不具合

有袋類からきたメールに、「はやぶさ」のバッテリーの不具合とその回復の話(http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/2007/back163.shtml)があって、それで思い出した話。


不具合、という言葉は現在広く使われている。
機器類が思い通りの性能を発揮しないとか、実験が想定通りにいかないとか、予定調和的に計画していたことが予定通りにいかないとか、そういう「予定にいささか及ばない」というニュアンスで、あらゆる分野に対して使われている言葉だ。
これだけ広く知られている言葉でありながら、この言葉の由来に言及している例が非常に少ない。例えばGoogleで「不具合」または「不具合 由来」「不具合 語源」と検索しても、即座には回答が出てこない。
僕の記憶では、この言葉は大正以前というか、戦前にはない言葉だったという話がある。
由来について結論から言ってしまうと、これは日本のロケットの父である糸川英夫博士が、ロケット打ち上げの失敗についての会見で使ったのが最初らしい。どのロケットの打ち上げのときだったかについては、詳細な資料が本棚のどこかに埋まっているため特定できないのだが、会見でマスコミを前に「打ち上げは失敗」と言ってしまうと責任問題に発展して世論が悪化したり、続くロケット打ち上げ計画に対して支障が出る恐れがあったため、苦肉の策として「いささか具合が不味い」「若干の不具合があった」という表現をすることで、「失敗」という言葉を避けたのだという。
確か、これは「日本のロケット(野本陽代/日本放送出版協会)」という本の一節に糸川博士の紹介と合わせて載っていた話だったと思う。
糸川博士の言葉らしいことは多分間違いないんだけど、今ひとつ曖昧で断言できないのは、その原典資料「日本のロケット」が、今手元に見つからなくて確認できてないから。その発言は業界系新聞記事の囲み記事の見出しにも使われたらしく、その写真も見た記憶があるのだが……。
と思ってちょっと調べたら、不具合という語は直接見あたらなかったけど、http://garlandjunction.web.fc2.com/060422.htmに、「糸川博士は失敗を失敗と言わずに想定内という天才だった」「難しい語をわかりやすく説明して予算を取るのがうまかった」というエピソードが紹介されている。
日頃、初心者向き解説記事や門外漢の重要人物に必要性を説くような交渉事に関わることが多いだけに、「わかりにくい話をうまく説明し、門外漢の財布の紐を緩め、プロジェクトをスムーズに進める」という一種詐欺のような(褒め言葉)手腕は、ほんとに感心するというか常に目指したいなと思ったりする。


現在では「不具合」という言葉は家電品の不調からゲーム機の故障からパソコンパーツの相性問題から何から、あらゆるシチュエーションで使われている。でもこの言葉がロケット開発技術者から出てきた言葉らしいってことは、ほんと知られてない。
原稿を書いていると、ときどきむらむらと由来や裏打ちや信憑性を調べたくなってしまうことがある。もちろん、嘘書いちゃいけないし、突っ込まれて崩れるようなことを書いちゃいけないという自負心というか恐怖心wがそうさせるんだけど、単純に「○○○ 語源」では出てこないキーワードの背景を調べるときはホントに大変。でもそれが楽しく、原稿そっちのけで当て所ない検索の旅に逃げてしまったりもする。いくないいくない。


さて、冒頭の「はやぶさ」のバッテリー不具合の件。
そのはやぶさはとある小惑星を目指して旅し、ランデブー後の地球への帰還の途上に不具合に見舞われるわけなのだが、はやぶさが目指した小惑星は、この不具合の一件もあって一躍名を挙げた「小惑星イトカワ」。不具合という言葉を作った糸川英夫博士の名を取ったものなのだが、やはりこれは歴史の皮肉というか糸川博士はほんとに不具合と縁が切れないなというか、不具合の積み重ねをひとつひとつ解決していくことが、ロケット開発の千里の道なんだなとか、はやぶさの不具合が発覚したときにも、まあそういう宇宙開発ロマンに身悶えした記憶がある。
ロケット開発は失敗を重ねることで、「できないことの限界」「できること(やっても大丈夫なこと)の限界」を見付けることができる。効率を最大化するためには、効率の限界を知ることが重要で、つまりそれは「やりすぎたら壊れる」という破壊限界を知ることでもある。もちろん、限界が判明する=その装置は壊れるということなわけで、傍目にはそれは「失敗」に見えるのだが、その破壊によって限界がわかれば、次は失敗しないで成功できる――というような非常にポジティブな考え方であったという糸川英夫博士は、僕の尊敬する偉人リストの上位に常に入っている。


まあ、若干山師臭いところもあったらしいんだけど(笑)、様々な技術や才能がばらばらに存在していた初期のロケット工学分野にあって、そうした未連携の技術を総合することでロケットという技術の結晶を具現化するエンジニアリング/システムダイナミクス/アストロダイナミクスの草創期の一人でもあるらしい。
Wikipediaだけを見てもそういうことあんまり書いてない。たまたま自分が知っている話だったから気づいたことでもあるかもしれないけど、wikiを鵜呑みにしてそこで終わっちゃだめだよね、というあたりをオチとしたい。