックされるが、原稿になってからリテイクが出たりもする。幸い、クオリティに関する信頼が篤かったおかげもあって、出版社側からはネタ選別については一切一任されていた。
松村久田を迎えた四代目加藤体制(冬班)では、ネタの持ち寄り打ち合わせが復活したが、Skypeを用いたものになった。これも回を重ねるうちに、ネタだけ先出しをしてネタでチェック、ネタに編著者がOKを出したものが執筆に進み、場合によっては原稿にリテイクが出たりもした。*3
今回の松村体制は、昨夏の平山体制を手本にしているようで、二人でまずネタを出し合い、それを松村君が取捨選択。OKが出たものをそれぞれが書き、松村君の原稿は共著者の久田君はノーチェック。久田君の原稿は松村君と担当編集者が共同でチェックし、松村君がOKを出したものを松村君の責任で選んで収載、という手順を踏んだ。通常、原稿を提出した後にリテイクや著者校の手順を踏むが、今回はそれもカットして、松村君は文字通り本当のギリギリまで、平山氏ばりの取材と執筆を重ねたと聞く。執念である。
仕上がった完成品が僕の手元に届いたのは怪集蟲の追い込みのまっただ中で、僕もまださわりの数本+ざっとしか読めてない(^^;) だって、読み始めたら蟲が止まりそうだったんだもん(^^;)


そんなわけで、編集さんと松村君と久田君の三人だけで作り上げた一冊である。前書きも後書きもない。雰囲気としては、怪記で松村君が目指した方向性に、久田君が従った、という感じだろうか。





昔、と言ってもさほど古くない昔。初めて自分の名前だけがカバーに印刷された本を出したとき。
本に名前が載ることには馴れていたけれども、一頁目から奥付までその全てについて著者=編著者である自分に責任が求められる、という本を出したとき、緊張でくらくらした。紀伊國屋まで確認しにいってしまった。
この本が売れれば、それは全て編著者の功績。
この本が散々な結果に終われば、それは全て編著者の責任。
シリーズの名を冠した本であれば、自分だけの責任では終わらない。シリーズの歴代作品への責任、それらを支え続けてくださった読者への責任。共著者の原稿を取捨選別した編著者としての責任。それらの掲載にOKを出した時点で、それらの責任も編著者が被る。
そして、「次も続刊を出せるものでなければならない」という、脈々と続くシリーズの重みへの責任。
そういうプレッシャーを、ひっかぶることを代償として得られるのが、「完成品の内容に対する称賛」なのだろうかなと思う。
とてつもないプレッシャーかと思う。本を作る人間として松村君に同情している。


そんなわけで、Ξは一切手出しもせず内容についての具体的な手ほどきもしていない。とはいえ、一読者として見ることもできないw
なぜなら、恐怖箱 蟻地獄と10日も違わないのである。
「超」怖い話Ξは、誇るべき「超」怖い話の最新作である。同時に、恐怖箱にとって最大のライバルである。*4


思えば、「超」怖い話はいつも崖っぷちでやってきた気がする。
樋口さんの突然のリタイアとか、二度の休刊とか、勁文社の倒産とか、売れなきゃ即中止という条件の下での復活とか……。
こんなしんどいところに望んで骨を埋める、と宣言したのが松村・久田両名である。
松村君は頑固で意見を曲げず、自分の筆に絶大な自負心を持つ。
久田君はトリッキーで、引き出しを無限に増やすことに執念を燃やす。
個性がまったく異なる。
恐らくはぶつかり合いもあったであろう。
だがしかし、「超」怖い話は誰か一人に全員が合わせるのではなく、異なる個性を異なる個性のままに、融合させずに混ぜ合わせてできあがったものだったかと思う。
だからこそ、違う書き手が参加するたびに、違う個性が加わっていった。
Ξもそういう、「また違った「超」怖い話」に仕上がっているかとは思う。


それが受け入れられれば松村君は新境地を開くことになる。その称賛は彼が謹んで浴びるべきだ。それが受け入れられなければ、叱責は全て編著者である松村君が編著者の責任のもと受け止めるべきだ。
そうした厳しさに身を置く、新たな編著者の誕生を、同業者として今は喜びたい。


「超」怖い話Ξ(クシー)

松村進吉編著/久田樹生共著

*1:監修はしていますw

*2:でも、ほぼ二週間違いで怪集蟲も進行してましたw

*3:ちなみにNのときには、「ほぼ全作リテイク」が出たりもした。3日で全作を「圧縮リテイク」したりとか。ご苦労様でした。

*4:恐怖箱は、いつか「超」怖い話を脅かすくらいのシリーズになれたらいいな、と思うし、それを目指してがんばっていきまっしょい