QR怪談

募集したら、久田樹生本人の応募が一番乗りでした。
……って、ヲイw


ぼちぼち来てる模様。
同様の試みをそれぞれ違う呼び名で行っている先達は多くあり、技法として取り立てて新鮮さはない。それだけ有効な練習方法なのだということだと思う。
実は、ついこの間まで故あって300字制限の怪談を書いていたのだが、300字というのが微妙な数値だということがわかってきた。400字あれば話にオチが付けられるが、300字だと「さあオチだ」というところで字数が尽きてしまう。
QR怪談の制限は150字で、その半分。
150字ともなると条件はさらにタイトで、あらすじで終わってしまう。
つまり、大がかりな話はQRには持ち込めない。*1
150字という数字について言えば、別に字数の少なさを競ってるわけではない(笑)。
これはQRのハードウェア&ソフトウェアの機能限界から決められた数字であって他意はないwのだが、まあお遊びとしてそういうのもアリってことで。


QR怪談は、頑張れば600byte(=300字)くらい入らないこともないんだけど、クレジット付けたりすると余剰は200字くらいに。しかも、200字使い切るくらい書くと、QRコードが大きくなりすぎて画素数の少ない(または接写モードのない)旧世代の携帯だと俄然取り込みが難しくなる。(コツもあるけど)
このため、150字くらいを上限としている。


また、積極的に見ようと試みる人でなければ読めない慎ましやかな形を取っているのは、実話怪談というものは「そういうものだから」としか言い様がない。
実話怪談というのは、「口の端に乗せることを躊躇う内緒の話」であるわけで、「ねえねえ、それナニ?」とわざわざ心霊スポットに踏み込むような物好き好奇心の強い人であるほどに、それに惹かれる。
誰にでも見えるようになっているものではなく、隠されているものだからこそ知りたくなる。行くなと言われれば行きたくなり、見るなと言われれば見たくなり、カードは捲ってみたくなり、風呂は覗いてみたくなり(ry 夕鶴もイザナギオルフェウスも、あれが「見て! 私を見て!」とあからさまに言われていたら、むしろ安心して見なかったかもしれない。「見てはいけない」と言われるからこそ、却って見たくなるというのが、人間の心理というものなのかもしれない。
そんなわけで、QR怪談は「好奇心を抑えきれない」という重度のジャンキーのための余興であって、見せたくて見せたくてしょうがない露出狂的な著者wには不向きであるかもしれない。
実話怪談のチラリズムwとQRコードの相性の良さが、あの形になったのだとご理解いただきたい所存。


また、実話怪談として収集される体験談は、実は小咄にもならないほど小さい、または瞬間的目撃譚がその大部分を占めている。
「見た! 消えた!」だったり「金縛った!」だったり。
それだけじゃピンとこないから、あれこれと直前の状況や体験者の主観や著者の解釈が入ってどんどん希釈されていくわけだが、やはり無理矢理ふやかしてしまった感は否めない。
じゃあいっそ、瞬間的な実話怪談は瞬間的なままに放り出してみるというのもいいかもしんない。


それでもお遊び以上に「無駄を省く訓練」の意義は深い。
実話怪談の著者は、よい書き手であること以上によい聞き手、良質な怖がりであることが重要であるように思う。
良い聞き手は、想像力があって拡大解釈をしてくれる……ということ以上に、要点を把握する能力が求められる。
150字という字数に実話怪談を詰め込もうとすると、書き手としても自分がこれから話す話の要点をぎりぎりまで絞り込み、無駄を省かないとオチが入りきらないということになるわけで、これは無駄を省く訓練としては最適であるように思う。
そこまで一辺省いて、要点と骨子部分を明らかに上で、改めて丁寧に肉付けをしていくと、同じ実話怪談でもより鮮明に体験者の言いたいことが浮かび上がってくるようになると思う。


復顔するなら、まず骨格標本の洗浄から始めないとね、っていうことで。


ところで、久田樹生のQR怪談より面白い/怖いQR怪談があれば、もちろん久田樹生のQR怪談は没です(笑) よーし、僕も書くぞ!(笑)<大人げナイ

*1:大がかりな、というのは実際には持ち込めないこともない。行間を読ませる、行の前と後に伏せられた壮大な怪異を予感させるといった書き方は可能だからだ。最小限の力で想像力を励起させるのが「超」怖い話的引き算の実話怪談だとするならば、大がかりなQR怪談も可能である。が、文章表現技術・技巧を重視してしまうと、途端に「余計なことを書いてるヒマ」はなくなる。