本日、三隣亡
三隣亡は「隣三軒両隣が滅ぶ(=火事で燃える)」ということで、この日に地鎮祭や棟上げなど建物絡みの行事をやると不吉〜、ということらしい。
そんな三隣亡の今日は、怪集/2009の講評最終日。
あと18時間です。
一日間違えてましたorz
あと23時間と23分ですorz
怪集/2009
http://www.kaisyu.info/
今日はきっと9/31
9月は30日まで。
これはよし。
9月は31日はない。
これもよし。
10月1日は9月30日の次。
ああ間違いない。
区の健康診断は9月30日まで。
忘れていた。
怪集の審査〆切は9月30日じゃなくて10月1日の深夜まで。
忘れてい(ry
カレンダーを毎日見て過ごしている生活をしていながら、なんでか一日間違えていましたorz
そんなに10/1に来てほしくないのか自分orz
そういうわけで改めて。
超-1/2009の……
ちげーよちげーよ!
怪集/2009の審査〆切は、2009年10月1日の深夜23時59分59秒までです。
ぎりぎりで送るとCGIのロック処理に引っ掛かって登録が遅れる場合があります。寸止めとかギリギリ狙いとかはナシで。ええ、ナシで。
全応募作品の公開を完了しました。
本日より開始
そういうわけで、最強ホラー小説コンテスト・怪集/2009。
http://www.kaisyu.info/
本日より正式に募集開始です。
頑張って*1下さいw
実話怪談やってても、怪集 蟲をやってても思ったんだけど、「自分が怖いと思うものを、他の人にも怖いと思ってほしい」というのを具現化するのって、実際のところ難しい。
僕は恐怖というのはごくパーソナルな感情だと思っていて、例えば饅頭が怖かったり熱いお茶が怖かったりwというのを、落語のネタとしてではなく本気で怖いと思っている人も世の中には実在する。エンピツの先端が怖いとかそういう。定規向けられて相手の指折った人がいた気がするくらいに。
でも、先端も高いところも虫も熱いお茶も、「なぜそれが怖いのか?」について共感できなければ、他人の恐怖を自分も共有する、ということができない。
一方で、恐怖というのは理屈を説明されると納得できてしまったりする。理解できなければ想像できず、想像できないものはその恐怖の源泉(なぜそれが恐ろしく、なぜそれが危険か)を認識できないので、怖くなれない。
ところが、ある種の「恐怖の原因」または「恐怖のロジック」というのは、理解できすぎると途端にそれは恐怖ではなくなってしまう。
「それじゃ仕方がないね」「そういうことならそういうことが起きても当たり前だ」「なるべくしてなったんだね」という。
実話怪談の持つ恐怖、というか「超」怖い話やその影響を受けて培われた「超」怖い話の眷属たる実話怪談群は、「恐怖の原因について納得がいかないもの」というのが多分に含まれている。昔ここで自殺や殺人事件があって母親が子供を殺していて、というような原因が提示されない怪談、という意味で。僕などはどっちかといえばそちらのほうを怖く感じる。何が正解であるかわからないから、納得できない。いつまでも腑に落ちない。納得できないというのは怖く、また恐怖を嗜む人にとっては「その時点で自分が気に入った最も恐ろしい原因」を自由に当てはめることで再読性が高まるし、読者の想像力*2によっては、無限の段階を提示することにもなる。未完成で最後のパーツ、または幾つかのパーツが足りない不完全さが、逆に拡張性を高めるというか。
またその一方で、恐怖を理解し、説明し、説得するというものもある。
ホラー小説などは、そういう作り方をされているのではないかとも思う。著者自身が作る【恐怖が発生するルール】を、どのように定義づけるか? その独自ルールをどのように読者に共有してもらうか? みたいな感じ。
そのルールはできるだけ独創的なほうが驚きがある反面、独創的すぎるとルールの理解を導きだすために読者に負担を掛けることになってしまう。*3
説明しないとわかってもらえない、恐怖というもの。
しかし説明しすぎると、一緒に怖がってはもらえなくなるという厄介さ。
今回「虫」を課題に置いた。
生理的嫌悪感と、感情を一切持っていそうに見えない、つまり意思の疎通が成り立たない相手という恐怖感がある。また、人間ましてやその他の動物に比べて、その形状は限りなく奇異で、そして絶望的に数が多い。
恐怖の対象として比較的共感しやすいものとは思う。
また、それこそ特定の虫を挙げるだけで接点を共有することも容易かもしれない。
共有・共感しやすいがために、逆にそれをどう料理するのかといった点に注力できるのではないかとも思うし、またそれが腕の見せ所にもなるだろう。
今、恐らく悩んでいると思う。
時間はある。あるけどない。
一本に全てを賭けて散っていく人もいるかもしれないし、様々なスタイルを試そうという人もいるかもしれない。
長い話で一攫千金という人もいるだろうし、量産占有という作戦の人もいるだろう。どれもかまわない。
名前を伏せた、そして別ペンネームで最後まで名前を明かす気がないプロの参加も拒絶しない。アマチュアの登竜門をプロが小遣い稼ぎのために荒らす、という形になっても感知しない。同時に、名もないアマチュアに名を伏せたプロの作品が全滅させられるようなことになっても、誰も損はしない。たぶん。
怪集はバトルロイヤル。
そういう大会です。
実話怪談のように、尊重すべき体験談提供者はいない。
不穏な因果因縁に気を使うこともない。
リミッターを解除し、すべてをかなぐり捨てた人がたぶん勝つ。
楽しみですね。
怪集 蟲
*1
怪集 蟲
松村進吉/つくね乱蔵/深澤夜 著
2009年7月30日頃発売予定
来た来たキタ━━(゚∀゚)━━!!
というわけで先ほど【怪集 蟲】の表紙デザインが上がってきた。
蟲は、松村・深澤両氏の事実上の小説デビュー作になる。*2つくね氏はソニー・デジタルの携帯小説サイトで携帯小説を連載された経験があるので、一応デビューはそちらとなるものの、竹書房文庫での紙デビュー、そしてホラー小説ではやはりこれが初お目見えとなる。
調査の結果、「蟲」に関わった著者、スタッフのほぼ全員が「虫がダメ」「嫌い」「苦手」「できれば見たくない」「催す」といった体たらくで、本当に厭なもの、作者自身がリアルに忌避したいものを題材としたホラー小説集に仕上がっている。ゲラを何度も読み返し、その都度リアルに想像しちゃって脳が煮え煮えになるなど、監修者にも甚大なダメージが。
「いいか、君たち僕を驚かしたいがためにマレーシアのジャングルとか、そういう企画を立てたんだろうけど、君たちも行くんだぞ。あのジャングルへ。わかってんのか」
という、大泉洋が藤村Dに向けた言葉が、そのまま自分にブーメランとして突き刺さるが如きダメージ。
なんで自分自身も虫苦手なのに、こんなテーマ選んじゃったんだろう、と自分のMっぷりに凹む勢い。
いや、でも、このくらい苦しんでこそ、本当に怖くて苦手で厭で忌避すべき作品ができたんじゃないかと重ねて思う。
本作のカバーイラストは、西浦和也氏が担当。
妖幽戯画のあとがきでさりげなくコミックを描かれているにしうらわ氏だが、実は絵も描く……のではなく、そもそもはそっちが本業だったらしいですよ? ということで、今回はイラストレーターとしてご参加いただいた。
実は、にしうらわ氏も「かなり虫が苦手」なのにも関わらず、本編収録の三話のゲラを読破して、その世界観とモチーフを損なうことなく、それはそれは超絶に生理的に虫の嫌悪感を強調しまくったカバーイラストを完成させて下さった。
……のだが、超絶に生理的嫌悪感を強調しまくった、超悪質*3な当初のカバーイラストは、悪質すぎて*4偉い人からNGを食らってしまったという伝説付きorz*5
超絶本気でアクセル踏み込んだにしうらわイラストは伝説的に凄かった。アクセルをアスファルトまで踏み抜く勢いのため、今回は正式カバーとしてはご紹介できませんでした。このNG版は、いずれどこかで陽の目を当てたい。カラープリンターで印刷して、発売版と掛け替えたいくらいの出来でした。すいません。
そんなこんなで、いろいろ伝説付き。
怪集 蟲は凄いですよ?