バレンタインと清瀬警官刺殺事件

バレンタインが来るたびに、清瀬警官刺殺事件のことを思い出す。
今年もなんとなく思い出していたのだが、この事件、今年ついに時効となったのだそうだ。


事件の概要は、1992年2月14日に東京都清瀬市の交番が何者かに襲われ、詰めていた警察官が刺殺されて警官の携帯していた実銃(恐らくニューナンブでしょう)が奪われた、というもの。
とうとう犯人は捕まらず、奪われた拳銃も未だに見つからないまま、事件は闇に消えることになってしまった。


実は、僕はこの事件と奇妙な縁がある。
今を去ること13年ほど前。まだ僕の髪が黒かった頃のことなのだが、僕はこの事件の参考人として事情聴取を受けたことがある。
なんでそういうことになったのかについては、追って記してみよう。


当時、僕は知り合いの編集さんから、「いろいろあって社員が一斉にいなくなってしまった角川メディアオフィス(KMO)の後詰めをやらないか」と誘われ、その頃飯田橋にあったKMOの編集部にいた。
いた、と言ってもそこに行くことが決まったのも急な話で、直前まで出入りしていた事務所に連絡を入れた他は、家族とごく近しい友人くらいしか、僕の所在地変更は知らなかった。
確か、1993年の11月初旬のことだ。
引き継ぎやらなんやらで、「とにかく編集部に入ってくれ、最新号は出たばかりだけど次の準備を始めてくれ」というわけで、僕は非常事態宣言の出ているTRPG情報誌の副編集長としてそこに籍を置くことになった。


編集部に詰めた二日目か三日目の夜。明け方に近い時間だったと思う。
その日は他の編集部員は引き上げたり寝オチしたりで、起きて残っているのは僕一人だけだった。
電話が鳴った。
「ハイ、角川メディアオフィスです」
電話に出ると、相手は名前を名乗らずに聞いてきた。
『……あなた、カトウさん?』
「はぁ? ……はあ。そうですけど」
相手は僕を確認した。というより、最初から僕がカトウだと知って掛けてきた、その念押しをした、という感じ。
僕が、今編集部にいることを知っているのは、僕の家族一人だけだ。
しかも、僕一人しか起きていないことを知るのは不可能だし、僕が確実に電話に出ることを踏まえて電話をするのも不可能だ。
しかも、だ。夜討ち朝駆けの仕事が多い雑誌編集部だとはいえ、うちは季刊誌だぞ。しかも新刊出たばかり。
時間は朝五時。
非常時ではあるけど、そこまで急ぎの問い合わせをされる用事はないはずだ。
「あの、どちら様ですか?」
こちらから訊ねると、相手は「警察です」と言う。
『お手数をお掛けしますけど、飯田橋の交番までご足労願えますか』
とにかく、心当たりがまったくない。
最近、交通違反やったっけ。酒の席で喧嘩。いや、そんなことする暇ないし。飲みに出かけてないし。
遺失物が出てきて、とか。そういうのは交番に来いとは言わないよな。普通、警察署の所轄だ。
面くらいながらも、ぐるぐるといろいろな仮定が頭をよぎる。
『交差点のところの交番。よろしくお願いします』
念を押して、電話は切れた。


忙しかったし、悪戯かと思ってちょっと放置していた。
数日後、再び電話。
『すみませんが、ご足労願えますか』
仕事の合間を縫って、飯田橋交番に出向く。
行くと、制服の警官が「奥へどうぞ」と促した。
交番の入り口でする話じゃないってことか。
通された先は、畳敷きの部屋だった。
制服の警官が一人と、スーツの男がいた。
男は「忙しいところをすみません、東村山署の特捜課のSです」と名乗った。
S刑事は年の頃は40〜50代くらい。にこやかで物腰柔らかそうなオジサンに見えた。
「ちょっとお伺いしたいことがあるんですが、よろしいでしょうかね。カトウさん、去年の2/14の夜ってどこにいました?」
アリバイ!? 現場不在証明? いきなり?
一年以上前の特定の日の行動について明確に説明しろと言われて、自分の行動を即答できる人間というのは多くないと思う。僕は物覚えがいいほうではないし、そういう問いにはっきりとした答えを出せる自信はなかったが、2/14という日付であったことが幸いした。
「2/14の晩ですか。2/14、2/14……ええと。家で宴会してたと思います。そうだ。家内からバレンタインにワインをもらったんです。猿が瓶を抱きかかえてるデザインのワイン。猿だ猿だって盛り上がって。そのことをパソコン通信にその場で書いて。夜中まで飲んで、寝ました」
なんでそんなにするする出てきたのかと言えば、もらったワインは早々に空けてしまったものの、瓶の形がおもしろくてなかなか捨てることができず、一年以上もずっと台所の片隅に置きっぱなしになっていたからだ。
パソコン通信のログに記録が残ってると思います」
なんだか必死だった。
考えてみれば、パソコン通信のログというのは改竄可能なデータでもあるわけで、証拠能力はない。
が、一緒にいた人間の証言を得ることはできるだろうし、僕の潔白は恐らく晴れるんじゃないか。
この時点では、自分が何を疑われているのかがよくわかってないわけなのだが、とにかくアリバイを証明しないといけない状況なのは確かだった。
S刑事は、ふむふむと僕の話を聞いている。時折手帳に何か書き込んだりしている。
「なるほどわかりました」
と一段落した後、僕に何の嫌疑が掛けられているのかを説明しだした。
清瀬で警察官が殺された事件があったのを知っていますか」
「ありましたっけ」
「あったんです。昨年の2/14に。その犯人を我々はずっと追っているわけですが、手がかりがなくてね。そこで、ガンマニアの犯行の可能性があると見て、都内のガンマニアを一人ずつ洗っているんです」
ガンマニア。
いや、確かにエアガンの本を作ったこともあるし、エアガン、モデルガンの類は幾つか持ってたし、サバゲーは学生時代からやってたし、若干ミリヲタなのは認めるけど……。
「今(93年当時)、警察が把握しているだけで都内は600人ほどのガンマニアがいましてね。ええ、ブラックリストっていうほどのものじゃないんですが。カトウさんの名前も入ってます」
ええっΣ(゚ロ゚ノ)ノ
「そんな大それたガンマニアではないと思うんですが」
「いやあ……カトウさん、今までに何度か職質受けたことありますよね?」
「ありますねー」
「一〜二年前に、環七の交番の前でエアガン落として職質受けたことありませんか?」
あ。
あーあー。あったあった。そういうこと。
新品のガス式エアガンを買って嬉しいもんだから、公園に試し撃ちをしに行こう、と。
そういえば、そのついでに郵便局に小包を受け取りに行こう、と。
今思えば、そのまま強盗未遂で逮捕されててもおかしくないような、とちくるった「用事二本立て」で、僕は環七の交番前をてくてく通過したのだ。
で、そこから5メートルほども過ぎたところで、バッグのファスナーが壊れて(笑)、新品剥き出しのエアガンが地面にゴトッと。
それを見咎めた警官が、交番からダッシュで3人くらい駆け寄ってきて「ちょっwwwwおまっwwww」的に職質を受けたことがあったのだった。
そのとき氏名住所答えて事情説明して、無罪放免(笑)されたなあ、その後暫く笑い話のネタにしたっけなあ、などという記憶が走馬燈のように頭を巡る。
「そのときにね。ガンマニアってリスト入りしたんですよ」
えー。
「容疑者ってわけじゃないですよ。あくまで、重要参考人。参考までに当日の不在証明とあなたの態度をね、拝見させていただいた、というわけで」
「ははあ、そうだったんですか。でも、僕がどうしてKMOにいるってわかったんですか?」
それが不思議でならなかった。
たぶん、直前までいた事務所の連中が教えたんだろう、と思うけど。
「それはほら。私らもいろいろやってますから。尾行とか。電話の内容も聞いてますし」
「尾行って。僕、バイク通勤ですよ?」
「ですからね、車で。気付かなかったでしょ? 二週間くらい前からずっと尾行してたんですよ」
えー。
全然気付かなかった。
「家の様子なんかもね。例えばどこに出かけた、誰と会った、誰に電話した、奥さんと夜どうした、そんなのも全部」
えー。
全然気付かなかった。
「一応ね、プロですから」
プロすげー。
「あらかじめ全部調べてある程度の確証を掴んでから、最後に本人に会って最後に印象を確認するんです。だから、今日あなたにお話を伺うのは取り調べの始まりじゃなくて総仕上げ」
つまり、シロなりクロなりの9割までの確信と、呼び出した相手が逃げないという自信がない限り、直接話を聞くということはしないものらしい。


和やかな雰囲気となり、滅多にないことなので僕からもいろいろ逆に聞いてみる。
「奪われた拳銃はニューナンブだろうと思うんですが、刑事さんもみんなニューナンブなんですか」
「いや、刑事は必ずニューナンブというわけでもないよ。オートマチックの人もいる」
「Sさんは?」
「お見せできないけど、コルト」
「コルト・コマンダーかな。ガバメント?」
「ふふふ。さすがガンマニアだね」
「なんでリボルバーじゃないんですか?」
「装弾数が少ないから。撃ち返してくる可能性がある相手より、装弾数が少ないと不利でしょ」
「やっぱり撃ち合いになったりってあるんですかね。というより、『手を挙げろ、撃つぞ』って警告するんですか?」
この辺の問いについては、詳しく書くといろいろ問題になりそうな気がするので省略(^^;)
リボルバーじゃない拳銃を携帯している人もいるらしいことと、制服を着ていない警察官は我々が想像するのよりもっと即戦的な訓練を積んでいるらしいことなど、濃密な話をいろいろ伺う。


最後に記念撮影……じゃなくて、指紋を採られた。
インクはクリーム状の透明なもので、そこに両てのひらと十指全部を押し付け、指紋の用紙に押し付ける。まず両てのひら、次に指を一本ずつぐるりくっきり、と取る。
「インク、透明なんですね」
「これは特殊なインクでね。てのひらのタンパク質と反応して発色するんです。一ヵ月くらい経つと自然に消えちゃうから、これがずっと警察に残るってことはありません。安心してね」
へー。
ここでまた感心しつつ、〈でも、発色してる間にコピーやスキャニングしたら残せるよな〉なんてイジワルなことを考える。


ここまでで、僕への事情聴取は一通り終了ということになった。
僕は、最後にS刑事に尋ねてみた。
「ところで、Sさんから見て僕はシロですか? シロですよね?(^^;)」
「はははは(笑) あんたは人を殺せるタマじゃないですな(笑)」


さすがに、ここまでの経験は以後はない。
でも、その後もちょくちょく職質される。
つい最近も新宿の街角で「携帯ナイフで強盗を働いた者を探している」という職質にあったばかり。
髪が緑で迷彩のコート着ててサングラス掛けてたからか?(^^;)


あれから、バレンタインが来るたびに、清瀬という言葉を聞くたびに、「そういえば、あの事件どうなったのかな」と年に一度くらい思い出していた。
自分がそうした事件の重要参考人や容疑者や犯人になることは、たぶんこの先ないんじゃないかなと思う。
犯人が捕まらなかったことは非常に残念なのだけれど、あの経験のおかげで日本の警察の捜査能力の異様な高さの片鱗を知ることができた。


後日、僕が直前までいた事務所に電話をしたら、開口一番に
「おっ、アズキちゃん! 警察官殺して拳銃奪ったんだって!?」
とか言いやがった(笑)
「殺ってないよ! 僕がKMOに行ったこと、警察にタレこんだのはアンタだな?」
聞き返すと、電話口で怪訝な声。
「え? 違うよ。『今、KMOにいるカトウさんは、先日までお宅の事務所にいましたね?』って向こうが先に確認してきたんだよ」





警視庁、恐るべし。